バイクで国道299号線を行った

 

 スヴェーデンボリ、また新教会、さらにまたラテン語とは何の関係もない話しで失礼する。


 私はバイクに乗る、ずっと若いころからである。途中の話しは省略、現在はヤマハの「ドラッグスター400クラシック」であり、これは、しばらくバイクから遠ざかっていたが、60の還暦記念に、また同時に退職記念に「自分へのご褒美」と考えたものであったが、三男の息子(いずれ、近いうちに語る)に「それなら、今買おう」とせっつかれて私の59歳の誕生日記念に買った物である。


 三男の息子には以前にヤマハのマジェスティを買ってやっているのに(これで大学に通った)、違うタイプのものが欲しくなったようである。(バイクがわかる人なら、ドラッグスター400クラシック(アメリカンタイプ、すなわち、知らない人はハレー・ダヴィットソンのタイプと思えばよい、これでわからない人は、これ以上話しは無用。マジェスティはいわゆる「スクーター」タイプ。私はもっと異なるタイプも乗っていた)


 さて、あまり乗り回しもしないで(以前は佐渡にもバイクで行ったし、趣味の山歩きのためにその「足」ともしていた)、近場の埼玉県、特に飯能市近辺をときどき乗っていた(飯能、青梅は私の心のふるさとである、このことも語ることがあるかもしれない)


 この15日、「霧ヶ峰」にバイクで行くことにした。「霧ヶ峰」は私にとって「尾瀬」に次いで思い出深い地である。冬のスキー教室、また家族での春先のスキー(四人の子供全員に、私がスキーを教えた)、そして夏の湿地「八島」など、毎年のように訪れていた。


 朝5:10に出発、多摩湖を抜けてすぐに入間、ここが299号線の終点、飯能を通過し、西武池袋線と並行しながら秩父、299号線の脇にある「秩父神社」参拝、6:30だった、この神社は彫刻が見事、「夜祭」(この冬も行く予定)で有名、昼間だと彫刻がよく見える。志賀坂峠の途中で「両神山」が見えた(以前登ったことがある日本百名山の一つ)。もう一つの峠が「十石峠」これに至るまでの道がまったくの山道、大きな車ではすれ違いが困難。峠で休憩していたら、やはり東京からのバイクのおっさん。聞けば、「麦草峠」へ行くとのこと。私と同じである。「佐久穂」へ出て、少し南下し、やはり299号線、ここは「メルヘン街道」と名付けられている。「麦草峠」までの道が白樺密生林、そこまでの八千穂は別荘地。バイクでの走行は別世界気分。さすがに多くのバイク愛好家、大型車が多いし、年配者も多い。考えていることは同じなようだ。峠を下るとここも別荘地「蓼科」。もう少しで茅野(ここが299号線の出発点)のところ「大門街道」を車山へ。「霧ヶ峰」は20代の若い頃、ドライブで訪れ、その草原状の山に驚愕したところだった。それまで山といえば、低山では木々が生い茂り、高山では岩だらけであり、なだらかな起伏の草原状の山を見るのは初めであった。車山の「肩」と言われるところに停車。11:20。だらだらな坂を山頂に向かって歩き、その途中で、12時ちょっと過ぎ、戦没者に慰霊の祈りを捧げた。


 山頂は展望台に代わって気象観測の丸いレーダーがあった。三角点でひざまずき、手を添え、「無事に登れました、ありがとうございます」と感謝するのは、いつものこと。趣味の登山でずっとしてきたことである。スキーで子供とともに登ったこと、同じく、八島高原にテントを張り、そこから、蝶々深山を経て登ったことなど思い出す。1時前には諏訪へ下り、あとは国道20号を走り続ける。途中やはりやや渋滞に巻き込まれる。八王子でそばを食べて休憩したので家に着いたのは19:10


 計14時間の長旅。不思議にバイクの運転は疲れなかった。手が日焼けした。国道299号線の出発点(のちょっと)と終点までを走ったことになる。

原典講読『最大の人とその対応』 16,17

 

(1) 原文「3639番」


16 Omnes situs ibi se habent inde respective ad corpus humanum secundum plagas ab illo, hoc est, dextrorsum, sinistrorsum, antrorsum, retrorsum, in quocumque positu, ut et secundum plana, ut ad planum capitis, ejus partium ut frontis, temporum, oculorum, aurium; ad planum corporis, ut ad planum scapularum, pectoris, abdominis, lumborum, genuum, pedum, plantarum; tum quoque supra caput et infra plantas pedis, ad omnem obliquitatem; etiam ad tergum, ab occipitio deorsum: ex ipso situ cognoscitur quaenam societates sunt, et ad quas provincias organorum et membrorum hominis pertinent, quod {1}nunquam fallit, sed magis ab eorum genio et indole quoad affectiones.


