原典講読「神の摂理』 180(後半)

 

(2) 直訳


[4.] Simile est ubivis alibi in toto corpore: [4.] 他のどこでも同様である、全身の中の。


ut cum peritonaeo communi involucro omnium viscerum abdominis; 例えば、腹のすべての内臓の全般的な被覆〔である〕腹膜に。


tum etiam cum involucris circum unumquodvis, ut cum ventriculo, hepate, pancreate, liene, intestinis, mesenterio, renibus, cumque organis generationis in utroque sexu. なおまた、(さらにまた)それぞれのまわりの被覆に、例えば、胃、肝臓、膵臓、脾臓、腸、腸間膜、腎臓に、両性の生殖の器官にもまた。


Sume ex his aliquod et lustra vel ipse, et videbis vel consule peritos illius scientiae, et audies: これらから何らかのものを取り上げよ、またあるいは自分自身で調べよ、またあるいはその知識の専門家にあなたは助言を求めよ、するとあなたは聞く(未来)


ut sume hepar, et deprehendes quod connexio peritonaei sit cum involucro illius visceris, et per involucrum cum intimis ejus; 例えば、肝臓を取り上げよ、するとあなたは見つける(未来)、腹膜の連結物がその内臓の被覆とにあること、また被覆によってその最内部のものと。


sunt enim perpetuae exsertiones inde et insertiones versus interiora, et sic continuationes ad intima, et inde confasciatio omnium; というのは、ここから永続する(絶え間ない)突起があるから、また内的なものに向けて挿入が〔ある〕、またこのように最内部へ連続が、またここからすべてのものの結びつけること。


quae talis est, ut dum involucrum agit vel agitur, tota forma similiter agat vel agatur. それはこのようである、被覆が働くかまたは働きかけられるとき、全部の形が同様に働くかまたは働きかけられるように。


Simile est cum reliquis. 他の(残りのもの)に同様である。


Causa est, quia in omni forma commune et particulare, seu universale et singulare, per mirabilem conjunctionem unum agunt. 理由である、全般的にまた個別的に、すなわち、全体にまた個々に、すべての形の中で、驚くべき結合によって、一つとして働くからである。


[5.] Quod similiter in formis spiritualibus ac in illarum status mutationibus, et variationibus, quae se ad operationes voluntatis et intellectus referunt, sicut in formis naturalibus et illarum operationibus, quae se ad motus et actiones referunt, fiat, infra videbitur. [5.] 霊的な形の中で同様に、そしてそれらの状態の変化の中で、また相違の、それらは意志と理解力の働きに関係する、自然的な形の中のように、またそれらの働きの、それらは運動と活動に関連する、生じることは、下に見られる。


Nunc quia homo in quibusdam externis operationibus una cum Domino est, et non aufertur alicui libertas agendi secundum rationem, sequitur quod Dominus non aliter possit agere in internis, quam sicut una cum homine in externis. そこで、人間はある外なる働きの中で主と一つであるので、またある者に理性にしたがって行動する自由が取り去られない〔ので〕、~ということになる、主は内なるものの中で異なって働くことができないこと、外なるものの中で人間と一つのように以外に。


Quare si homo non fugit et aversatur mala ut peccata, vitiaretur et labefactaretur externum cogitationis et voluntatis, et simul tunc internum earum, comparative sicut pleura a morbo suo qui vocatur pleuritis, ex quo corpus emoritur. それゆえ、もし人間が悪を罪として避け、退けないなら、思考と意志の外なるものは腐敗させられ(害され)、また滅ぼされる、また同時にその時、それらの内なるもの、比べて、胸膜がその病気(疾患)からのように、それは胸膜炎と呼ばれる、それから身体は死んでいく。


[6.] Alterum: [6.] 第二:


Quod si homo simul in internis esset, perverteret et destrueret omnem ordinem et tenorem Divinae Providentiae.  「人間はどんなものでも単に外なるものの中で主とともにいる、またもし同時に内なるものの中にいたなら、神的な秩序の進行のすべての秩序と進路を曲げ、破壊したこと」


Hoc quoque illustretur per exempla ex humano corpore. このこともまた人間の身体からの例によって説明される。


Si homo sciret omnes operationes utriusque cerebri in fibras, fibrarum in musculos et musculorum in actiones, et ex scientia illorum disponeret omnia sicut disponit actiones, annon perverteret et destrueret omnia? もし人間が繊維の中への両方の脳のすべての働きを知るなら、筋肉の中への繊維の〔働き〕また活動の中への筋肉の〔働きを〕、またその知識からすべてのものを配列する〔なら〕活動を配列するように、すべてのものを曲げ、破壊しないか?


