(2) 直訳
[8.] Tertium: [8.] 第三:
Quod doctrinae ecclesiarum in Christiano orbe, interius spectatae, sint contra momentaneam salvationem ex immediata misericordia: キリスト教世界の中のすべての教会の教えは、内部で見られた、直接の慈悲からの瞬間の救いに反していること。
sed usque quod externi ecclesiae homines illam stabiliant. しかし、それでも、教会の外なる人間はそれらを確かなものにしていること。
〔キリスト教世界の中のすべての教会の内部で見られる教えは、直接の慈悲からの瞬間の救いに反している、しかし、それでも、教会の外なる人間はそれらを確かなものにしていること。〕
Doctrinae omnium ecclesiarum interius spectatae docent vitam. 教会のすべての教えは、内部で見られた、生活(いのち)を教えている。
Cujusnam ecclesiae doctrina est, quae non docet, quod homo se exploraturus sit, visurus et agniturus sua peccata; どの教会の教えがあるか? それは教えない、人間が自分自身を調べなければならないこと、自分の罪を見て、認めなければならない。
confessurus illa, paenitentiam acturus, et dein victurus vitam novam? それらを告発し、悔い改めを行なわなければならない、またその後、新しい生活(いのち)を生きなければならない。
Quis absque hoc monito et praecepto admittitur ad Sanctam Communionem? だれが、この警告と戒め(命令)なしに、聖餐に入ることを許されるのか?
Inquire et confirmaberis. 尋ねよ(調べよ)、するとあなたは確信させられる。
Cujus ecclesiae doctrina est, quae non fundatur super praeceptis decalogi? 何の教会の教えがあるか?それらは十戒の戒め(の上)に基づかない。
Ac praecepta decalogi sunt praecepta vitae. そして、十戒の戒めは生活の戒めである。
Quis homo ecclesiae, in quo aliquid ecclesiae est, qui non agnoscit, cum audit, quod salvetur qui bene vivit, et condemnetur qui male? だれが、教会の人間が、その者の中に教会の何らかのものがある、その者が認めないか? 聞くとき、善く生きる者が救われること、また悪く〔生きる〕者が断罪される。
Quare in Fide symbolica Athanasiana, quae etiam est Doctrina in toto Christiano orbe recepta, haec dicuntur: それゆえ、アタナシウス信条の信仰の中に、それもまた全キリスト教世界の中に受け入れられた教えである、これらが言われている―
“Quod Dominus venturus sit ad judicandum vivos et mortuos; 「主は生きている者と死んでいる者を裁くために来られること。
et tunc illi qui bona fecerunt, intrabunt in vitam aeternam, et qui mala fecerunt, in ignem aeternum.” またその時、彼らは、善を行なった者、永遠のいのちに入る、また悪を行なった者は、永遠の火の中に」
[9.] Ex quibus patet, quod doctrinae omnium ecclesiarum interius spectatae doceant vitam; [9.] それらから明らかである、教会のすべての教えは、内部で見られた、生活(いのち)を教えていること。
et quia docent vitam, doceant quod salvatio sit secundum vitam; また、生活を教えているので、救いは生活にしたがっていることを教えている。
ac vita hominis non momento inspiratur, sed formatur successive, et reformatur sicut homo fugit mala ut peccata; そして、人間の生活(いのち)は瞬間に吹き込まれない、しかし、継続的に形成される、また人間が悪を罪として避けるほど(かぎり)改心される。
proinde sicut novit quid peccatum, ac cognoscit et agnoscit id, et sicut non vult illud, et inde desistit ab illo; それゆえに、何が罪か知る(知った、気づく)ほど(かぎり)、そしてそれを認め(知り)、また認める、またそれを欲しないほど(かぎり)、またここからそれから離れる(やめる)。
et sicut novit etiam illa media, quae se referunt ad cognitionem Dei. またその手段を知る(知った、気づく)ほど(かぎり)、それは神の知識に関係する。
Per haec et illa formatur et reformatur vita hominis, quae non uno memento possunt infundi; これやそれによって人間の生活(いのち)は形作られ、改心させられる、それはある瞬間に注ぎ込まれる(導入される)ことができない。
removendum enim est malum hereditarium, quod in se est infernale, et loco ejus implantandum est bonum, quod in se erit caeleste. というのは、遺伝悪が遠ざけられなくてはならないから、それは本質的に地獄のものである、またそれに代わって善が植え付けられなくてはならない、それは本質的に天界のものである(となる)(未来)。
