(2) 直訳
[4.] Tertium: [4.] 第三:
Quod Divina Providentia continue faciat hominem videre verum, et quod etiam det affectionem percipiendi illud et recipiendi illud. 神的な真理は絶えず人間が真理を見るようにし、そしてまたそれを知覚する情愛も与えること。
Hoc fit, quia Divina Providentia agit ab interiori, et per id influit in exteriora, seu a spirituali in illa quae sunt in naturali homine, ac per lucem caeli illuminat intellectum, et per calorem caeli vivificat voluntatem. このことが生じる、神的な摂理が内的なものから働くからである、またそれを通して外的なものに流入する、すなわち、霊的なものからそれらの中に、それらは自然的な人間の中にある、そして、天界の光によって理解力が照らされる、また天界の熱によって意志を生き生きとさせる。
Lux caeli in sua essentia est Divina Sapientia. 天界の光はその本質では神的な知恵である。
et calor caeli in sua essentia est Divinus Amor; また、天界の熱はその本質では神的な愛である。
et ex Divina Sapientia non aliud influere potest quam verum, et ex Divino Amore non aliud influere potest quam bonum, et ex hoc dat Dominus in intellectu affectionem videndi verum, et quoque percipiendi et recipiendi illud: 神的な知恵からは真理以外に何らかのものは流入することができない、また神的な愛からは善以外に何らかのものは流入することができない、またこのことから主は理解力の中に真理を見る情愛を与える、そしてまたそれを知覚し、受け入れる〔情愛を〕。
sic fit homo non solum quoad externam faciem homo, sed etiam quoad internam. このように人間は、外なる顔(外見)に関してだけでなく、しかしまた内なる〔顔(外見)〕に関して人間になる。
Quis non vult videri ut homo rationalis et spiritualis? だれが見られることを欲しないか? 理性的で道徳的な人間として。
Et quis non scit, quod velit videri ut ab aliis credatur quod sit verus homo? また、だれが知らないか? 見られることを欲すること、他の者から真実の(誠実な)人間であることを信じられるように。
Si itaque solum est rationalis et spiritualis in externa forma, et non simul in interna, num ille est homo?
そこでもし、外なる形の中だけで理性的で霊的であるなら、また同時に内なる中でない、彼は人間であるのか?
num est aliud quam sicut histrio super theatro, aut sicut simia cui facies paene humana? 舞台の上の俳優以外の何者であるのか? またはほとんど人間の顔をもつサルのような。
Annon inde nosse potest, quod ille solum sit homo, qui interius est, sicut ab aliis vult videri; ここから知ることができるのではないか、彼だけが人間であること、その者は内的に、他の者から見られることを欲するような、〔もの〕である。
qui agnoscit unum, agnoscet alterum. 一つ(一方)を認める者は、もう一つ(他方)を認める。
Propria intelligentia solum potest externis inducere formam humanam, sed Divina Providentia inducit internis, et per interna externis illam formam; プロプリウム(自己固有)の知性は外的に人間の形を着せる(導き入れる)ことができるだけである、しかし、神的な摂理は内的に着せる(導き入れる)、また内的なものによって(通して)外的なものにその形を〔着せる(導き入れる)〕。
quae quando inducta est, homo non apparet ut homo, sed est homo. それが着せ(導き入れ)られた時、人間は人間のように見られない☆、しかし、人間である。
☆ ちょっと意味が汲み取りづらくなっていますので、注釈します。「外的なものが」着せれた時、「本来の内的な」人間は、「本来のままの」人間のように見えないが、それでも「同一の」人間である、ということでしょう、「…」が部分が私の解釈による補足です。
[5.] Quartum: [5.] 第四:
Quod homo per id abducatur a malo, non a se sed a Domino. 人間はそのことによって悪から自分自身からでなく、しかし、主により導き出されること。
Quod cum Divina Providentia dat videre verum, et simul affectionem ejus, homo possit abduci a malo, est quia verum monstrat et dictat; 神的な摂理が真理を見ることを与えるとき、また同時にその情愛を、人間は悪から導き出されることができる、真理が示し、定めるからである。
et cum voluntas facit id, conjungit se cum illo, ac in se vertit verum in bonum; また、意志がこのことを行なうとき、それ自体をそれと結合させる、そしてそれ自体の中で真理を善に変える。
fit enim amoris ejus, et quod amoris est, hoc est bonum. というのは、彼の愛のものが生じる〔行なわれる〕から、また愛のものであるものは、これは善である〔から〕。
Omnis reformatio fit per verum, et non absque illo, nam absque vero est voluntas continue in suo malo, et si consulit intellectum, non instruitur, sed confirmatur malum per falsa. すべての改心は真理によって行なわれる〔生じる〕、またそれなしに〔生じ〕ない、なぜなら、真理なしに意志は絶えず自分の悪の中にあるから、またもし理解力にはかるなら、教えられない、しかし、虚偽によって悪を確信する(強める)。
