(2) 直訳
[9.] Quartum:― [9.] 第四:―
Quod detur confirmatio intellectualis et non simul voluntaria, et quod omnis confirmatio voluntaria etiam sit intellectualis.― 理解力の確信(証明)が存在すること、また意志の〔確信(証明)〕と同時にではなく、しかし、すべての意志の確信(証明)は理解力の中にもまたあること。
Sint exempla illustrationi. 実例〔のため〕に例がある(接続)。
Illi qui confirmant fidem separatam a charitate, et usque vitam charitatis vivunt, in genere qui confirmant falsum doctrinae et tamen non vivunt secundum illud, sunt qui in confirmatione intellectuali sunt, et non simul in confirmatione voluntaria: 彼らは、仁愛から分離した信仰を確認する者は、またそれでも仁愛の生活を生きる(送る)、一般的に、その者は教えの虚偽を確信する、またそれでもなおそれにしたがって生きない、その者は理解力〔から〕の確信の中にいる、また同時に意志〔から〕の確信の中に〔い〕ない。
at qui confirmant falsum doctrinae, et vivunt secundum illud, illi sunt qui in confirmatione voluntaria et simul in intellectuali sunt. しかし、教えの虚偽を確信する者は、またそれにしたがって生きる、彼らは意志の確信の中にいる、また同時に理解力〔から〕の〔確信の〕中にいる。
Causa est, quia intellectus non influit in voluntatem, sed voluntas in intellectum. 理由である、理解力は意志の中に流入しないので、しかし意志が理解力の中へ。
Ex his etiam patet quid falsum mali est, et quid falsum non mali: これらからもまた悪の虚偽が何であるか明らかである、また悪のでない虚偽が何か。
quod falsum non mali possit conjungi cum bono, non autem falsum mali, causa est, quia falsum non mali est falsum in intellectu et non in voluntate, et falsum mali est falsum in intellectu ex malo in voluntate. 悪のでない虚偽は善と結合されることができる、けれども悪の虚偽は〔結合されることができ〕ない、理由である、悪のでない虚偽は理解力の中の虚偽であるので、また意志の中にない、また悪の虚偽は意志の中の悪から理解力の中の虚偽である。
[10.] Quintum: [10.] 第五:
Quod confirmatio mali voluntaria et simul intellectualis faciat, ut homo credat propriam prudentiam esse omne, et Divinam Providentiam non aliquid; 意志と同時に理解力〔から〕の悪の確信(証明)は行なうこと、プロプリアムの思慮がすべてであると人間が信じるように、また神的な摂理は何ものでもない。
non autem sola confirmatio intellectualis.― けれども理解力〔から〕の確信(証明)だけ〔なら、このことは行なわれ〕ない。
Sunt plures qui apud se confirmant propriam prudentiam ex apparentiis in mundo, sed usque non negant Divinam Providentiam; 多くの者がいる、その者は自分自身のもとに世の中の外観からプロプリウムの思慮を確信する、しかしそれでも神的な摂理を否定しない。
his est modo confirmatio intellectualis; これらの者には理解力だけ〔から〕の確信がある
at qui simul negant Divinam Providentiam, illis quoque est confirmatio voluntaria; しかし、同時に神的な摂理を否定する者は、彼らにはまた意志〔から〕の確信がある。
at haec una cum persuasione est praecipue apud illos qui cultores naturae et simul cultores sui sunt. しかしこれらは特に彼らの者のもとで信念と一緒に〔なっている〕、自然の崇拝者と同時に自分自身の崇拝者である者。
[11.] Sextum: [11.] 第六:
Quod omne confirmatum voluntate et simul ab intellectu permaneat in aeternum; 意志と同時に理解力〔から〕のすべての確信(証明)は永久に残ること、
non autem id quod modo confirmatum est ab intellectu: けれどもそれは〔残ら〕ない、単に理解力から確信(証明)されるもの。
id enim quod solius intellectus est, non est in homine, sed est extra illum; というのは、それは、理解力のものだけであるもの、人間の中にない、しかし彼の外にあるから。
est solum in cogitatione et nihil intrat hominem, et ei appropriatur, nisi quod excipitur a voluntate, hoc enim fit amoris vitae ejus; 思考の中にだけあり、決して(何も)人間に入らない、また彼に専有される(ない)、意志により受け入れられるものでないなら、というのは、これは彼のいのちの愛のものになるから。
quod hoc permaneat in aeternum, in nunc sequenti numero dicetur. これが永久に残ることは、ここで続く数字(番号☆)の中で言われる。
☆ numerusの意味に「番号」は、チャドウィックの『レキシコン』にありませんでした。ここで「著作」の叙述上の「通し番号」を意味するのは明らかなので、『レキシコン』にこの意味を追加しておきます。
@1 2 pro “3” 注1「3」の代わりに2。
(3) 訳文
318. [9.] 第四:「意志の確信と同時にではなく理解力からの確信が存在すること、しかし、意志からのすべての確信は理解力の中にもまたあること」
明らかにするために例を示そう。
仁愛から分離した信仰を確認し、またそれでも仁愛の生活を送る者は、一般的に、その者は教えの虚偽を確信するが、それでもなおそれにしたがって生きない。その者は理解力からの確信の中にいて、また同時に意志からの確信の中にはいない。しかし、教えの虚偽を確信する者は、またそれにしたがって生き、彼らは意志からの確信の中に、また同時に理解力からの確信の中にいる。その理由は、理解力は意志の中に流入しないで、しかし意志が理解力の中へ流入するからである。これらからもまた悪からの虚偽が何であり、また悪からでない虚偽が何であるか明らかである。悪からでない虚偽は善と結合されることができる、けれども悪からの虚偽は結合されることができない。その理由は、悪からでない虚偽は理解力の中の虚偽であって、意志の中になく、また悪からの虚偽は意志の中の悪から理解力の中の虚偽であるからである。
[10.] 第五:「意志と同時に理解力からの悪の確信は、プロプリアムの思慮がすべてであり、神的な摂理は何ものでもない、と人間が信じるようにする、けれども理解力だけからの確信なら、このことは行なわれないこと」
自分自身のもとに世の外観からプロプリウムの思慮を確信する、しかしそれでも神的な摂理を否定しない多くの者がいる。これらの者には理解力だけからの確信がある。しかし、同時に神的な摂理を否定する者は、彼らには意志からの確信もまたある。しかしこれらは特に、自然の崇拝者と同時に自分自身の崇拝者である者のもとでその信念と一緒になっている。
[11.] 第六:「意志と同時に理解力からのすべての確信は永久に残る、けれども理解力だけから確信されるものは残らないこと」
というのは、理解力だけからのものは、人間の中になく、彼の外にあり、意志により受け入れられるものでないなら、思考の中にだけあり、決して人間に入らず、彼のものになることもないからである。というのは、意志により受け入れられるものは彼のいのちの愛のものになるから。これが永久に残ることは、ここで続く番号(の個所)の中で述べる。