Homo ex malo suo hereditario comparari potest buboni quoad intellectum, et serpenti quoad voluntatem; 人間は、自分の遺伝悪から、理解力に関してミミズクにたとえられることができる、また意志に関してヘビに。
et homo reformatus potest comparari columbae quoad intellectum, et ovi quoad voluntatem: また改心した後の人間は、理解力に関してキジバトにたとえられることができる、また意志に関して小羊に。
quare momentanea reformatio et inde salvatio foret comparative sicut momentanea conversio bubonis in columbam, ac serpentis in ovem. それゆえ、瞬間の改心とここからの救いは、比較によってなったであろう、瞬間の変化のようなものに、ミミズクをキジバトに、そしてヘビを小羊に。
Quis non videt, qui scit aliquid de vita hominis, quod hoc non detur, nisi bubonis et serpentis natura auferatur, et columbae et ovis natura implantetur? だれが見ないか? 人間の生活(いのち)について何らかのことを知っている者が、このことが存在しないこと、ミミズクやヘビの性質が取り除かれる、またキジバトや子羊の性質が植え付けられないなら。
[10.] Notum etiam est, quod omnis intelligens possit intelligentior fieri, et omnis sapiens sapientior, et quod intelligentia et sapientia apud hominem possit crescere, et apud quosdam crescat, ab infantia usque ad finem vitae ejus, et quod homo sic continue perficiatur. [10.] さらにまたよく知られている、知性のあるすべての者はさらに知的になることができること、また賢明であるすべての者はさらに賢明に、また知性(理解力)と知恵は人間のもとで成長することができること、またある者のもとで成長する、幼児期からその生涯の終わりまで、また人間はこのように絶えず完全に(完成)されること。
Quid non plus intelligentia et sapientia spiritualis? 何が(どのように☆)、もっと〔完全とされ〕ないか、霊的な知性と知恵は?
☆ quidは、ほとんど「何? だれ?」ですが、「どのように?」の意味もどきどきあります。
Haec per duos gradus supra intelligentiam et sapientiam naturalem ascendit, et cum ascendit, fit angelica, quae est ineffabilis. これが自然的な知性と知恵の上の二つの段階によって上昇する、また上昇するとき、天使のものになる、それは言語に絶する。
Quod haec apud angelos crescat in aeternum, supra dictum est. これが天使たちのもとで永遠に成長することは、上に言われている。
Quis non comprehendere potest, si vult, quod impossibile sit, quod id, quod perficitur in aeternum, sit perfectum in instanti? だれが理解することができないか? もし欲するなら、不可能であること、そのこと、永遠に完全にされるものが、瞬く間に完全になること。
(3) 訳文
338. [8.] 第三:「キリスト教世界の中のすべての教会の内部で見られる教えは、直接の慈悲からの瞬間の救いに反している、しかし、それでも、教会の外なる人間はそれらを確かなものにしていること」
教会の内部で見られるすべての教えは、生活を教えている。
どの教会の教えが、人間が自分自身を調べ、自分の罪を見て、認めなければならないこと、それらを告発し、悔い改めを行ない、またその後、新しい生活を生きなければならないことを教えないであろうか? だれが、この警告と戒めなしに、聖餐に与ることを許されるのか? 尋ねよ(調べよ)、するとあなたは確信するであろう。
どの教会の教えが十戒の戒めに基づかないか? そして、十戒の戒めは生活の戒めである。
善く生きる者が救われ、また悪く生きる者が断罪されることを聞くとき、教会の何らかのものを持ってる教会の人間なら、だれがそのことを認めないか? それゆえ、アタナシウス信条の信仰の中に、それもまた全キリスト教世界の中に受け入れられた教えであり、次のことが言われている―
「主は生きている者と死んでいる者を裁くために来られ、その時、善を行なった者は永遠のいのちに、また悪を行なった者は永遠の火の中に入る」
[9.] それらから、教会の内部で見られるすべての教えは、生活を教えているがこと明らかである。また、生活を教えているので、救いは生活にしたがっていることを教えている。そして、人間の生活(いのち)は瞬間に吹き込まれない、しかし、継続的に形成され、また人間が悪を罪として避けるほど改心する。それゆえ、何が罪か気づくほど、そしてそれを知り、また認める、またそれを欲しないほど、このことそれから離れる。また神の知識に関係するその手段に気づくほど、これやそれによって人間の生活は形作られ、改心させられ、それはある瞬間に注ぎ込まれることができない。というのは、本質的に地獄のものである遺伝悪が遠ざけられ、またそれに代わって本質的に天界のものとなる善が植え付けられなくてはならないからである。
人間は自分の遺伝悪から、理解力に関してミミズクに、また意志に関してヘビにたとえることができる。また改心した後の人間は、理解力に関してキジバトに、また意志に関して小羊にたとえることができる。それゆえ、瞬間の改心とここからの救いは、比較によって、ミミズクをキジバトに、そしてヘビを小羊に瞬間的に変化させるようなものになったであろう。
ミミズクやヘビの性質が取り除かれ、またキジバトや子羊の性質が植え付けられないならこのことが存在しないことを、人間の生活について何らかのことを知っている者のだれが見ないか?
