原典講読『神の摂理』 227([3.]~[5.]終わり)

 

(2) 直訳


[3.] Tertio: [3.] 第三に:


Sed quod hoc non fieri possit, si homo primum agnoscit vera fidei, et vivit secundum illa, ac postea recedit ac negat illa.― 「しかし、このことは、もし人間が最初に信仰の真理を認め、それにしたがって生き、またその後、それをやめ、それを否定するなら、行なわれることができないこと」


Hoc patet a nunc dictis; このことは今や言われた(述べられた)ことから明らかである。


ex primo, quod omnia quae homo ex voluntate cogitat, loquitur et agit, approprientur ei ac remaneant; 最初のものから、人間が意志から考え、話し、行なうすべてのものは、彼に専有され、そして残ること。


et ex altero, quod Dominus per Divinam suam Providentiam continue prospiciat et disponat ut bonum per se sit, ac malum per se, ac separari possint. また第二のものから、主はご自分の神的な摂理によって、悪がそれ自体によって、また善がそれ自体によって、このように分離されることができるように絶えず備え、整えられること。


Separantur etiam a Domino post mortem; さらにまた、主により、死後、分離される。


apud illos qui interius mali sunt et exterius boni sunt, aufertur bonum, et sic relinquuntur suo malo; 彼らのもとから、その者は内的に悪い者である、また外的に善い者である、善を取り去る、またこのように自分自身の悪に取り残される。


vicissim apud illos qui interius boni sunt, et exterius sicut alii homines conquisiverunt opes, ambiverunt dignitates, delectati sunt variis mundanis, et faverunt aliquibus concupiscentiis; 逆に、彼らのもとで、その者は内的に善い者である、また外的に他の人間のように富をほしがった、地位を得ようとした、世俗のいろいろなものを楽しんだ、また欲望(情欲)あるものに好感をもった。


apud hos tamen bonum et malum non commixta sunt, sed separata sicut internum et externum; それでも、これらの者のもとで、善と悪は混ぜられない、しかし内なるものと外なるもののように分離し〔ている〕。


ita in externa forma in multis similes malis fuerunt, non tamen in interna. このように外なる形の中で悪い者に似た多くのものの中にいた、それでも内なる〔形の〕中で〔い〕ない。


Vicissim etiam mali, qui in externa forma apparuerunt sicut boni, in pietate, cultu, loquela et factis, et tamen in interna forma mali fuerunt, apud hos quoque separatum est malum a bono. 逆に、悪い者もまた、その者は外なる形の中で善い者のように見えた、敬虔、礼拝、話し方と行動の中で、またそれでも内なる形の中で悪い者であった、


At apud illos, qui prius agnoverunt vera fidei, et vixerunt secundum illa, et postea in contrarium abiverunt, ac rejecerunt illa, et imprimis si negaverunt illa, bona et mala non amplius separata sunt, sed commixta; しかし、彼らのもとで、その者は前(以前)に信仰の真理を認めた、またそれらにしたがって生きた、またその後、正反対のものの中にそれた、そしてそれらを退けた、また特にもしそれらを否定するなら、善と悪はもはや分離されない、しかし混ぜられ〔る〕。


nam homo talis appropriavit sibi bonum, et quoque appropriavit sibi malum, et sic conjunxit et commiscuit illa. なぜなら、このような人間は自分自身に善を専有した、そしてまた自分自身に悪を専有した、またこのように結合した、またそれらを混ぜたから。


[4.] Quarto: [4.] 第四に:


Quod tunc commisceat bonum et malum, usque adeo, ut non separari possint, sequitur ex nunc dictis: 「その時、善と悪を分離されることができないほどにまでも混ぜること」は、~ということになる、今や言われたことから。


et si non separari potest malum a bono, ac bonum a malo, non potest esse in caelo nec in inferno. また、もし、悪が善から分離されることができないなら、そして、悪から善が、天界の中にも、地獄の中にもいることができない。


