原典講読「神の摂理』 296([3]~[6])

 

(2) 直訳


[3.] Secundum: [3.] 第二:


Quod malus in sua mala se ex se continue profundius inducat. 「悪い者は、自分自身から、自分の悪の中へ自分自身を絶えずさらに深く導き入れること」


Dicitur, ex se, quia omne malum est ex homine, vertit enim bonum, quod a Domino est, in malum, ut supra dictum est. 言われる、自分自身から、すべての悪は人間からであるので、というのは、人間は善を、それは主(のもの)からである、悪に変えるから、上に言われたように。


Quod malus se profundius inducat in malum, ipsa causa est, quod inferat se in societates infernales interius et interius, et quoque profundius et profundius, sicut vult et facit malum; 悪い者が自分自身をさらに深く導き入れることは、理由そのものである、自分自身を地獄の社会の中に導き入れること、内部へまた内部へ、そしてまた深くまた深く、悪を欲し、行なうほど(に応じて)


inde quoque crescit jucundum mali, et hoc occupat ita cogitationes ejus, ut tandem non sentiat dulcius. ここからもまた、悪の快さが増大する、またこのことがそのように彼の思考を占める、ついに心地よく感じるように。


Et qui se in societates infernales interius et profundius intulit, fit sicut circumligatus vinculis; また、自分自身を地獄の社会の中にさらに内部へまたさらに深く導いた者は、なわ(束縛)で巻きつけられたようになる。


sed quamdiu in mundo vivit, vincula non sentit; しかし、世の中に生きる間は、なわ(束縛)を感じない。


sunt sicut ex molli lana, aut ex lenibus filis serici, quae amat quia titillant; 柔らかい羊毛から(できている)うである、またはきめ細かい(柔らかい)絹糸から(できている)うである、くすぐるのでそれらを愛する。


verum post mortem vincula illa ex mollibus fiunt dura, et ex titillantibus pungentia. けれども、死後、そのなわ(束縛)は柔らかいものから固いものになる、またくすぐるものからチクチクと刺す(刺激する)ものに。


[4.] Quod jucundum mali incrementa capiat, notum est ex furtis, latrociniis, depraedationibus, vindictis, dominationibus, lucris, et aliis. [4.] 悪の快さの増大が始まることは、泥棒(すること)からよく知られている、強盗、略奪、復讐、支配、利益(をもうけること)、また他のこと。


Quis non in illis secundum successus et secundum exercitia non inhibita sentit elevationes jucundi? だれがそれらの中に成功にしたがって、また制止(抑制)のない実行にしたがって、快さの高まりを感じないか?


Notum est, quod fur in furtis tale jucundum sentiat, ut non desistere possit; よく知られている、泥棒は泥棒(すること)からこのような快さを感じること、やめることができないような。


et, mirum, quod amet unum nummum furatum plus quam decem nummos dono datos. また、奇妙な(驚くべき)ことに、盗まれ(盗んだ)つの硬貨を愛すること、贈り物として与えられた十の硬貨よりももっと。


Simile etiam foret cum adulteriis, nisi provisum esset, quod malum illud potentia decrescat secundum abusum; さらにまた姦淫する者に同様になった(接続・未完了)、備えられなかったなら、その悪の力(性的能力)濫用にしたがって衰えること。


at usque apud multos remanet jucundum cogitandi et loquendi illa, et si non plus, usque libido tangendi. しかし、それでも多くの者のもとにそれらを考え、話す快さが残っている、またもしより多くないなら、それでも触る情欲(欲望)が。


[5.] Sed nescitur, quod hoc inde sit, quod se in societates infernales interius ac interius, tum profundius et profundius inferat, sicut ex voluntate et simul cogitatione committit mala: [5.] しかし、知られていない、このことがここからであること、自分自身を地獄の社会の中へ、内部へそして内部へ、なおまた深くまた深く導くこと、意志と同時に思考から悪を犯すほど。


si modo in cogitatione sunt, et non in voluntate, nondum est cum malo in societate infernali, sed tunc intrat quando etiam sunt in voluntate; もし単に思考の中にいる、また意志の中にいないなら、まだ悪とともに地獄の社会の中にいない、しかし、その時、入る、意志の中にもいる時。


si tunc etiam cogitat quod id malum sit contra praecepta decalogi, et haec facit Divina, tunc ex proposito committit illud, et per id se demittit profunde, e quo non educi potest nisi per actualem paenitentiam. もしその時、さらにまた考えるなら、その悪が十戒の戒めに反していること、またこれらを神的なものとする〔なら〕、その時、それをはっきりとした目的で(故意に)犯す、またそのことを通して自分自身を深く降ろす、そこから連れ出されることができない、行動で現実化した(実際の)悔い改めによってでないなら。


