(3) 訳文
37 天界、すなわち、「最大の人」に、人間のもとの個々のものに対応があり、また人間はここから存在するようになり、存続することが、世の中でまったく知られておらず、そして、それゆえ、それについて言われたことが背理や信じられないもののように思えるので、それらの経験とここから私のもとで信念の証拠であることを述べることが許されている。
かつて私に内的な天界が開かれ、またそこの天使と話したたとき、私は次のことを観察することが許された。たとえ私はそこにいたけれども、それでも私は私の外にいないで、身体の中にいたことを知っておかなければならない、というのは、天界は人間の中にあるから。そのように、主が喜ばれるとき、人間は天界の中にいることができ、またそれでも身体から導き出されない。ここから、天界の全般的な働きを知覚することが、何らかの感覚で知覚することのように、はっきりと与えられた。
その時、私が知覚したものに四つの働きがあった。第一のものは左のこめかみ近くの大脳の中であり、それは理性の器官に関して全般的な働きであった。というのは、大脳の左の部分は理性または知性(知力)に、けれども、右は状愛または意志に対応するから。
[2] 第二の全般的な働きを、私は肺の呼吸の中に知覚した、それは私の呼吸を穏やかに、しかし、内的なものにより導いた、そのように、何らかの意志によって息を導くこと、すなわち、呼吸することが私に必要がないようなものであった。その時、天界の呼吸そのものが私にはっきりと知覚された。それは内なるものであり、そして、それゆえ、人間に知覚されることができない。しかし、驚くべき対応によって外なるもの、すなわち、身体のものである人間の呼吸の中に流入する。その流入を、もし人間が奪われるなら、たちまち、死んで倒れる。
[3] 私は知覚した第三の働きは、心臓の心収縮と心拡張の中にあった、それはその時、私にとっていつもの他のものよりも柔らかであった。脈拍の時間は規則正しく、呼吸のそれぞれの交替の間に、およそ三つであった、やはりそれでもなお、肺の中に終わり、またこのように肺を支配するものであった。どのように心臓の交替が肺の交替の中に取り入れられるか、どのようにそれぞれの呼吸が終わるか、観察することが与えられた。脈拍の交替は私がそれを数えることができるほどに観察できるものであり、明確な、柔らかいものであった。
[4] 第四の全般的な働きは腎臓の中にあり、それもまた知覚することが与えられたが、しかし、不明確であった。
これらから、天界、すなわち、「最大の人」に心臓の鼓動があり、また呼吸があることが明らかである。また天界、すなわち、「最大の人」の心臓の鼓動に心臓と、またその心収縮と心拡張運動との対応があり、また天界、すなわち、「最大の人」の肺に、またその呼吸とに対応がある。しかし、両方とも内なるものであるために、知覚されることができないので、人間に観察できない。