[7.] Si homo sciret quomodo ventriculus digerit, viscera circum circa hauriunt suum pensum, sanguinem elaborant, et illum distribuunt ad omne opus vitae, et in illis disponendis esset sicut est in externis, ut quod edat et bibat, annon perverteret et destrueret omnia? [7.] もし人間がどのように胃が消化するか知るなら、内臓が輪のまわりにその定量を吸収する、血をつくる、またそれをいのちのすべての働き(産物)へ分配する、またそれらの配列(制御)の中で、外なるものの中であるようであった〔なら〕、食べる、また飲むことのように、すべてのものを曲げ、破壊しないか?


Cum non potest externum, quod sicut unum apparet, disponere, quin luxurie et intemperantia perdat illud, quid tunc si etiam disponeret interna, quae infinita sunt? 外なるものができないとき、それは一つのように見える、配列する(制御する)とが、むしろぜいたくと不摂生がそれを滅ぼさないか? 何を〔するだろうか?〕その時、もし内なるものもまた配列する(制御する)なら、それらは無限にある。


Quare interna, ne homo aliqua voluntate intraret in illa, et sui juris faceret, prorsus a voluntate ejus exempta sunt, praeter musculos, qui faciunt indumentum, et quoque ignoratur quomodo hi agunt, et solum scitur quod agant. それゆえ、内なるものは、人間がその中に意志の何らかのものを入れないように、また自分自身の支配のもとに行なわない、完全に彼の意志から連れ出されている、筋肉を除いて、それは外被となっている、またどのようにこれが働くか知られない、また単に活動することが知られる。


[8.] Simile est cum reliquis: [8.] 同様である、残りの(他の)のと。


ut si homo disponeret interiora oculi ad videndum, interiora auris ad audiendum, interiora linguae ad gustandum, interiora cutis ad sentiendum, interiora cordis ad systolice agendum, interiora pulmonis ad respirandum, interiora mesenterii ad distribuendum chylum, interiora renum ad secernendum, interiora organorum generationis ad prolificandum, interiora uteri ad perficiendum embryonem, et sic porro, annon infinitis modis perverteret et destrueret in his ordinem progressionis Divinae Providentiae? 例えば、もし人間が見るために目の内なるものを配列する(制御する)なら、聞くために耳の内なるものを、味わうために舌の内なるものを、感じるために皮膚の内なるものを、収縮するように働くために心臓の内なるものを、呼吸するために肺の内なるものを、乳糜を配送するために腸間膜の内なるものを、分泌するために腎臓のうちなるものを、子孫を産むために生殖器官の内なるものを、胎児をつくり上げるために子宮の内なるものを、またこうしてさらに(その他、等々)、無限の方法で、神的な摂理のこれらの秩序の中で曲げ、破壊しないか?


Quod homo in externis sit, notum est; 人間が外なるものの中にいることが知られている。


ut quod oculo videat, aure audiat, lingua gustet, cute sentiat, pulmone respiret, uxorem impraegnet, et sic porro. 例えば、目で見ること、耳で聞く、舌で味わう、皮膚で感じる、肺で呼吸する、妻を妊娠させる☆、またこうしてさらに(その他、等々)


ちょと異常な表現と感じるかもしれません。英訳では「おだやかな表現」となっています。直訳でもよいでしょう。


Satisne est, ut sciat externa, et disponat illa ad sanitatem corporis et mentis? あなたは満足しないか? 外なるものを知ること、またそれを身体と心の健康のために配列する(制御する)


Cum hoc non potest, quid fieret si quoque interna disponeret? これができないとき、もし内なるものもまた配列する(制御する)なら何が生じたのか?