[10.] さらにまた、知性のあるすべての者はさらに知的に、また賢明であるすべての者はさらに賢明になることができること、また知性(理解力)と知恵は人間のもとで成長することができ、またある者のもとで、幼児期からその生涯の終わりまで成長し、また人間はこのように絶えず完全にされることがよく知られている。
霊的な知性と知恵は、どのようにもっと〔完全とされないか〕? これは自然的な知性と知恵の上の二つの段階によって上昇し、また上昇するとき、言語に絶する天使のものになる。これが天使たちのもとで永遠に成長することは、前に言われている。
永遠に完全にされるものが瞬く間に完全になることは不可能であることを、もし欲するなら、だれが理解することができないか?。
(1) 原文
339. Ex his nunc patet, quod omnes qui cogitant ex vita de salvatione, non cogitent de aliqua salvatione momentanea ex immediata misericordia, sed de mediis salutis, in quae et per quae Dominus secundum leges Divinae suae Providentiae operatur, ita per quae homo a Domino ex pura misericordia ducitur. At illi, qui non cogitant ex vita de salute, ponunt momentaneum in salvatione, ac immediatum in misericordia; ut faciunt illi qui separant fidem a charitate, (charitas est vita,) et momentaneum fidei ponunt, et si non prius, circa ultimam mortis horam. Et hoc quoque faciunt illi, qui remissionem peccatorum absque paenitentia credunt esse absolutionem a peccatis, et sic salvationem, et obeunt Sanctam Cenam; tum qui fidunt indulgentiis monachorum; et qui precibus illorum pro defunctis; ac dispensationibus ex potestate sibi vindicata super animas hominum.
(2) 直訳
Ex his nunc patet, quod omnes qui cogitant ex vita de salvatione, non cogitent de aliqua salvatione momentanea ex immediata misericordia, sed de mediis salutis, in quae et per quae Dominus secundum leges Divinae suae Providentiae operatur, ita per quae homo a Domino ex pura misericordia ducitur. そこでこれらから明らかである、すべての者は、救いについて生活から考える者、直接の慈悲からの何らかの瞬間の救いを考えないこと、しかし、救いの手段について、その中に、またそれによって、主はご自分の神的な摂理にしたがって働かれる、そのように(したがって)それによって人間は主により純粋な慈悲によって導かれる。
At illi, qui non cogitant ex vita de salute, ponunt momentaneum in salvatione, ac immediatum in misericordia; しかし、彼らは、救いについて生活から考えない者、救いの中に瞬間のものを、慈悲の中に直接のものを置く(見いだす)。
ut faciunt illi qui separant fidem a charitate, (charitas est vita,) et momentaneum fidei ponunt, et si non prius, circa ultimam mortis horam. 例えば、彼らは行なう、信仰を仁愛から分離する者、(仁愛は生活である)、また瞬間のものを信仰に置く、また前にでないなら、死の最期の時の近くに。
Et hoc quoque faciunt illi, qui remissionem peccatorum absque paenitentia credunt esse absolutionem a peccatis, et sic salvationem, et obeunt Sanctam Cenam; またこのこともまた彼らは行なう、悔い改めなしの罪の許しは罪からの赦免であることを信じる、またこのように救い、また聖餐に出席する。
tum qui fidunt indulgentiis monachorum; なおまた、その者は修道士の免償状☆に信頼する。
☆ 免償とはカトリック(神学)用語です。いわゆる「罪と罰」のうち、罪ではなく、罪にともなう「罰」を軽減することです。一般的には「免罪符」などの言い方がされますが、それでは「罪を許す」ことになります。罰は「煉獄」で受けますが、それを軽減されることで、天界に行きやすくするわけです。
et qui precibus illorum pro defunctis; またその者は死んだ者のための彼らの祈りに〔信頼する〕。
ac dispensationibus ex potestate sibi vindicata super animas hominum. そして特免状に〔信頼する〕、人間の霊魂の上に、自分自身に要求した権限から。
(3) 訳文
339. そこでこれらから、救いについて生活から考えるすべての者は、直接の慈悲からの何らかの瞬間の救いを考えず、しかし、救いの手段について、その中にまたそれによって、主はご自分の神的な摂理にしたがって働かれるが、それによって人間は主により純粋な慈悲によって導かれることが明らかである。しかし、救いについて生活から考えない者は、救いの中に瞬間的なものを、慈悲の中に直接的なものを置く。
例えば、信仰を仁愛から分離する者は、(仁愛は生活であるが)、また信仰を瞬間的なものにし、また死の前にでないなら、最期の時の近くのものにする。また彼らは、悔い改めなしの罪の許しは罪からの赦免であり、またこのように救いであることを信じもし、聖餐に出席する。
なおまた、その者は修道士の免償状に、死んだ者のための彼らの祈りに、そして人間の霊魂の上に、彼ら自身が要求した権限からの特免状に信頼する。