ハワイでの結婚式は感動ものだった

 

 いろいろあったが、話題は結婚式に絞ろう。


 ここで結婚した三男Mは小学校6年生の時、妻とともにブリン・アシンに連れて行ったことがある。フィラデルフィア郊外のブリン・アシンはジェネラルチャーチの本拠地であり、そこには美しいcathedoralがある。その時は、その後、ニューヨークをめぐった。その時の原体験がその後、旅行社に就職すること結びついたようである。


 


さて、今回の結婚式場セント・アンドリュース大聖堂はブリン・アシンのcathedoralと似ている。子供の時に連れて行った大聖堂がここで(場所は違っても)結びついている、と感じた。


式は、参列者以外は歌手一人とパイプオルガン奏者一人(それとカメラマンなど)だけであった。その歌手(中年の小太りの婦人)歌が会堂の中に響き渡り、感動した。オアフ島でいちばん古く、現在使われている教会は、ホテル付属のチャペルなどと違って納得でき、大満足であった。手前味噌ながらこれまでで経験した一番よい結婚式であった。


 


式後の祝賀会はモアナ・サーフライダー・ホテルで。ここが新郎新婦の宿泊先、長男Hもここが新婚旅行の宿泊先であった。そこのレストランは「ビーチ・ハウス」といい、中庭を臨むヴェランダの一番良い席が会場となった(もちろん、息子が手配)。風格のあるホテルであり、最高に気持ちよかった。


ここで今まで封印していたカクテル「ブルーハワイ」を飲むことにした(なぜ、これまで封印していたかは話しがやや長く、またもつれるので省略)。給仕に注文したが言葉が通じなかった、別の言い方があるのだろうか? でもなんとか飲めた。


その後、新婦の父親と二人で場所を変えて(二次会として)飲んだ。息子たちは大学1年で知り合い、その後9年して(すなわち26歳と27)ここでゴールインした。私はチャランポランな人間であるが、息子はこの9年間、愛をつら抜き通した、これは親の欲目としても立派と思える、と話したら、父親は少し涙ぐんでいた。

 これまで単なる観光地としてなら、ハワイに行く気はなかった。でもこのような機会に来れた。

原典講読『最大の人とその対応』 43

 

(1) 原文「3890番」


43 Prius aliquoties dictum est quod caelum seu Maximus Homo in innumerabiles societates distinctum sit, et in genere in totidem quot sunt organa et viscera in corpore, et quod singulae societates ad unum illorum pertineant, n. 3745; tum quod societates, tametsi innumerabiles sunt et variae, usque unum agant, sicut omnia quae in {1}corpore, tametsi varia sunt unum, societates quae {2}inibi ad cordis provinciam pertinent, caelestes societates sunt, et sunt in medio seu in intimis; quae autem ad pulmonum provinciam inibi pertinent, spirituales sunt, et sunt circumcirca et in exterioribus; influxus a Domino est per caelestes in spirituales, seu per mediam in circuitus, hoc est, per intima ad exteriora; hoc inde est quia Dominus per amorem seu misericordiam {3}influit, inde omne caeleste quod in regno Ipsius, et per amorem seu misericordiam in bonum fidei, inde omne spirituale quod in regno Ipsius, et hoc cum ineffabili varietate, sed varietas non existit ex influxu, sed e receptione.


@1 homine @2 A d inibi, i in unoquovis @3 before per amorem


 


(2) 直訳


43 Prius aliquoties dictum est quod caelum seu Maximus Homo in innumerabiles societates distinctum sit, et in genere in totidem quot sunt organa et viscera in corpore, et quod singulae societates ad unum illorum pertineant, n. 3745; 前数度☆言われている、天界または「最大の人」は無数の社会に分かれていること、また全般的に、身体の中の器官や内臓がどれだけ〔あっても〕それと同数〔ある〕、また個々の社会はそれらの一つに所属する、3745番〔この講読の通し番号では30〕。


通常は56回を意味します。


tum quod societates, tametsi innumerabiles sunt et variae, usque unum agant, sicut omnia quae in {1}corpore, tametsi varia sunt unum, societates quae {2}inibi ad cordis provinciam pertinent, caelestes societates sunt, et sunt in medio seu in intimis; なおまた、社会たとえ無数でまた多様でも、それでも一つのものとして活動する、すべてのもののように、それらは身体の中に、たとえ多様なものが一つであっても、社会は、それは〔それぞれの〕そこに心臓の領域に所属する、天的な社会である、また真ん中にある、すなわち、最内部の中に。


quae autem ad pulmonum provinciam inibi pertinent, spirituales sunt, et sunt circumcirca et in exterioribus; けれどもそれらはそこに領域所属する、霊的なもの〔社会〕であるまた周囲にあるまた外的なもののある〕。


influxus a Domino est per caelestes in spirituales, seu per mediam in circuitus, hoc est, per intima ad exteriora; 主からの流入がある、天的なもの〔社会〕から霊的なもの〔社会〕の中へ、すなわち、真ん中のもの〔社会〕から周囲〔の社会〕の中へ、最内部の〔社会〕から外的なもの〔社会〕の中へ。


hoc inde est quia Dominus per amorem seu misericordiam {3}influit, inde omne caeleste quod in regno Ipsius, et per amorem seu misericordiam in bonum fidei, inde omne spirituale quod in regno Ipsius, et hoc cum ineffabili varietate, sed varietas non existit ex influxu, sed e receptione. このことはここからである、主は愛または慈悲を通して流入するから☆、ここからすべての天的なものが、その方の王国の中に〔ある〕もの、また愛または慈悲を通して信仰の真理の中に〔流入する〕、ここからすべての霊的なものが、その方の王国の中に〔ある〕もの、またここから言葉にできない多様なものとともに〔流入する〕、しかし、多様なものは流入から存在するようにならない(生じない)しかし、受け入れから。


私には脚注の意味がわかりません。すなわち、わざわざ、移動しなくても意味変わりなく、読み間違えるおそれもないと思えるからです。わずかに、脚注のようにしたほうが読みやすいのだろう、としか思えません。それとも、私の知らない「ものの著述法(文法)」があるのでしょうか。


@1 homine 注1 hominecorporeに換えた


@2 A d inibi, i in unoquovis 注2 自筆原稿ではinibiが削除された、in unoquodvisを補うとよい


@3 before per amorem 注3 per amoremの前にあったinfluitをこの位置に換えた


 


(3) 訳文


43 前何度、天界または「最大の人」は無数の社会に分かれていること、また全般的に、身体の中の器官や内臓と同数であり、また個々の社会はそれらの一つに所属することが言われている、30番。なおまた、社会たとえ無数多様でも、それでも身体の中のすべてのもののように、たとえ多様なものが一つであっても、一つのものとして活動する。そのそれぞれの社会で、心臓の領域に所属する社会は、天的な社会であり、真ん中に、すなわち、最内部にある。けれどもそこの領域所属する社会、霊的社会であり、周囲また外的なもののにある。主から、天的社会から霊的社会すなわち、真のものから周囲、最内部から外的なもののへの流入があるこのことは、主または慈悲して流入するからであるここからその王国にあるすべての天的なものが、愛または慈悲して信仰真理ここからその王国にあるすべての霊的なものがまたここから言葉にできない多様なものとともに流入する。しかし、多様なものは流入からではなく、れから存在するようになるのである