原典講読「神の摂理』 279([2]~[3])

 

(2) 直訳


[2.] Primum: [2.] 第一:


Quod error saeculi sit, quod credatur quod mala separata, immo ejecta sint, quando sunt remissa. 現代の誤り(間違い)あること、信じられること、悪は人間から分離されたこと、それどころか追い出された、赦された時。


Quod omne malum, in quod homo nascitur, et quod ipse actualiter imbuit, non separetur ab homine, sed removeatur, usque ut non appareat, mihi datum est scire e caelo. すべての悪は、その中に人間は生まれている、また自分自身が実際に浸っている、人間から分離されないこと、しかし、遠ざけられる、見られないようにまでも、私に天界から知ることが与えられた。


Antea in fide fui, in qua plerique in mundo, quod mala quando remittuntur, rejiciantur, et sicut sordes a facie per aquam, abluantur et abstergantur: 以前に、私は信仰(信念)の中いた、その中に世の中の大部分の者が〔いる〕、悪は赦される時、追い払われる、また汚れのように顔から水によって、洗い落とされる、またぬぐい取られる。


sed simile non est cum malis seu peccatis; しかし、似ていない、悪または罪と。


omnia remanent; すべてのものは残る。


et cum post paenitentiam remittuntur, e medio ad latera promoventur; また悔い改めの後に赦されるとき、中心から脇へ進められる。


et tunc quod in medio est, quia directe sub intuitu, in luce quasi diei apparet, et quod ad latera, in umbra, et quandoque sicut in tenebris noctis: またその時、中心の中にあるものは、まっすぐに(直ぐ近くに)視覚(凝視)の下に〔ある〕ので、いわば日の光の中に見られる、また脇に〔ある〕ものは、陰の中に、また時々、夜の暗やみの中に〔ある〕ように〔見られる〕。


et quia mala non separantur, sed modo removentur, hoc est, ad latera ablegantur, et homo potest transferri e medio circumcirca, fieri etiam potest, quod in mala sua, quae credidit rejecta esse, redire possit: また、悪は分離されないので、しかし、単に遠ざけられる、すなわち、脇へ追放され(遠ざけられる)また人間は中心から周囲に移されることができる、生ずる(行なわれる)ともまたできる、その中にいること、それ〔悪〕を追い払われたと信じた、戻ることができる。


homo enim talis est, ut possit ab una affectione in alteram venire, et quandoque in oppositam, et sic ab uno medio in alterum; というのは、人間はこのようなものであるから、一つの(ある)情愛からもう一つの(他の)中にやって来ることができるような、また時々、正反対のものの中に、またこのように一つの(ある)中心からもう一つの(他の)に。


affectio hominis facit medium dum in illa est, est enim tunc in jucundo ejus et in luce ejus. 人間の情愛は中心を構成する(つくる)、その中にある間、というのはその時、その快さの中に、またその光の中にあるから。


[3.] Sunt quidam homines post mortem, qui a Domino in caelum elevantur, quia bene vixerunt, sed usque secum tulerunt fidem, quod mundi et puri sint a peccatis, et quod ideo non in aliquo reatu sint. [3.] ある人間たちがいる、死後、その者は主により天界に上げられた、よく生きたので、しかし、それでも、自分自身に信仰(信念)抱いた、罪からきれいにされ、清められていること、またそれゆえ、何らかの()の中にないこと。


Hi primum induuntur vestibus albis secundum fidem eorum, vestes albae enim significant statum purificatum a malis; この者たちは最初、彼らの信仰にしたがって白い衣服を着せられた、というのは、白い衣服は悪から清められた状態を意味するから。


sed postea incipiunt cogitare sicut in mundo, quod ab omni malo sicut abluti sint, et inde gloriari quod non amplius peccatores sint sicut alii; しかし、その後、世の中でのように考えることを始める、すべての悪から洗って清められているように、またここから誇ること、もはや罪びとではない他の者のように。