Unusquisque homo, vel in uno vel in altero erit; それぞれの人間は、あるいは一つの中に、あるいはもう一つの中にいる(未来)


non potest esse in utroque; 両方の中にいることはできない。


et sic nunc foret in caelo, nunc in inferno, et dum in caelo ageret pro inferno, et dum in inferno ageret pro caelo; またこのように時には天界の中にいた、また時には地獄の中に、また天界の中に〔いた〕時、地獄のために行なう(働く)、また地獄の中に〔いた〕時、天界のために行なう(働く)


ita destrueret vitam omnium qui circum illum sunt, vitam caelestem apud angelos, et vitam infernalem apud diabolos; このようにすべての者のいのち(生活)を破壊した、彼らのまわりにいる者、天使のもとの天界のいのち(生活)を、また悪魔のもとの地獄のいのち(生活)を。


ex quo vita cujusvis periret; そのことから、それぞれの者のいのち(生活)は滅びた。


nam vita cuivis erit sua; なぜなら、それぞれのいのち(生活)は自分のものである(未来)から。


non vivit quisquam in vita aliena, minus in opposita. だれも他人の(他に属する)いのち(生活)の中で生きない、まして、正反対のものの中に。


Inde est, quod Dominus apud omnem hominem post obitum, dum fit spiritus seu homo spiritualis, separet bonum a malo ac malum a bono; ここからである、主がすべての人間のもとで、死後、霊に、すなわち霊的な人になる時、善を悪から、そして悪を善から分離すること。


bonum a malo apud illos qui interius in malo sunt, ac malum a bono apud illos qui interius in bono sunt; 善を悪から、彼らのもとで、内的に悪の中にいる者、そして悪を善から、彼らのもとで、内的に善の中にいる者。


quod est secundum Ipsius verba, このことはその方の言葉にしたがっている、


“Omni habenti dabitur ut abundet; 「持っているすべての者に与えられる(未来)、満ち溢れているように。


et ab eo qui [non] habet, etiam quod habet auferetur” (Matth. xiii. 12; xxv. 29; Marc. iv. 25; Luc. viii. 18; xix. 26). また彼から、持たない者、さらにまた持つ物が取り去られる」(マタイ13:1225:29;マルコ4:25;ルカ8:1819:26)


[5.] Quinto: [5.] 第五に:


Quia bonum et malum apud unumquemvis hominem separanda sunt, et apud talem separari nequeunt, quod ideo quoad omne vere humanum destruatur.― 「また、善と悪はそれぞれの人間のもとで分離されなければならず、またそのような者のもとで分離されることができないので、それゆえ、すべての真の人間性に関して破壊される」


Vere humanum est cuivis ex rationalitate, quod possit videre et scire, si vult, quid verum et quid bonum, et quoque quod possit ex libertate velle, cogitare, loqui et facere id, ut prius ostensum est. 真の人間性☆はそれぞれの者に推理力からある、見ることと知ることができること、もし欲するなら、何が真理か、また何が善か、そしてまた自由性から欲することができること、考えること、それを話すことと行なうこと、前に示されたように。


形容詞humanus「人間の」は中性・実詞として「人間性」という意味です。有名な例はスヴェーデンボリ神学での重要語Divinum Humanum「神的人間性」です、これは直訳すれば「神性人間性」です。


Sed haec libertas cum sua rationalitate destructa est apud illos, qui apud se commiscuerunt bonum et malum, nam illi non possunt ex bono videre malum, nec ex malo cognoscere bonum, unum enim faciunt; しかし、この自由性はその推理力とともに彼らのもとで破壊されている、その者は自分自身のもとで善と悪を混ぜた、なぜなら、彼らは善から悪を見ることができないから、悪から善を考えることも、というのは一つのものを構成するから☆。


unum facereで「一つのものを構成する」「一つのものとなる」という意味です。


inde illis non rationalitas in facultate seu in potentia est amplius, et inde nec aliqua libertas: ここから、彼らに推理力は能力(性質)の中に、または(潜在)(可能性)の中にもはやない、またここから何らかの自由性もない。


quae causa est, quod sint sicut mere deliria phantastica, ut supra dictum est, et non magis appareant ut homines, sed ut ossa aliqua cute obducta; その理由である、〔彼らは〕単なる空想からの狂気のようである、上に言われたように、またもはや人間のように見えない、しかし、骨のよう〔である〕何らかの皮膚に包まれた。


et inde cum nominantur, non dicuntur ille aut illa, sed illud. またここから、呼ばれるとき、彼や彼女と言われない、しかし、それ〔と言われる〕。


Talis sors est illis, qui hoc modo commiscent sancta profanis. このような運命が彼らにある、その者はこの方法で聖なるものを冒涜的なものに混ぜる。


