原典講読『神の摂理』 257([4]~[6]おわり)

 

(2) 直訳


[4.] Hoc per Divinam Domini Providentiam non inhiberi potuit; [4.] このことは主の神的な摂理によって抑えられることができなかった。


nam si inhiberetur, proclamavissent Dominum non Deum, ac Verbum non sanctum, ac fecissent se Socinianos vel Arianos, et sic destruxissent totam ecclesiam; なぜなら、もし抑えられるなら、〔彼らは〕主を神と宣べ伝えなかったであろう、そしてみことばを聖なるものと、そして自分たち自身をソッツィーニの信奉者あるいはアリウス主義の信奉者としたであろう、またこのように全教会は滅びたであろう。


quae, qualescunque sint praesules, usque apud subditam gentem permanent; それら〔教会〕は、指導者たちがどんな種類〔の人間〕であっても、(それでも)その〕権威の下にいる〔=従っている〕人々のもとに残っている。


omnes enim illi ex ea religione, qui etiam Dominum adeunt, ac mala fugiunt ut peccata, salvantur; というのは、すべての者は、彼らはその宗教から〔の者〕である、その者もまた主に近づく、そして悪を罪として避ける、救われる。


quapropter ex illis etiam plures societates caelestes sunt in mundo spirituali. そのために、彼らからもまた霊界の中に多くの天界の社会がある。


Et quoque provisum est, ut sit gens inter illos quae non subivit jugum talis dominationis, et quae sanctum habet Verbum; そしてまた、備えられている、彼らの間に国民があるように、それは支配のこのようなくびき(服従の手段)に服従しなかった、またそれは聖なるものを持つ(見なす)、みことばを。


haec gens nobilis est gens Gallica. この高貴な(すぐれた)民はフランスの国民である。


Sed quid factum est? しかし、何が行なわれた(起こった)


[5.] Quando amor sui evexit dominium usque ad thronum Domini, removit Ipsum, et se super imposuit, non potuit aliter ille amor, qui est Lucifer, quam profanare omnia Verbi et ecclesiae: [5.] 自己愛が支配を主の王座にまでも高めた時、その方を遠ざけた、また(自分自身を)上に置いた、その愛は異なってできなかった、それは明けの明星(魔王)ある、すべてのみことばと教会を冒涜すること以外に。


quod ne fieret, Dominus per Divinam suam Providentiam consuluit, ut a cultu Ipsius recederent, ac invocarent homines mortuos, orarent ad sculptilia illorum, oscularentur ossa illorum, et procumberent ad sepulcra illorum, prohiberent Verbum legi, et sanctum cultum ponere in missis a vulgo non intellectis, et pro argento vendere salutem; このことが生じないように、主はご自分の神的摂理によって慮った(思いめぐらした、気にかけた)、ご自分の崇拝から去る(やめる)、そして死んだ人間を祈る(呼ぶ)、彼らの彫像を祈る(祈願する)、彼らの骨にキスする、また彼らの墓に身をかがめる(ひれ伏す)、みことばが読まれることを禁ずる、また聖なる礼拝をミサの中に置くこと、一般の人々から理解されない、また銀貨のために救いを売ること。


quoniam si haec non fecissent, sancta Verbi et ecclesiae profanavissent: ~であるから、もし〔彼らが〕これらのことを行なわなかったなら、みことばと教会の聖なるものは冒涜されたであろう。


nam, ut in praecedente paragrapho ostensum est, non alii profanant sancta, quam qui sciunt illa. なぜなら、先行する項(段落)で示されたように、他の者たちは聖なるものを冒涜しないから、それらを知っている者以外に。


