原典講読「神の摂理』 277[b]

 

(1) 原文


277[b]. Quod homo abducendus sit a malo ut reformetur, absque explicatione patet: nam qui in malo est in mundo, ille in malo est post exitum e mundo; quare si malum non removetur in mundo, non removeri potest postea. Arbor ubi cadit, ibi jacet. Ita quoque vita hominis qualis fuit cum moritur talis manet: etiam quisque secundum facta sua judicatur; non quod enumerentur, sed quia in illa redit, et similiter agit: mors enim est continuatio vitae, cum discrimine, quod homo tunc non reformari possit. Omnis reformatio fit in pleno, hoc est, in primis et simul ultimis, et ultima in mundo convenienter primis reformantur, et non possunt postea; quia ultima vitae, quae homo post mortem secum fert, quiescunt, et cum interioribus ejus conspirant; hoc est, unum agunt.


 


(2) 直訳


Quod homo abducendus sit a malo ut reformetur, absque explicatione patet:  人間が改心されるために悪から導き出されなくてはならないことは、説明なしに明らかである。


nam qui in malo est in mundo, ille in malo est post exitum e mundo; なぜなら、世の中で悪の中にいる者は、彼は世から出発後に悪の中にいるから。


quare si malum non removetur in mundo, non removeri potest postea. それゆえ、悪が世の中で遠ざけられない(取り去られない)なら、その後に遠ざけられ(取り去られ)い。


Arbor ubi cadit, ibi jacet. 木は倒れた場所に、そこに横たわる☆。


ここで以前に訳したことのある「随筆」を思い出しました。その記事 (4)「木は倒れたままに」を紹介します。ジェネラルチャーチ初代の指導者WF・ペンドルトン主教がトップの地位を退かれた後に機関誌『ニューチャーチライフ』に連載した随筆『著作からの話題』の「第18話」のうち4番目の話題です。同書は私自身が気に入っているので、いつか出版したいと思っています。


Ita quoque vita hominis qualis fuit cum moritur talis manet: このように、人間のそれぞれの者のいのちはどのようであったか〔によって〕死んだとき、このように残る。


etiam quisque secundum facta sua judicatur; さらにまたそれぞれの者が自分の行為にしたがって裁かれる。


non quod enumerentur, sed quia in illa redit, et similiter agit: 〔その行為が〕すっかり語られる(列挙される)ことではない、しかし、その〔行為〕中に戻るので、また同様に行なう。


mors enim est continuatio vitae, cum discrimine, quod homo tunc non reformari possit. なぜなら、死はいのちの継続であるから、相違とともに、人間はその時、改心されることができないこと。


Omnis reformatio fit in pleno, hoc est, in primis et simul ultimis, et ultima in mundo convenienter primis reformantur, et non possunt postea; すべての改心は完全(十分)中で生ずる、すなわち、最初のものの中と同時に最後のものの中で、また最後のものは世の中で最初のものに適当に(ふさわしく)改心される、またその後、できない。


quia ultima vitae, quae homo post mortem fert, quiescunt, et cum interioribus ejus conspirant; いのちの最後のものは、それを人間は死後にもたらす(生ずる)(活動を)む、また彼の内的なものと一致する(調和して行動する)


hoc est, unum agunt. すなわち、一つとして働く。


 


(3) 訳文


277[b].  人間が改心されるために悪から導き出されなくてはならないことは、説明なしに明らかである。なぜなら、世の中で悪の中にいる者は、世から出た後も悪の中にいるから。それゆえ、悪が世の中で遠ざけられないなら、その後に遠ざけられい。


木は倒れた場所に、そこに横たわる。したがって、人間のそれぞれの者のいのちは死んだときどのようであったかによって、そのように残る。さらにまた、それぞれの者が自分の行為にしたがって裁かれる。〔その行為が〕列挙されるのではない、しかし、その行為に戻るので、また同様に行なうのである。なぜなら、死は、人間がその時には改心されることができない、という相違とともに、いのちの継続であるから。


 すべての改心は完全に生ずる、すなわち、最初のものの中と同時に最後のものの中で、また最後のものは世の中で最初のものにふさわしく改心し、またその後、改心することはできない。人間のいのちの最後のものは活動をやめ、死後に生ずる彼の内的なものと調和して行動する。すなわち、一つとして働く。


 


(4)「木は倒れたままに」WF・ペンドルトン主教『著作からの話題』より)


ことわざに、「木は倒れたままに、そのように横たわる」と言われている。その原形は「伝道者の書」113に見いだされる――「木は倒れた所に横たわる」。


ソロモンは、その知恵を古代人から受け継いだ(「秘義」5223)。古代人は真理を対応によって表現した。「木」によって、人間が意味され、また「倒れたところに止まる木」によって、彼らは人間の生活は死後に変わることはできないことを理解した。このことわざの全般的な意味は今日まで伝えられている。しかし、特別な意味は欠けており、それは『著作』に、次の類似した箇所で与えられている――


 


「だれもが、この世で暮らしていた自分の生活をたずさえ〔て来世へ行き〕、そして来世での状態はその生活にしたがうことが、秩序にしたがっている。主の慈悲はだれにも流れ入る……しかし、それは悪人によって拒否されている。そして、世で悪を吸収したので、彼らは来世でもその悪の中にとどまり、そこで矯正も不可能である、なぜなら、木はその倒れたところに横たわるからである」(『秘義』7186)


 


 「それぞれの者の生活は、死後、その者とともに残る。『木はその倒れたところに横たわる』ということわざにしたがって、その者が死んだときのように、そのように存在し続ける」(『秘義』8991)


 


 「世で悪の中に生きた者は、世を去った後も、悪の中にいる。それゆえ、もし悪が世で取り除かれなければ、その後、これを取り除くことはできない。木はその倒れたところに横たわる」(『摂理』277)


 


 どこよりも十分な説明が『霊界体験記()46454646番で与えられている。そこには、このことわざが、善の中にいる者は来世で完全にされることができることを意味する、と示されている。なぜなら、その者はこの世で獲得してきた生活の基盤の上に継続的に成長するからである。死後、発展しないものは、ただ悪人に対してだけである。こうして、同じ法則が、しかし、異なる結果をもって、善人と悪人に適用されるのである。

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