(2) 直訳
Sed haec in serie demonstranda sunt. しかし、これらは連鎖(系列)の中で論証されなくてはならない。
Primum: 第一:
Quod omnis religio successu temporis decrescat et consummetur.― すべての宗教は時間の経過〔とともに〕衰える、また完了される(終わりにされる)こと。
In hac tellure fuerunt plures ecclesiae, una post alteram; この地球の中に多くの教会があった、一つの後にもう一つのもの。
nam ubi datur genus humanum, ibi datur ecclesia; なぜなら、人類が存在する場所に、そこに教会が存在するから。
caelum enim, quod est finis creationis, est ex humano genere, ut supra demonstratum est; というのは、天界は、それは創造の目的である、人類から存在するから、上に論証された(示された)ように。
et non aliquis in caelum venire potest, nisi sit in duobus universalibus ecclesiae, quae sunt agnoscere Deum, et bene vivere, ut mox supra (n. 326), ostensum est. またある者は天界の中にやって来ることができない、教会の二つの普遍的なものの中にいないなら、それらは神を認めることである、また善く生きること、すぐ上に(326番)、示されたように。
Inde sequitur, quod in hac tellure fuerint ecclesiae ab antiquissimo tempore, usque ad tempus hodiernum. ここから~ということになる、この地球の中に教会があったこと、最も古い時代から、今日の(現在の)時まで。
Illae ecclesiae describuntur in Verbo, sed non historice, modo Ecclesia Israelitica et Judaica; それらの教会は、みことばの中に記述されている、しかし、歴史に(書かれてい)ない、イスラエルとユダヤの教会だけ〔を除いて〕。
ante quam tamen plures fuerunt, et hae solum ibi descriptae sunt per gentium et personarum nomina, et per quaedam de illis. その前にそれでも多くのものがあった、またそれら〔教会〕はただそこに記述されている、国民と人物の名前によってだけ、またそれらについてあるものによって。
[2.] Antiquissima Ecclesia, quae prima fuit, descripta est per Adamum et Chaivam uxorem ejus. [2.] 最古代教会は、それは最初のものであった、アダムと彼の妻エバによって記述されている。
Ecclesia sequens, quae Ecclesia Antiqua vocanda est, descripta est per Noachum et tres ejus filios, ac per posteros ex illis; 続く教会は、それは古代教会と呼ばれるべき☆である、ノアと彼の三人の息子によって記述されている、そして彼らの子孫(後継者)によって。
☆ vocanda (est)は動形容詞です、ここは「~べきである」の意味です。
haec fuit ampla, et extensa per plura regna Asiae,― quae fuerunt terra Canaan cis et trans Jordanem, Syria, Assyria et Chaldaea, Mesopotamia, Aegyptus, Arabia, Tyrus et Sidon: これらは広かった(大きかった)、またアジアの多くの王国を通して拡大した、―それらはカナンの地、ヨルダン川のこちら側と越えた側、シリア、アッシリアとカルデア、メソポタミア、エジプト、アラビア、ツロとシドン。
apud hos fuit Verbum vetustum, de quo in Doctrina Novae Hierosolymae de Scriptura Sacra (n. 101-103). これらの者のもとに古代の(古い)みことばがあった、それについては『新しいエルサレムの教え、聖書について』の中に(101-103番)。
Quod illa ecclesia in his regnis fuerit, constat ex variis, quae de illis in propheticis Verbi memorantur. その教会がこれらの王国の中にあったことは、いろいろなものから明らかである、それらはそれらについてみことばの預言の中に記録されている。