At sunt plura profanationis genera, quae usque non talia sunt; しかし、多くの冒涜の種類がある、それらはそれでもこのようなものではない。


de quibus in subsequenti articulo. それらについて、続く節の中で〔述べよう〕。


 


(3) 訳文


227.  [3.] 第三に:「しかし、このことは、もし人間が最初に信仰の真理を認め、それにしたがって生き、またその後、それをやめ、それを否定するなら、行なわれることができないこと」


 このことは今、言われたことから明らかである。


最初のものから、人間が意志から考え、話し、行なうすべてのものは、彼に専有され、そして残ること。また第二のものから、主はご自分の神的な摂理によって、悪がそれ自体によって、また善がそれ自体によって、このように分離されることができるように絶えず備え、整えられること。さらにまた、主により、死後、分離される。内的に悪であり、また外的に善である者のもとから、善を取り去り、またこのように自分自身の悪に取り残される。内的に善である、また外的に他の人間のように富をほしがり、地位を得ようとし、世俗のいろいろなものを楽み、また欲望あるものに好感をもった者のもとでは逆である。それでも、これらの者のもとで、善と悪は混ぜられない、しかし内なるものと外なるもののように分離している。このように外なる形の中で悪い者に似た多くのものの中にいたが、それでも内なる形の中でいなかった。逆に、悪い者もまた、その者は外なる形の中で、敬虔、礼拝、話し方と行動の中で、善い者のように見え、またそれでも内なる形の中で悪い者であった。しかし、前に信仰の真理を認め、またそれらにしたがって生き、またその後、正反対のものの中にそれた、そしてそれらを退けた者のもとで、また特にもしそれらを否定するなら、善と悪はもはや分離されない、しかし混ぜられる。なぜなら、このような人間は自分自身に善を専有し、そしてまた自分自身に悪を専有し、またこのように結合し、またそれらを混ぜたから。


[4.] 第四に:「その時、善と悪を分離されることができないほどにまでも混ぜること」は、今、言われたことからいえる。また、もし、悪が善から、そして、悪から善が分離されることができないなら、天界の中にも、地獄の中にもいることができない。


 それぞれの人間は、一つの中に、あるいはもう一つの中にいる。両方の中にいることはできない。またこのように時には天界の中に、また時には地獄の中にいた。また天界の中にいた時、地獄のために行ない、地獄の中にいた時、天界のために行なった。このように彼らのまわりにいるすべての者のいのち(生活)、天使のもとの天界のいのち(生活)を、また悪魔のもとの地獄のいのち(生活)破壊した。そのことから、それぞれの者のいのち(生活)は滅びた。なぜなら、それぞれのいのち(生活)は自分のものであるから。だれも他に属するいのち(生活)の中で生きない、まして、正反対のものの中で。


 ここから、主がすべての人間のもとで、死後、霊に、すなわち霊的な人になる時、善を悪から、そして悪を善から分離する。内的に悪の中にいる者のもとで善を悪から、そして内的に善の中にいる者のもとで悪を善から分離する。このことはその方の次の言葉にしたがっている、


 


 「持っているすべての者に、満ちるように与えられ、持たない者からは、持つ物もまた取り去られる」(マタイ13:1225:29;マルコ4:25;ルカ8:1819:26)


 


[5.] 第五に:「また、善と悪はそれぞれの人間のもとで分離されなければならず、またそのような者のもとで分離されることができないので、それゆえ、すべての真の人間性に関して破壊される」


前に示されたように、真の人間性はそれぞれの者に、推理力からあって、もし欲するなら、何が真理か、また何が善か、見ることと知ることができること、そしてまた自由性から、考えること、それを話すことと行なうこと、欲することができる。しかし、この自由性はその推理力とともに、自分自身のもとで善と悪を混ぜた者のもとで破壊されている、なぜなら、一つのものとなるので、彼らは善から悪を見ること、悪から善を考えることもができないから。ここから、推理力はもはや彼らの能力の中に、または潜在力の中になく、またここから何らかの自由もない。その理由は〔彼らは〕空想からの単なる狂気のようであり、前に言われたように、またもはや人間のように見えず、しかし、何らかの皮膚に包まれた骨のようである。またここから、呼ばれるとき、彼や彼女と言われないで、しかし、それと言われる。この方法で聖なるものを冒涜的なものに混ぜる者に、このような運命がある。しかし、それでもこのようなものではない多くの種類の冒涜がある。それらについて、続く節の中で〔述べよう〕。