原典講読『神の摂理』 54, 55

 

(1) 原文


54.  Apparet sicut Infinitum non possit conjungi finito, quia non datur ratio infiniti et finiti, et quia finitum non est capax infiniti; sed usque conjunctio datur, tam quia Infinitus ex Se Ipso creavit omnia, (secundum illa quae in transactione De Divino Amore et Divina Sapientia, n. 282-284, demonstrata sunt,) quam quia Infinitus in finitis non aliud potest spectare quam infinitum a se, et quod hoc possit apparere apud finitos sicut in illis; sic datur ratio finiti et infiniti, non a finito, sed ab infinito in finito; et quoque sic finitus est capax infiniti, non finitus in se, sed sicut in se, ab infinito a se in illo. Sed de his plura in nunc sequentibus.


 


(2) 直訳


Apparet sicut Infinitum non possit conjungi finito, quia non datur ratio infiniti et finiti, et quia finitum non est capax infiniti; 無限(であるもの)は有限なものに結合されることができないように見える、無限と有限に比は存在しないので、また有限は無限を収容できるものでないので。


sed usque conjunctio datur, tam quia Infinitus ex Se Ipso creavit omnia, (secundum illa quae in transactione De Divino Amore et Divina Sapientia, n. 282-284, demonstrata sunt,) quam quia Infinitus in finitis non aliud potest spectare quam infinitum a se, et quod hoc possit apparere apud finitos sicut in illis; しかしそれでも、結合は存在する、無限(であるもの)がその方自身からすべてのものを創造されたのでと同様に、(それらにしたがって、それらは論文『神的な愛と神的な知恵について』282-284番の中に示されている)、(と同様に)有限なものの中の無限(であるもの)はそれ自体から無限であるもの以外に何らかのものを眺める(目を向ける)ことができないので、またこれ〔無限〕はそれらの中のように有限のものに見られることができること。


sic datur ratio finiti et infiniti, non a finito, sed ab infinito in finito; このように(したがって)有限と無限の比は存在する、しかし、無限により有限の中に。


et quoque sic finitus est capax infiniti, non finitus in se, sed sicut in se, ab infinito a se in illo. そしてまた、このように(したがって)無限は有限を収容できるものである、それ自体の中に有限(なもの)でなく、しかし、その自体の中のように、無限〔であるもの〕からそれ自体からその〔無限であるもの〕の中に。


Sed de his plura in nunc sequentibus. しかし、これらについて多くのことはそこで()次のものの中で。


 


(3) 訳文


54.  無限と有限に比は存在しないので、また有限は無限を収容できるものでないので、無限であるものは有限なものに結合されることができないように見える。しかしそれでも、結合は存在する。無限であるものがその方自身からすべてのものを創造されたので、(それらは著作『神の愛と知恵』282-284番の中に示されていることにしたがって)、また同様に有限なものの中の無限であるものはそれ自体から無限であるもの以外に何らかのものに目を向けることができないので、またこの無限はそれらの中のように有限のものに見られることができる。このように有限と無限の比は存在する、しかし、無限により有限の中にである。そしてまた、したがって無限は有限を収容できるものである。それ自体の中に有限なものでなく、しかし、その自体の中のように、無限であるものからそれ自体からその無限であるものの中にである。しかし、これらについて多くのことはそこでのものの中で〔述べる〕。


 


(1) 原文


55.  (iii) Quod Divina Providentia in omni quod facit, spectet infinitum ac aeternum a se, imprimis in salvando genere humano. Infinitum ac Aeternum in se est ipsum Divinum seu Dominus in Se; at Infinitum ac Aeternum a se, est Divinum procedens seu Dominus in aliis ex Se creatis, ita in hominibus et in angelis; et hoc Divinum est idem cum Divina Providentia; nam Dominus per Divinum a Se providet, ut omnia in ordine, in quo et in quem creata sunt, contineantur: et quia Divinum procedens hoc operatur, sequitur quod omne id sit Divina Providentia.