Sed illa ecclesia insigniter mutata est ab Ebero, ex quo orta est ecclesia Hebraea: しかし、その教会はエベル☆によって著しく変えられた。
☆ エベルについては「創世記」第10章。セムの系列の一人(第11章)。
in hac cultus per sacrificia primum insitutus est. この〔教会〕中にいけにえによっての礼拝が初めて制定された。
Ex Hebraea Ecclesia nata est Ecclesia Israelitica et Judaica, sed solenniter insituta propter Verbum, quod ibi conscriberetur. へブル教会からイスラエルとユダヤの教会が生まれた、しかし、みことばのために儀式的に(形式的に)設立された、〔みことばは〕そこに書かれたこと。
[3.] Hae quatuor ecclesiae intelliguntur per statuam visam Nebuchadnezari in somnio, cujus caput erat ex auro puro, pectus et brachia ex argento, venter et femora ex aere, ac crura et pedes ex ferro et argilla (Dan. ii. 32, 33). [3.] これら四つの教会は夢の中でネブカデネザルに見られた彫像(柱)によって意味される、その頭は純金からできていた、胸と腕は銀から、腹とももは銅から、そして脚(すね)と足は鉄と粘土から(ダニエル2:32, 33)。
Nec aliud per saecula aureum, argenteum, cupreum, et ferreum, a scriptoribus antiquis memorata, intelligitur. 金、銀、銅、鉄の時代によっても何らかのものが意味されない☆、古代の作家によって記述された。
☆ 「何らかのものが意味されない」では理解に苦しみと思います(私も同じく)、「同じことを意味する」と意訳します。
Quod Ecclesiae Judaicae successerit Ecclesia Christiania, notum est. キリスト教会がユダヤ教会の後に続いたことは、よく知られている。
Quod omnes illae ecclesiae successu temporis decreverint usque ad finem, qui vocatur consummatio, ex Verbo etiam videri potest. それらのすべての教会は時間の経過〔とともに〕衰えた、終わりまでも、それは完了(終局)と呼ばれる、みことばからもまた見られることができる。
[4.] Consummatio Ecclesiae Antiqussimae, quae facta est per esum ex arbore scientiae, per quem significatur fastus propriae intelligentiae, describitur per diluvium. [4.] 最古代教会の完了(終局)は、それは知識の木から食べることによって起こった、それによってプロプリウムの知性の高慢が意味される、洪水によって記述されている。
Consummatio Ecclesiae Antiquae describitur per varias devastationes gentium, de quibus in Verbo tam historico quam prophetico, cumprimis per ejectionem gentium e terra Canaane a filiis Israelis. 古代教会の完了(終局)は国民のいろいろな荒廃によって記述されている、それらについてみことばの中に、歴史にも預言に(書かれたもの)も、特に、イスラエル民族によりカナンの地から追い出された国民によって。
Consummatio Ecclesiae Israeliticae et Judaicae intelligitur per destructionem templi Hierosolymitani, et per abductionem populi Israelitici in perpetuam captivitatem, ac gentis Judaicae in Babyloniam: イスラエルとユダヤ教会の完了(終局)はエルサレムの神殿の破壊によって意味される、またイスラエル民族の連れ去ることによって、絶え間ない捕囚の中に、そしてユダヤ民族をバビロニアの中に。
et demum per alteram templi et simul Hierosolymae destructionem, ac illius gentis dispersionem: また最後に、もう一つの(第二の)神殿と同時にエルサレムの破壊によって、そしてその国民の離散。