quod aegre potest separari a quadam elatione animi, et a quodam contemptu aliorum prae se; ほとんど分離されることができない、アニムス()のある高まりから、また自分自身よりも他の者のある軽蔑から。


ideo tunc, ut a fide sua imaginaria removeantur, delegantur a caelo, et remittuntur in sua mala, quae in mundo contraxerunt, et simul monstratur illis, quod etiam sint in malis hereditariis, de quibus non prius sciverunt: それゆえ、その時、想像上の自分の信仰(信念)ら遠ざけられるように、天界から追う払われる、また自分の悪の中に送り返される、また同時に彼らに示される、遺伝の悪の中にもいること、それらについて以前に知らなかった。


et postquam sic acti sunt ad agnoscendum, quod mala eorum non sint ab illis separata, sed solum remota, et quod sic ex se impuri sint, immo non nisi quam malum, et quod a Domino detineantur a malis, ac teneantur in bonis, et quod hoc appareat illis sicut a se, denuo in caelum a Domino elevantur. またこのように認めるようにさせられた後、彼らの悪が彼らから分離されていないこと、しかし、ただ遠く離れている、また、このように自分自身から不潔であること、それどころか悪以外でないならない、また主により悪から押しとどめられていること、そして善の中に保たれている、またこのことは彼らに自分自身からのように見えること、〔その後〕再び、天界の中へ主により上げられた。


 


(3) 訳文


279. [2.] 第一:「悪は赦された時、人間から分離された、それどころか追い出されたと信じることは現代の誤りあること」


 すべての悪は、人間はその中に生まれ、人間自身が実際に浸っているが、人間から分離されないが、しかし、見られないようにまでも遠ざけられていることが、私に天界から知ることが与えられた。以前、私は、悪は赦される時、追い払われ、また汚れのように顔から水によって洗い落とされ、またぬぐい取られる、という信念の中いた。世の中の大部分の者もその〔信念の〕中に〔いる〕。しかし、〔このことは〕悪または罪と似ていない、そのすべてのものは残る。また悔い改めの後で赦されるとき、中心から脇へ進められる。またその時、中心にあるものは、視覚の直ぐ近くの下にあるので、いわば日の光の中に見られ、また脇に〔ある〕ものは、陰の中に、また時々、夜の暗やみの中に〔ある〕ように〔見られる〕。また、悪は分離されないで、しかし、単に遠ざけられる、すなわち、脇へ追放されので人間は中心から周囲に移されることができ、その悪が追い払われたと信じる中に戻ることができることもまた行なわれることができる。というのは、人間は、ある情愛から他の情愛の中に、また時々、正反対のものの中に、またこのようにある中心から他の中心にやって来ることができるようなものであるから。人間の情愛は、その中にある間、中心を構成する。というのはその時、その快さの中に、またその光の中にあるから。


[3.] よく生きたので、死後、主により天界に上げられたが、しかし、それでも、自分自身に、罪からきれいにされ、清められている、またそれゆえ、何らかのの中にないという信念を抱いた人間たちがいる。この者たちは最初、彼らの信仰にしたがって白い衣服を着せられる、というのは、白い衣服は悪から清められた状態を意味するから。しかし、その後、世の中でのように、すべての悪から洗って清められており、またここから、もはや他の者のような罪びとではないと誇ることを考え始める。あるの高まりから、また自分自身よりも他の者へのある軽蔑から、ほとんど分離されることができない。それゆえ、その時、想像上の自分の信念から遠ざけられるようにと、天界から追う払われ、自分の悪の中に送り返され、また同時に彼らに、以前には知らなかった遺伝悪の中にもいることが示される。また、彼らの悪が自分たちから分離されていないで、しかし、ただ遠く離れていること、また、このように自分自身からは不潔であること、それどころか悪でしかなく、主により悪から押しとどめられ、そして善の中に保たれていること、またこのことは彼らに自分自身からのように見えること、このように〔それらのことを〕認めるようにさせられた後、再び、天界の中へ主により上げられた。

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