[6.] Ne itaque profanarent sanctissimam Cenam, ex Divina Domini Providentia est, ut dividerent illam, ac panem darent populo, ac ipse vinum biberent; [6.] そこで、最も聖なる聖餐を冒涜しないように、主の神的な摂理から、それらを分けるようにされた、そしてパンを大衆(会衆)与えた、そして自分たち自身はブドウ酒を飲んだ。


vinum enim in Sancta Cena significat sanctum verum, ac panis sanctum bonum; というのは、聖餐の中でブドウ酒は聖なる真理を、またパンは聖なる善を意味するから。


at cum divisa sunt, significat vinum profanatum verum, ac panis adulteratum bonum; しかし、分けられるとき、ブドウ酒は冒涜された真理を、そしてパンは不純化された善を意味する。


ac insuper quod illam corpoream et materialem facerent, et hoc pro primario religionis assumerent. そして、加えて、それを肉体的な(形体的な)ものと物質的なものにした、またこのことを宗教の主要なものとして選んだ(採用した)


Qui ad singula illa animum advertit, et illa in quadam illustratione mentis expendit, potest videre Divinae Providentiae mirabilia, ad tutandum sancta ecclesiae, et ad salvandum omnes quotcunque salvari possunt, et quasi ex incendio eripiendi, qui volunt eripi. それら個々のものにアニムス()向ける者は、またそれらをある者の照らされた心の中で熟考する、神的摂理の驚くべきものを見ることができる、教会の聖なるものを守ることへ向けて、またすべての者を救うことへ向けて、どれほど多くても救われることができる、またあたかも火事(火災)から(ひったくるように)救い出すようである、救い出されることを望む者を。


 


(3) 訳文


257.  [4.] このことは主の神的な摂理によって抑えられることができなかった。なぜなら、もし抑えられるなら、〔彼らは〕主を神と宣べ伝えず、そしてみことばを聖なるものとせず、そして自分たち自身をソッツィーニの信奉者あるいはアリウス主義の信奉者とし、またこのように全教会は滅びたであろう。それら〔教会〕は、指導者たちがどんな種類〔の人間〕であっても、それでも〔その〕権威の下にいる人々のもとに残っている。というのは、その宗教からのすべての者もまた、主に近づき、そして悪を罪として避け、救われるから。そのために、彼らからもまた霊界の中に多くの天界の社会がある。そしてまた、彼らの間に、支配のこのようなくびきに服従せず、またみことばを聖なるものと見なす国民があるように備えられている。このすぐれた国民はフランスの国民である。しかし、何が起こったか


[5.] 自己愛が支配を主の王座にまでも高めた時、その方を遠ざけ、自分自身を上に置き、明けの明星(魔王)あるその愛は、すべてのみことばと教会を冒涜することしかできなかった。このことが生じないように、主はご自分の神的摂理によって慮り、ご自分への崇拝をやめ、死んだ人間を祈り、彫像に祈願し、彼らの骨に口づけし、また彼らの墓に身をひれ伏して、みことばを読むことを禁じ、また聖なる礼拝を一般の人々から理解されないミサの中に位置づけ、また銀貨のために救いを売るようにされた。それで、もし〔彼らが〕これらのことを行なわなかったなら、みことばと教会の聖なるものは冒涜されたであろう。なぜなら、これまでで示されたように、聖なるものを知っている者以外に、他の者は聖なるものを冒涜しないから。


[6.] そこで、最も聖なる聖餐を冒涜しないように、主の神的な摂理から、それらを分け、パンを会衆に与え、自分たち自身はブドウ酒を飲むようにされた。というのは、聖餐の中でブドウ酒は聖なる真理を、またパンは聖なる善を意味するから。しかし、分けられるとき、ブドウ酒は冒涜された真理を、そしてパンは不純化された善を意味する。そして加えて、それを形体的なものと物質的なものにし、またこのことを宗教の主要なものとして取り入れた


 それら個々のものに心を向け、ある照らされた心の中で熟考する者は、教会の聖なるものを守ろうとする、また火事から救い出されることを望む者をあたかも(ひったくるように)救い出すように、どれほど多くても救われることができるすべての者を救おうとされる神的摂理の驚くべきものを見ることができる。

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