(2) 直訳
[8.] Non potest ad oculum monstrari, quales sunt status et formae mutationes et variationes substantiarum organicarum mentis, quae sunt affectiones et cogitations; [8.] 目に示すことができない、心の有機体の(器官の)実体的な状態と形の変化と相違がどんなものであるか、それらは情愛と思考である。
sed usque possunt sicut in speculo videri a mutationibus et variationibus status pulmonis in loquela et cantu; しかし、それでも、鏡の中のように、話し方(話すこと)と歌の中の肺の状態の変化と相違から見られることができる。
est etiam correspondentia; 〔そこに〕もまた対応がある。
nam sonus loquelae et cantus, et quoque articulationes soni, quae sunt voces loquelae et modulamina cantus, fiunt per pulmonem, ac sonus correspondet affectioni, et loquela cogitationi. なぜなら、話し方(話すこと)や歌の音は、また音の関節(音節に区切ること)は、それらは話し方(話すこと)の声と歌の調子(抑揚)である、肺によって行なわれるから、そして音は情愛に対応する、話し方(話すこと)は思考に。
Producuntur etiam ex illis, et hoc fit per mutationes et variationes status et formae substantiarum organicarum in pulmone, et ex pulmone per trachiam seu asperam arteriam in larynge et glottide, et postea in lingua, et demum in labris oris. さらにまたそれらから生み出される、またこのことは肺の中の有機体の(器官の)実体的な状態と形の変化と相違によって行なわれる(生ずる)こと、また肺から気管すなわち気管☆によって、咽頭や声門の中で、またその後、舌の中で、また最後に口の唇の中で。
☆ ここのasperam arteriamは私にとって不明です。すなわち、チャドウイックのレキシコンにありません。田中の『羅和辞典』にはarteriaの項目にarteria apertaとして「気管動脈」の言葉が載っています。英訳はwindpipeであり、これは「気管、のど笛」の意味です。スヴェーデンボリの著作ではおそらくここでしか使われないでしょう、そしてseu(すなわち、または)となっているので、省略して訳します。
Mutationes et variationes status et formae soni primae fiunt in pulmone, alterae in trachia et larynge, tertiae in glottide per varias aperturas ejus orificii, quartae in lingua per varias ejus applicationes ad palatum et dentes, quintae in labris oris per varias formas. 音の状態と形の変化と相違は、最初のものは肺から行なわれる(生ずる)、第二のものは気管と咽頭の中で、第三のものは声門の中で、その口をいろいろと開けることによって、第四のものは舌(の中)で、口蓋や歯へそのいろいろな適用によって、第五のものは口の唇(の中)で、いろろな形によって。
Ex his constare potest, quod merae mutationes et variationes status formarum organicarum successive continuatae, producant sonos et illorum articulationes, quae sunt loquelae et cantus. これらから明らかにすることができる、有機体の(器官の)形の状態の変化と相違にほかならないものが連続的に続けて、音とのそれらの関節(音節に区切ること)を生み出すこと、それらは話し方(話すこと)と歌である。
Nunc quia sonus et loquela non aliunde producuntur quam ab affectionibus et cogitationibus mentis, nam ex his illa existunt, et nusquam absque illis, patet quod affectiones voluntatis sint mutationes et variationes status substantiarum pure organicarum mentis, et quod cogitationes intellectus sint mutationes et variationes formae illarum substantiarum; そこで、音と話し方(話すこと)は別の場所から生み出されないので、心の情愛と思考から以外の、なぜなら、これらからそれらは存在するようになるから、またそれらなしに決して〔生み出され〕ない、明らかである、意志の情愛は心の有機体の(器官の)純粋な実体的な状態の変化と相違であること、また理解力の思考はそれらの実体的な形の変化と相違であること。