[6.] Quod intelligentiam attinet, illa apparet ut sua atque propria tam apud hominem bonum quam apud hominem malum; [6.] 理解力については☆、それは自分のもの、そしてまた(自分に)固有のものに見える、善人のもとにも、悪人のもとにも。
☆ quod (aliquid) attimetで「~については、~に関しては」という意味です。
et quoque tenetur bonus aeque agere ex intelligentia sicut propria, quemadmodum malus: そしてまた、善い者は等しく行動することを保たれる、(自分に)固有のもののように知性から、悪い者のように。
sed qui credit Divinam Providentiam, ille abducitur a malo; しかし、神的な摂理を信じる者は、彼らは悪から連れ去られる。
at qui non credit, non abducitur: しかし、信じない者は、連れ去られない。
et ille credit, qui agnoscit malum esse peccatum, et ab illo vult abduci; また彼は信じる、その者は悪が罪であることを認める、またそれから連れ去られることを欲する。
et ille non credit qui non agnoscit et vult. また、彼は信じない、その者は認めない、また欲しない。
Differentia inter binas illas intelligentias, est sicut inter id quod creditur esse in se, et inter id quod creditur non esse in se sed usque sicut in se; これら二人の知性の違いは、そのことの間のようである、本質的に存在することが信じられるもの、またそのことの間の、本質的に存在しないことが信じられる、しかしそれでも本質的〔であるかの〕ように。
et est quoque sicut inter externum absque tali consimili interno, et inter externum cum consimili interno; また、外なるものの間のようでもある、内なるものにまったく同様なもの、このようなものなしに、また外なるものの間〔のようである〕、内なるものにまったく同様なものとともに。
ita sicut inter loquelas et gestus mimorum et hariolorum, qui agunt personas regum, principum et ducum, et inter ipsos reges, principes et duces; そのように、喜劇俳優や道化の話しと身振りの間のよう〔である〕、その者は王、君主また大公の人物を演じる、また王、君主また大公そのものの間の。
hi interius et simul exterius tales sunt, illi autem modo exterius; これら(後者)は内的にと同時に外的にこのような者である、けれどもそれら(前者)は単に外的に〔このような者である〕。
quod cum exuitur, vocantur comoedi, histriones et ludiones. 〔衣装など〕脱がされるとき、喜劇役者、俳優,また役者(演技者)と呼ばれること。
(3) 訳文
298. [4.] 第三:「神的な真理は絶えず人間が真理を見るようにし、そしてまたそれを知覚する情愛も与えること」
このことが生じるのは、神的な摂理が内的なものから働き、またそれを通して外的なものに、すなわち、霊的なものから自然的な人間の中にあるものに流入し、天界の光によって理解力が照らされ、また天界の熱によって意志を生き生きとされるからである。
天界の光はその本質では神的な知恵であり、天界の熱はその本質では神的な愛である。神的な知恵からは真理以外に何も流入することができず、また神的な愛からは善以外に何も流入することができず、またこのことから主は理解力の中に真理を見、そしてまたそれを知覚し、受け入れる情愛を与えられる。このように人間は、外なる顔に関してだけでなく、しかしまた内なる顔に関して人間になる。
理性的で道徳的な人間として見られることをだれが欲しないか? また、他の者から誠実な人間であると信じられるように見られることを欲することを、だれが知らないか? そこでもし、外なる形の中だけで理性的で霊的であり、また同時に内なる中でないなら、彼は人間であるのか? 舞台上の俳優、または人間の顔そっくりのサル以外の何者なのか? ここから、他の者から内的に見られることを欲するような者だけが人間であることを知ることができるのではないか。一方〔内的なもの〕を認める者は、もう一方〔外的なもの〕を認める。
プロプリウム(自己固有)の知性は外的に人間の形を着せることができるだけである、しかし、神的な摂理は内的に着せ、また内的なものによって外的なものにその形を着せる。それが着せられた時、〔外なる〕人間は〔内なると同じ〕人間のように見られない、しかし、〔よく見れば、内なる〕人間である。
[5.] 第四:「人間はそのことによって悪から自分自身からでなく、しかし、主により導き出されること」
神的な摂理が真理を見ることを、また同時にその情愛を与えるとき、人間は悪から導き出されることができる、真理が示し、定めるからである。また、意志がこのことを行なうとき、意志自体を善と結合させ、そしてそれ自体の中で真理を善に変える。というのは、彼の愛に属するものが生じ、また愛に属
すべての改心は真理によって行なわれ、またそれなしに生じない、なぜなら、真理なしに意志は絶えず自分の悪の中にあるから、またもし理解力にはかるなら、教えられないで、しかし、虚偽によって悪を確信する。
[6.] 理解力については、それは善人のもとでも悪人のもとでも、自分のもの、そしてまた(自分に)固有のものに見える。そしてまた、善い者は(自分に)固有のもののように知性から、悪い者と等しく行動するようにされる。しかし、神的な摂理を信じる者は悪から連れ去られ、しかし、信じない者は連れ去られない。また悪が罪であることを認め、信じる者は、それから連れ去られることを欲する。認めないし、信じない者は、欲しもしない。
これら二人の知性の違いは、本質的に存在することが信じられるものと、本質的には存在しないで、それでも本質的であるかのようにが信じられることの間の違いのようである。また、内なるものにまったく同様なもののない外なるものと、内なるものにまったく同様なものがとともある外なるものの間のよう〔な違い〕でもある。そのように、王、君主また大公の人物を演じる喜劇俳優や道化の話しと身振りと、王、君主また大公そのものの間の〔違い〕のようである。後者は内的と同時に外的にそのような者であるが、前者は単に外的にそのような者である。〔その者は衣装などが〕脱がされるとき、喜劇役者、俳優,また役者と呼ばれる。