原典講読「神の摂理』 296([10]~[12])

 

(2) 直訳


[10.] Quartum: [10.] 第四:


Quod abductio a malo fiat mille modis etiam arcanissimis, a Domino. 「悪から連れ去ることは千の方法で、さらにまた最も神秘的な方法で、主により行なわれること」


Ex illis solum aliqua mihi detecta sunt, verum non nisi quam communissima; それらからあるものだけが私に示された、しかし、最も一般的な(概括的な)の以外でないなら〔示され〕なかった。


quae sunt, quod jucunda concupiscentiarum, de quibus homo nihil scit, catervatim et fasciculatim emittantur in cogitationes interiores, quae sunt spiritus hominis, et inde in cogitationes exteriores ejus, in quibus apparent sub aliquo sensu volupis, amoeni aut cupidi; それらである、欲望の快さは、それらについて人間は何も知らない、群れをなしてまた束になって内的な思考の中に送り出される、それらは人間の霊である、またここから彼の外的な思考の中へ、それらの中に何らかのここちよい、愉快な、または欲望の感覚のもとに見られる。


et commiscentur ibi cum jucundis naturalibus et sensualibus ejus. またそこに彼の自然的で感覚的な快さと混ぜられる。


Ibi sunt media separationis et purificationis, et quoque viae abductionis et exonerationis. そこに分離のまた浄化の手段がある、そしてまた連れ去ること(離脱)と荷を下すこと(除くこと)の道(方法)


Media sunt imprimis jucunda meditationis, cogitationis, reflexionis propter aliquos fines, qui sunt usus, et fines qui sunt usus sunt totidem quot particularia et singularia negotii et functionis alicujus; 手段は特に熟考の、思考の、反省(考慮)の快さである、何らかの目的のために、それは役立ちである、また役立ちである目的は同数である、ある者の仕事(職業)や職務(役目)個別のものと個々のものだけ多く。


tum etiam quot sunt jucunda reflexionis propter fines ut appareat sicut homo civilis et moralis, et quoque sicut homo spiritualis, praeter injucunda quae interpolant. なおまたさらに反省(考慮)の快さだけ多くある、目的のために、人間が市民的で道徳的であるように見られるために、そしてまた霊的な人間のように、快さを除いて、それらは中途妨害する。


Illa jucunda quia sunt amoris ejus in externo homine, sunt media separationis, purificationis, excretionis et abductionis jucundorum concupiscentiarum mali interni hominis. それらの快さは、外なる人間の中の彼の愛のものであるので、分離の、浄化の、連れ去ること(離脱)と荷を下すこと(除くこと)の手段である、内なる人間の悪の欲望の快さの。


[11.] Sit pro exemplo judex injustus, qui spectat lucra aut amicitias ut fines seu ut usus functionis suae; [11.] 例として不正な裁判官がある(接続)、その者は目的として、すなわち自分の職務の役立ちとして利益または友情を眺めている。


is interius continue in illis est, sed exterius ut agat sicut legisperitus et justus; 彼は内部で絶えずそれらの中にいる、しかし、外部で法律の専門家と正しい(公正な者)ように行動するように〔している〕。


ille continue in jucundo meditationis, cogitationis, reflexionis ac intentionis est, ut jus flectat, vertat, adaptet et coaptet, usque ut legibus conforme, ac justitiae analogon appareat; 彼は絶えず、熟考の、思考の、反省(考慮)の、そして意図の快さの中にいる、法律を曲げる、変える、適合させる、また集めるように、それでも法律に一致して〔いる〕ように、そして公正の類似物が見られる。


nec scit quod internum ejus jucundum consistat ex astutiis, fraudibus, dolis, furtis clandestinis, ac multis aliis, et quod illud jucundum ex tot jucundis concupiscentiarum mali compositum dominetur in omnibus et singulis externae cogitationis, in qua jucunda apparentiae quod sit justus et sincerus, sunt. もまた知らない、彼の内なる快さは、欺くこと、ごまかすこと、欺瞞(策略)盗み、隠すこと、そして他の多くのものから成っていること、また、その快さはこのように多くの快さから構成されて〔いる〕、外なる思考のすべてと個々のもの中で支配している、その外見の快さの中に、それは公正と誠実である、(ある)


In haec jucunda externa demittuntur jucunda interna, et commiscentur sicut cibi in ventriculo; これらの外なる快さの中に内なる快さが降ろされる、また胃の中の食物にのように混ぜられる。


et ibi separantur, purificantur et abducuntur; またそこに分離され、清められ、連れ去れられる。


sed usque non alia jucunda concupiscentiarum mali quam quae graviora sunt: しかし、それでも、他のものではない☆、悪の欲望の快さ、それは重い(厳しい)のである以外の。


ここには「動詞」がなく、省略されています。直前の「分離し、清め、連れ去る」です。なお「連れ去る」とは、ここでは「胃」の次の段階である「小腸」でしょう、そして「吸収」されるか、排出されるのでしょう。人間の場合は、天界か地獄へですね。