similiter ut in pulmonariis. 肺のものの中にのようにと同様に。
[9.] Quoniam affectiones et cogitatnes sunt merae mutationes status formarum mentis, sequitur quod memoria non aliud sit quam status illarum permanens; [9.] 情愛と思考は心の形の状態の変化にほかならないので、~ということになる、記憶は他のものではないこと、そのとどまっている(持続している)状態以外の。
nam omnes mutationes et variationes status in substantiis organicis tales sunt, ut semel imbutae permaneant; なぜなら、有機体の(器官の)実体的なもの中のすべての変化と相違はこのようなものであるから、一度(いったん)吸収したもの(教え込まれたもの)は残るような。
ita imbuitur pulmo producere varios sonos in trachia, ac variare illos in glottide, articulare illos in lingua, et modificare illos in ore; このように肺で吸収される(教え込まれる)、気管の中でいろいろな音を生み出すこと、そして声門の中でそれらを変化させること、舌の中でそれらを音節に区切る(はっきり発音する)こと、また唇の中でそれらを修正する(少し変える)こと。
et quando organica illa semel imbuta sunt, in illis sunt, et reproduci possunt. またそれらの器官は一度(いったん)吸収される(教え込まれる)時、それらの中で、また再現されることができる。
Quod mutationes et variationes illae infinite perfectiores sint in organicis mentis quam in organicis corporis, constat ex illis quae in transactione De Divino Amore et Divina Sapientia (n. [2]199-204) dicta sunt, ubi ostensum est, quod omnes perfectiones crescant et ascendant cum gradibus et secundum illos. それらの変化と相違は無限に完全であること、心の有機体の(器官の)中で、身体の器官の中よりも、それらから明らかである、それらは論文『神的な愛と神的な知恵について』の中で言われている(199-204番)、そこに示されている、すべての完全性は段階とともに、それら〔段階〕にしたがって増大し、上昇すること。
De his plura videantur infra (n. 319). これらについて多くことが下に見られる(319番)。
@1 cerebro pro “cerebris” 注1 「cerebris」の代わりにcerebro
@2 199 pro “119” 注1 「119」の代わりに199
(3) 訳文
279. [8.] 情愛と思考である心の有機体の(器官の)実体的な状態と形の変化と相違がどんなものであるか、目に示すことはできない。しかし、それでも話すことと歌の中で、肺の状態の変化と相違から、鏡の中のように見られることができる。そこにもまた対応がある。なぜなら、話すことや歌の音は、また音節に区切ることは、それらは話すことの声と歌の調子であるが、肺によって行なわれ、そして音は情愛に、話すことは思考に対応するから。
さらにまた、それらから生み出され、またこのことは肺の中で、また肺から気管を通して咽頭や声門の中で、またその後、舌で、また最後に口の唇で、有機体の(器官の)実体的な状態と形の変化と相違によって行なわれる。
音の状態と形の変化と相違は、最初のものは肺から、第二のものは気管と咽頭の中で、第三のものは声門の中で、その口をいろいろと開けることによって、第四のものは舌で、口蓋や歯へそのいろいろな適用によって、第五のものは口の唇で、いろろな形によって行なわれる。
これらから、有機体の(器官の)形の状態の変化と相違にほかならないものが連続的に続けて、話すことと歌である音とそれらの音節に区切ることを生み出すことを明らかにすることができる。
そこで、音と話すことは心の情愛と思考から以外の他のところから生み出されないので、なぜなら、これらからそれらは存在するようになり、またそれらなしに決して生み出されないからであり、意志の情愛は心の有機体の(器官の)純粋な実体的な状態の変化と相違であること、また理解力の思考はそれらの実体的な形の変化と相違であることが、肺のものと同様に明らかである。
[9.] 情愛と思考は心の形の状態の変化にほかならないので、記憶はその持続している状態でしかないことがいえる。なぜなら、有機体の(器官の)実体的なもの中のすべての変化と相違は、いったん吸収したものは残るようなものであるから。このように、肺で吸収され、気管の中でいろいろな音を生み出し、そして声門の中でそれらを変化させ、舌でそれらを音節に区切り、また唇でそれらを少し変えるのである。また、それらの器官はいったん吸収される時、それらの中で、また再現されることができる。
それらの変化と相違が、心の有機体の(器官の)中で、身体の器官の中よりも無限に完全であることは、著作『神の愛と神の知恵』の中で言われていること(199-204番)から明らかであり、そこに、すべての完全性は段階とともに、それら〔段階〕にしたがって増大し、上昇することが示されている。これらについて多くことが後で見られる(319番)。