@1 nusquam


 


(2) 直訳


16 Omnes situs ibi se habent inde respective ad corpus humanum secundum plagas ab illo, hoc est, dextrorsum, sinistrorsum, antrorsum, retrorsum, in quocumque positu, ut et secundum plana, ut ad planum capitis, ejus partium ut frontis, temporum, oculorum, aurium; ここからそこ〔天界〕すべての位置は人間の身体と比べて、それ〔身体〕からの方向(方位)したがって振る舞う(いる)、すなわち、右()へ、左(の方向)に、正面の方向に(前方へ)、後方に、どこへでも☆位置(姿勢)の中で、また面にしたがってのように、頭の面へ〔したがう〕のように、その部分()、額、こめかみ、目、耳のように。


チャドウィックのレキシコンによればquocumqueをスヴェーデンボリはquocunqueと綴ることもあるようです。


ad planum corporis, ut ad planum scapularum, pectoris, abdominis, lumborum, genuum, pedum, plantarum; 身体、肩甲骨へのように、胸、腹、腰ひざの、足、足


tum quoque supra caput et infra plantas pedis, ad omnem obliquitatem; なおまた、頭上方にまた()下方またすべての(なところ)


etiam ad tergum, ab occipitio deorsum: さらにまた背後に、後頭部から下方へ。


ex ipso situ cognoscitur quaenam societates sunt, et ad quas provincias organorum et membrorum hominis pertinent, quod {1}nunquam fallit, sed magis ab eorum genio et indole quoad affectiones. 位置そのものから社会が何か知られる、また人間の器官と四肢のどの領域に関係する(属する)か、決して☆だまさないこと、しかし、さらに彼らの性質と性格から〔知られる〕情愛に関して。


脚注参照。「どこでもだまさない」というスヴェーデンボリの表現は、やや異様でも、内容をとらえたよい表現と私は思います。


@1 nusquam 注1 nusquamnunquamに換えた☆


チャドウィックのレキシコンではnusquamnumquamも訳語は「never(決して~ない)であり、同じです。するとここの脚注は意味をなしません。ここはレキシコンの訳語を変更しなければなりません。すなわち、まだ完成前です。nusquamは「決して~ない」で変わりません。nusquamneusquamから作られた後であり、その直訳は「どんな場合でも~ない」ですので訳語を「どこにも~ない」とします。チャドウィックのレキシコンも(私の目からは)完全ではありませんでした。


 


(3) 訳文


16 ここから、天界のすべての位置は人間の身体と比べて、その身体からの方向したがっている。すなわち、右へ、左へ、前方へ、後方へ、どこの位置でも面にしたがって、頭の面である部分、額、こめかみ、目、耳にしたがうように。身体、肩甲骨、胸、腹、腰、ひざ、足、足へのようになおまた、頭上方にまた下方またすべてのなところさらにまた、後頭部から下方背後。位置そのものから、人間器官四肢のどの領域する社会何であるられ、決してだまさないこともなくさらに情愛してらの性質性格からられる


 


(1) 原文「3640番」


17 Inferna, quae perplura sunt, etiam constantem situm habent, adeo ut ex solo situ sciri possit quaenam et qualia sunt; cum situ illorum similiter se habet; omnia infra hominem sunt in planis quaquaversum sub plantis; quidam inde apparent quoque supra caput et alibi sparsim, sed non est quod ibi situm habeant, {1}nam est phantasia persuasiva quae illudit et mentitur situm.


@1 sed


 


(2) 直訳


17 Inferna, quae perplura sunt, etiam constantem situm habent, adeo ut ex solo situ sciri possit quaenam et qualia sunt; 地獄は、それらは非常に多くある、さらにまた不変の位置を持っている、位置だけからこれほど知られることができるように、だれ()、またどんなであるか。


cum situ illorum similiter se habet; 彼らの位置同様に振る舞う(~である)


omnia infra hominem sunt in planis quaquaversum sub plantis; 人間の下のすべてのもの〔地獄〕は面(水準)の中にある、あらゆる方向へ、足の裏の下に。


quidam inde apparent quoque supra caput et alibi sparsim, sed non est quod ibi situm habeant, {1}nam est phantasia persuasiva quae illudit et mentitur situm. そこからのあるにもまたられるまたところに離ればなれに(ばらばらに)、しかし、そこに位置を持っていることではない、なぜなら、説得力のある(間違った信念から導かれた)幻想であるから、それは惑わす、また位置を偽る。


@1 sed 注1 sednamに換えた


 


(3) 訳文


17 地獄は非常に多くあり、さらにまた、位置だけから何の地獄か、またどんな地獄であるか知られることができるほどに、不変の位置にある。彼らの位置同様である。人間の下のすべての地獄は足の裏の下の面のあらゆる方向にある。そこからのあるにもまたまたところに離ればなれに見られる、しかし、そこに位置があるのではない、なぜなら、それは惑わし、また位置を偽る説得力のある幻想であるから。