[12.] apud hominem enim malum non datur alia separatio, purificatio et abductio quam malorum graviorum a minus gravibus; [12.] というのは、悪人のもとに他の分離、浄化また連れ去ること(離脱)は存在しないから、より重い(厳しい)悪以外の重さ(厳しさの)少ないものから。


at apud hominem bonum datur separatio, purificatio et abductio malorum non modo graviorum sed etiam minus gravium; しかし、善人のもとに悪の分離、浄化また連れ去ること(離脱)が存在する、重い(厳しい)ものだけでなく、しかしまた重さ(厳しさの)少ないものも。


et hoc fit per jucunda affectionum boni ac veri, ac justi et sinceri, in quas venit quantum mala spectat ut peccata, ac ideo fugit et aversatur illa, et magis si pugnat contra illa. またこのことは善と真理の情愛の快さによって行なわれる、そして公正と誠実の〔情愛〕、それらの中にやって来る、悪を罪として眺めるかぎり、そしてそれゆえそれらを避け、退ける、またさらに、もしそれらに対して闘うなら。


Haec sunt media, per quae Dominus purificat omnes qui salvantur; これらが手段である、それらによって主はすべての者を清められる、その者は救われる。


purificat etiam eosdem per media externa, quae sunt famae et honoris, et quandoque lucri; さらにまた同じ者を外なる手段によって清められる、それらは名声と名誉のものである、また時々、利益のもの。


sed usque his a Domino inserta sunt jucunda affectionum boni et veri, per quae diriguntur et aptantur ut fiant jucunda amoris proximi. しかし、それでも、これらに主より善と真理の情愛の快さが差し込まれ(挿入され)ている、それらによって導かれる(向けられる)、また適合される、隣人愛の快さとなるように。


 


(3) 訳文


296. [10.] 第四:「悪から連れ去ることは千の方法で、さらにまた最も神秘的な方法で、主により行なわれること」


 それらからあるものだけが私に示されたが、しかし、最も概括的なものでしかなかった。それらは欲望の快さであって、それらについて人間は、それらが群れをなしてまた束になって人間の霊である内的な思考の中に、またここから彼の外的な思考の中へ送り出され、それらの中に何らかのここちよい、愉快な、欲望が感覚のもとに見られ、またそこに彼の自然的で感覚的な快さと混ぜられることを何も知らない。


 そこには、分離また浄化の手段があり、そしてまた連れ去り、除く方法がある。手段は役立ちである何らかの目的のための、特に熟考、思考、反省の快さであり、また役立ちである目的は、ある者の仕事や職務の個別のものや個々のものと同じだけ多くのものがある。なおまたさらに、人間が市民的で道徳的な、そしてまた霊的な人間であるように見られる目的のために、妨害するものを除いて、その反省の快さだけ多くのものがある。それらの快さは、外なる人間の中の彼の愛に属するものであるので、内なる人間の悪の欲望の快さの分離、浄化、連れ去ることと除くことの手段である。


[11.] 目的として、すなわち自分の職務の役立ちとして利益または友情を眺めている不正な裁判官を例としよう。彼は内部で絶えずそれらの中にいるが、しかし、外部で法律の専門家、公正な者のように行動するようにしている。彼は絶えず、法律を曲げ、変え、適合させ、また集めるようとする熟考、思考、反省、そして意図の快さの中にいるが、それでも法律に合致し、そして公正の類似物と見られるようにしている。彼の内なる快さが、欺き、ごまかし、欺瞞盗み、隠すこと、そして他の多くのものから成っていること、また、その快さはこのように多くの快さから構成されていて、外なる思考のすべてと個々のもの中で支配し、公正と誠実の外見の快さの中にあることも知らない。


内なる快さが、胃の中で混ぜられる食物のように、これらの外なる快さの中に降ろされる。またそこで分離され、清められ、連れ去れられる。しかし、それでも、重いのである悪の欲望の快さしか、そのようにされない。


[12.] というのは、悪人のもとには、より重い悪がより重さの少ないものへの分離、浄化また連れ去られることしか存在しないからである。しかし、善人のもとには、重いものだけでなく、しかしまた重さの少ない悪の分離、浄化、連れ去ることが存在する。またこのことは善と真理の情愛の、そして公正と誠実の情愛快さによって行なわれ、悪を罪として眺め、そしてそれゆえ、それらを避け、退けるかぎり、さらにまた、もしそれらに対して闘うなら、それらの中にやって来る。


 これらが、それらによって主が救われるすべての者を清められる手段である。さらにまたその同じ者を、名声と名誉である、また時々は、利益である外なる手段によっても清められる。しかし、それでも、これらの手段には主より善と真理の情愛の快さがそれらによって隣人愛の快さとなるように導かれ、適合されよう挿入されている