 


(2) 直訳


(iii) Quod Divina Providentia in omni quod facit, spectet infinitum ac aeternum a se, imprimis in salvando genere humano. (iii.) 神的な摂理はすべてのものの中で、それは生じる、無限を眺める(を向ける)こと、また本質的に永遠を、特に人類の救いの中で。


Infinitum ac Aeternum in se est ipsum Divinum seu Dominus in Se; 本質的に無限(であるもの☆)そして永遠(であるもの☆)は、神性そのもの、すなわち、ご自分の中の主である。


☆ これまで「もの」としてきていますが、大文字で表わされてることもあって「者」の訳も十分可能です。すなわち「無限である者」、「無限者」、また「永遠である者」、「永遠者」です。


at Infinitum ac Aeternum a se, est Divinum procedens seu Dominus in aliis ex Se creatis, ita in hominibus et in angelis; しかし、本質的に無限(であるもの)そして永遠(であるもの)は、発出する神性、すなわち、他のものの中のご自分からの創造されたものである、このように人間の中の、また天使たちの中の。


et hoc Divinum est idem cum Divina Providentia; またこの神性は神的な摂理と同一である。


nam Dominus per Divinum a Se providet, ut omnia in ordine, in quo et in quem creata sunt, contineantur: なぜなら、主はご自分からの神性によって備えられる(配慮される)から、すべてのものが秩序の中に、その中で、またその中へ、創造されたものがある、存続するように。


et quia Divinum procedens hoc operatur, sequitur quod omne id sit Divina Providentia. また発出する神性はこのことを働くので、そのすべてのものが神的摂理であることがいえる。


 


(3) 訳文


55.  (iii.) すべてのものの中で生じる神の摂理は、特に人類の救いの中で、本質的に無限なものをまた永遠なものに目を向けること。


 本質的に無限であるもの()そして永遠であるもの()は、神性そのもの、すなわち、ご自分の中の主である。しかし、本質的に無限であるものそして永遠であるものは、発出する神性、すなわち、他のものの中のご自分からの創造されたもの、このように人間の中の、また天使たちの中のものである。またこの神性は神的な摂理と同一である。なぜなら、主はご自分からの神性によって、創造されたすべてのものが秩序の中に、その中で、またその中へ存続するように配慮されるから。また発出する神性はこのことを働くので、そのすべてのものが神的摂理であることがいえる。

脳梗塞、顛末記(4終わり)

 

入院中は翻訳と数独をやっていたが、休憩室からの景色(立川市駅前のビル群、目の前の緑地、遠く丹沢や奥多摩の山並み、晴れていれば富士山)には慰められた。


午後4時から1時間ほどの「リハビリ」が何度かあった。普通行われるのは運動機能回復のためおn歩行訓練などであるが、私の場合は「言語能力」のチェックであった。


すぐさま、日常生活に問題なしと認められ、その後はある種の「知能検査」が行なわれた。いろいろあって楽しめた。暗算、暗記問題もあった。苦手であった。すなわち「数字とかなをまぜて数字とかな


を正しい順に述べよ」というものがあった。「5、1、み、3、ふ」と問われたら、「1,3,5、ふ、み」と答える。集中力が必要とされ、「疲れた」。また「枕草子の作者は?」のようなクイズのような問題もあった。より高度には「婚姻届はなぜ出さなければいけないのでしょう?」、「歴史はなぜ勉強するのでしょうか?」など、さまざまあった。考え込んでしまい、答えが出せないものも多かった。リハビリ担当者Kに言わせれば「考え過ぎですよ」と言われてしまう問題だった。


 リハビリ中に何度か「優秀です」と言われた。年齢(63)にしては衰えていない、それどころか普通の人以上であるからであった。最後に知能検査をしてもそれが顕著であった。特に言語能力である。


 知能指数でいえば運動能力(作業の速さ)100ぐらいの標準であるが、言語能力のあるものは147を示したものがあった。超優秀かもしれない(もちろん年齢は考慮して)。ただ担当者によれば、また私もわかっていたが、「発病前にどれだけの能力があったかわからない」ということ。


 私自身、長年の飲酒癖からそうとう頭がぼけてきている気がする。ここで「頭をやられた」いっそうそうなったかもしれない。以前の私はひょっとしたら超能力()の持ち主だったかもしれない、という気がして……やっぱりこない。それでも頭の一部が壊れてしまったことは映像から確かである。何が(永遠に)なくなってしまったのか気にはなる。しかし内なる記憶である「いのちの書」には記入されているだろうから、霊界で暇があったら思い出せるだろうか。


 まあ、ともかく、みなさん、身体を大切にしましょう。せっかく主にいただいた、恵まれたものなのだからだいじに役立てましょう。13日間の入院中、見舞いに来てくださった方々には改めて感謝いたします。ありがとうございました。おかげで、無事に復帰です(おしゃべりも元通りのようです)。