Ex his nunc constare potest, quod si homo manifeste videret Divinam Providentiam, inferret se ordini et tenori progressionis ejus, ac perverteret et destrueret illum. これらから、今(それで)、明らかにすることができる、もし人間が明らかに神的な摂理を見るなら、自分自身をその進行の秩序と進路へ動かし(移動させ)、そしてそれを曲げ、破壊すること。


 


(3) 訳文


180.  [4.] 全身の中の他のどこでも、例えば、腹のすべての内臓の全般的な被覆である腹膜、さらにまた、それぞれのまわりの被覆、例えば、胃、肝臓、膵臓、脾臓、腸、腸間膜、腎臓でも、両性の生殖の器官でもまた同様である。これらから何らかのものを取り上げ、あるいは自分自身で調べるか、またあるいはその知識の専門家に助言を求めよ、するとあなたは聞くであろう。例えば、肝臓を取り上げよ、するとあなたは、腹膜の連結物がその内臓の被覆とに、また被覆によってその最内部のものとにあることを見つけであろう。というのは、ここから絶え間ない突起があり、また内的なものに向けて挿入が、またこのように最内部へ連続があり、またここからすべてのものを結びつけるからである。それはこのように、被覆が働くかまたは働きかけられるとき、全部の形が同様に働くかまたは働きかけられるからである。他のものも同様である。その理由は、全般的にまた個別的に、すなわち、全体にまた個々に、すべての形の中で、驚くべき結合によって、一つとして働くからである。


[5.] 意志と理解力の働きに関係する霊的な形の中で、そしてそれらの状態の変化と相違の中でも、自然的な形の中に、また運動と活動に関連するそれらの働きの中と同様に生じることは、以下に見られる。そこで、人間は、ある外なる働きの中で主と一つであり、ある者に理性にしたがって行動する自由が取り去られないので、主は、外なるものの中で人間と一つのようにしか内なるものの中で働くことができないことがいえる。それゆえ、もし人間が悪を罪として避け、退けないなら、思考と意志の外なるものは、その時、同時にそれらの内なるもの害され、滅ぼされる。比べれば、胸膜が胸膜炎と呼ばれるその疾患からのようなものであり、それによって身体は死んでいく。


[6.] 第二:「人間はどんなものでも単に外なるものの中で主とともにいる、またもし同時に内なるものの中にいたなら、神的な秩序の進行のすべての秩序と進路を曲げ、破壊したこと」


 このこともまた人間の身体からの例によって説明される。もし人間が、繊維の中への両方の脳のすべての働きを、筋肉の中への繊維の〔働きを〕また活動の中への筋肉の〔働きを〕、またその知識から活動のすべてのものを制御することを知るなら、すべてのものを曲げ、破壊しないか?


[7.] もし人間が、どのように胃が消化し、内臓がまわりにその分を吸収し、血をつくり、またそれをいのちのすべての働きへ分配し、またそれらを食べ、飲むことのように、外なるものの中で制御すること知るなら、すべてのものを曲げ、破壊しないか? 内なるものと一つのように見える外なるものを制御することができないとき、もし内なるものもまた制御するなら、その時、無限にあるものに何を〔するだろうか?〕むしろぜいたくと不摂生がそれを滅ぼさないか? それゆえ、内なるものは、人間がその中に意志の何らかのものを入れ、また自分自身の支配のもとに行なわないないように、筋肉を除いて、完全に彼の意志から連れ出されている。その筋肉は外被となっていて、どのようにこれが働くか知られないで、単に活動することが知られている。


[8.] 他のものも同様である。例えば、もし人間が、見るために目の内なるものを、聞くために耳の内なるものを、味わうために舌の内なるものを、感じるために皮膚の内なるものを、収縮するように働くために心臓の内なるものを、呼吸するために肺の内なるものを、乳糜を配送するために腸間膜の内なるものを、分泌するために腎臓のうちなるものを、子孫を産むために生殖器官の内なるものを、胎児をつくり上げるために子宮の内なるものなどを制御するなら、神的な摂理のこれらの秩序を無限の方法で曲げ、破壊しないか?


 人間は外なるものの中にいることが知られている。例えば、目で見、耳で聞き、舌で味わい、皮膚で感じ、肺で呼吸し、妻を妊娠させるなどである。あなたは 外なるものを知り、またそれを身体と心の健康のために制御することで、満足しないか? これができないとき、もし内なるものもまた制御するなら、何が生じるのか? それで、これらから、もし人間が明らかに神的な摂理を見るなら、自分自身をその進行の秩序と進路へ移動させて、それを曲げ、破壊することを明らかにすることができる。

コメントを残す