quae consummatio praedicitur in multis locis apud prophetas (et apud Danielem, ix. 24-27). この完了(終局)は預言者のもとの多くの個所に予言されている(また「ダニエル書」9:24-27のもとに)。
Ecclesiae autem Christianae successiva vastatio usque ad finem, describitur a Domino, apud Matthaeum (xxiv.), apud Marcum (xiii.), et apud Lucam (xxi.); けれども、キリスト教会の継続する荒廃は、最後まで、主により記述されている、「マタイ福音書」(第24章)のもとに、「マルコ福音書」(第13章)のもとに、また「ルカ福音書」(第21章)のもとに。
ipsa vero ejus consummatio in Apocalypsi. けれども、その完了(終局)そのものは「黙示録」の中に。
Ex his constare potest, quod ecclesia successu temporis decrescat et consummetur; これらから明らかにすることができる、教会は時間の経過〔とともに〕衰える、また完了される(終わりにされる)こと。
ita quoque religio. このように宗教もまた。
(3) 訳文
328. しかし、これらは連鎖の中で論証されなくてはならない。
第一:「すべての宗教は時間の経過とともに衰え、また完了すること」
この地上に、一つの後にもう一つのものと、多くの教会があった。なぜなら、人類が存在するところには、そこに教会が存在するから。というのは、前に論証されたように、創造の目的である天界は人類から存在し、またすぐ前に示されたように(326番)、神を認めること、また善く生きることである教会の二つの普遍的なものの中にいないなら、その者は天界の中にやって来ることができないからである。
ここから、最も古い時代から今日の時まで、この地上に教会があったことがいえる。それらの教会は、みことばの中に記述されているが、しかし、イスラエルとユダヤの教会だけしか歴史に書かれていない。それでもその前に多くの教会があり、またそれらはただそこに、国民と人物の名前によってだけ、またそれらについての何らかのものによって記述されている。
[2.] 最初のものであった最古代教会は、アダムと彼の妻エバによって記述されている。古代教会と呼ぶべき続く教会は、ノアと彼の三人の息子によって、そして彼らの子孫によって記述されている。これらは広くアジアの多くの王国を通して拡大した―それらはカナンの地、ヨルダン川のこちら側と越えた側、シリア、アッシリアとカルデア、メソポタミア、エジプト、アラビア、ツロとシドンである。これらの者のもとに古代のみことばがあった、それについては『新しいエルサレムの教え、聖書について』の中にある(101-103番)。その教会がこれらの王国の中にあったことは、それらについて、みことばの預言の中に記録されているいろいろなものから明らかである。しかし、その教会はエベルによって著しく変えられた。この教会で、いけにえによる礼拝が初めて制定された。へブル教会からイスラエルとユダヤの教会が生まれたが、しかし、そこに書かれたみことばのために儀式的に設立された。
[3.] これら四つの教会は、ネブカデネザルに夢の中で見られた、頭は純金から、胸と腕は銀から、腹とももは銅から、そしてすねと足は鉄と粘土からできていた像によって意味される(ダニエル2:32, 33)。
古代の作家によって記述された金、銀、銅、鉄の時代によっても同じことが意味される。キリスト教会がユダヤ教会の後に続いたことは、よく知られている。
それらのすべての教会は時間の経過〔とともに〕完了(終局)と呼ばれるその終わるまでも衰えたことが、みことばからもまた見られることができる。
[4.] 最古代教会の完了(終局)は、プロプリウムの知性の高慢が意味される知識の木から食べることによってひき起こされ、洪水によって記述されている。古代教会の完了(終局)は、みことばの中の歴史にも預言にも書かれている国民についてのいろいろな荒廃によって、特に、イスラエル民族によりカナンの地から追い出された国民によって記述されている。イスラエルとユダヤ教会の完了(終局)は、エルサレムの神殿の破壊によって、またイスラエル民族を絶え間ない捕囚の中に、そしてユダヤ民族をバビロニアの中に連れ去ることによって。また最後に、二度目の神殿の破壊と同時にエルサレムの破壊、そしてその国民の離散によって意味される。この完了(終局)は、預言書の多くの個所に予言されている(また「ダニエル書」9:24-27にも)。
けれども、キリスト教会の最後まで継続する荒廃は、主により、「マタイ福音書」(第24章)に、「マルコ福音書」(第13章)に、また「ルカ福音書」(第21章)に、それでもその完了(終局)そのものは「黙示録」に記述されている。
これらから、教会は、このように宗教もまた、時間の経過〔とともに〕衰え、また終わりにされることを明らかにすることができる。