[6.] Sciendum est, quod omnis homo quoad spiritum suum sit in mundo spirituali in quadam societate ibi, malus homo in societate infernali, et bonus homo in societate caelesti, apparet etiam quandoque ibi, dum in alta meditatione est. [6.] 知らなければならない、すべての人間は自分の霊に関して霊界の中に、そこにある社会の中にいること、悪い人間は地獄の社会の中に、また善い人間は天界の社会の中に、さらにまた時々そこに見られる、深い瞑想の中にいる時。


Tum, quod sicut sonus cum loquela se circumfundit in aere in mundo naturali, ita affectio cum cogitatione se in societates circumfundat in mundo spirituali; なおまた、話しとともに音声は自然界の中の空気の中で(それ自体を)わりに広げるように、そのように思考とともに情愛は霊界の中で、〔その〕社会の中に(それ自体を)わりに広げる。


est etiam correspondentia, nam affectio correspondet sono, et cogitatio loquelae. さらにまた対応が存在する、なぜなら、情愛は音声に、また思考は話しに対応するから。


 


(3) 訳文


296. [3.] 第二:「悪い者は、自分自身から、自分の悪の中へ自分自身を絶えずさらに深く導き入れること」


すべての悪は人間からであるので、自分自身からと言われる、というのは、前に言われたように人間は主)からのものである善を悪に変えるから。


 悪い者が自分自身をさらに深く導き入れる理由そのものは、悪を欲し、行なうほど自分自身を地獄の社会の中に、内部へまた内部へ、そしてまた深くまた深く導き入れることである。ここから、悪の快さもまた増大し、またこのことがついに心地よく感じるようにも彼の思考を占める。


また、自分自身を地獄の社会の中へ、内部へまた深く導いた者は、なわ(束縛)で巻きつけられたようになる。しかし、世の中に生きる間は、なわ(束縛)を感じない。柔らかい羊毛から、またはきめ細かい絹糸からできているようであり、手触りがよいのでそれらを愛する。けれども、死後、そのなわ(束縛)は柔らかいものから固いものに、また手触りのよいものからチクチクと刺激するものになる。


[4.] 悪の快さの増大が始まることは、泥棒、強盗、略奪、復讐、支配、利益をもうけること、また他のことからよく知られている。だれがそれらの成功にしたがって、また抑制のない実行にしたがって、快さの高まりを感じないか? 泥棒は泥棒(すること)から、やめることができないような快さを感じることがよく知られているまた、驚くべきことに、贈り物として与えられた十の硬貨よりもさらに盗んだ一つの硬貨を愛する。


さらにまた、姦淫する者も、その悪の性的能力が濫用にしたがって衰えるよう備えられなかったなら、同様になったであろう。しかし、それでも多くの者のもとに、それらを考え、話す快さが残っており、またなくなっていても、それでも触りたい欲望が残っている。


[5.] しかし、意志と同時に思考から悪を犯すほど、自分自身を地獄の社会の中へ、内部へそして内部へ、なおまた深くまた深く導くことは知られていない。もし単に思考の中にいて意志の中にいないなら、まだ悪とともに地獄の社会の中にいないが、しかし、意志の中にもいる時、〔その地獄の社会に〕入る。もしその時、さらにまた、その悪が十戒の戒めに反していると考え、またこれの戒めを神的なものとするなら、その時、その悪を故意に犯し、またそのことを通して自分自身を〔地獄へ〕深く降ろし、実際の悔い改めによってでないなら、そこから連れ出されることができない。


[6.] すべての人間は自分の霊に関して霊界の中のある社会の中に、悪い人間は地獄の社会の中に、また善い人間は天界の社会の中にいること、さらにまた深い瞑想の中にいる時、時々そこで見られることを知らなければならない。なおまた、話しとともに音声は、自然界では空気の中でわりに広がるように、そのように思考とともに情愛は、霊界では、〔その〕社会の中でわりに広がる。さらにまた対応が存在する、なぜなら、情愛は音声に、また思考は話しに対応するから。

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