鈴木泰之さん、入院とのことで驚きましたが、今は言葉も回復し、元気な様子です。
本日、『天界と地獄』の校正原稿が泰之さんから送られてきました。もう、出版に向けての仕事をしているようです。
近日中に、直接に会って、このブログで状況を報告したいと思っています。
本人と電話で話しましたが、いつもと変わらない口調で、安心しました。
鈴木泰之さん、入院とのことで驚きましたが、今は言葉も回復し、元気な様子です。
本日、『天界と地獄』の校正原稿が泰之さんから送られてきました。もう、出版に向けての仕事をしているようです。
近日中に、直接に会って、このブログで状況を報告したいと思っています。
本人と電話で話しましたが、いつもと変わらない口調で、安心しました。
検査数値も安定し、良好になったそうで、鈴木泰之さんは明日退院とのことです。
元気いっぱいで、後遺症もなく、知能検査などの数値は普通の人をはるかに上回る結果とのことでした。
また、明日からブログにも復帰するという話しをしていました。
ご心配をおかけしました(?)。8月26日に入院してから、本日9月7日に退院しました。立川の「災害医療センター」にいました。7階の病棟からは今日は久しぶりに富士山がくっきりと。美しく見えました。無事の回復を暗示しているように思えました。
いちおう病名は脳梗塞の「失言症」です(病気の影響か、『失語症』の間違いです)。運動機能はまったく問題なく、左脳(すなわち言語分野)を軽くやられた感じです。それでも当初は「言葉はとんでもなかった」。そのことはそのうち話します。翌日27日の午後にはもう言語能力はほとんど回復していました。すなわち、27日には病室で『天界と地獄』の校正をしていました。
暑い中、見舞いに来てくださった新教会のみなさまに感謝いたします。「わたしが病気をしたとき、わたしを見舞ってくれた」(マタイ25:35)という「仁愛の働き」を心から感じています。
(1) 原文
47. Nunc quia agitur de Divina Providentia, et hic quod illa in omni quod facit, spectet infinitum et aeternum, et hoc non potest distincte tradi, nisi in quodam ordine; quare hic ordo erit:
(i.) Quod Infinitum in se ac Aeternum in se sit idem cum Divino.
(ii.) Quod Infinitum ac Aeternum in se non possit aliter quam spectare infinitum [ac aeternum] a se in finitis.
[1](iii.) Quod Divina Providentia in omni quod facit, spectet infinitum, et aeternum a se, imprimis in salvando genere humano.
(iv.) Quod imago Infiniti ac Aeterni exstet in caelo angelico ex salvato genere humano.
(v.) Quod spectare infinitum et aeternum in formando caelum angelicum, ut sit coram Domino ut unus Homo, qui imago Ipsius, sit intimum Divinae Providentiae.
@1 iii. pro “ii.”
(2) 直訳
Nunc quia agitur de Divina Providentia, et hic quod illa in omni quod facit, spectet infinitum et aeternum, et hoc non potest distincte tradi, nisi in quodam ordine; 今や、神的な摂理について扱われているので、またここで、それはすべてのものの中に生じている、無限と永遠を眺めている(目を向けている)〔ので〕、このことは区別して(明瞭に)伝えられることができない、ある順序の中でないなら。
quare hic ordo erit: それゆえ、ここに順序である(未来)。
(i.) Quod Infinitum in se ac Aeternum in se sit idem cum Divino. (i.) 本質的に無限(であるもの)そして本質的に永遠(であるもの)は神と同じ(同一)であること。
(ii.) Quod Infinitum ac Aeternum in se non possit aliter quam spectare infinitum [ac aeternum] a se in finitis. (ii.) 本質的に無限(であるもの)そして本質的に永遠(であるもの)は有限(なもの)☆の中にそれ自体から無限[そして永遠]を眺める(目を向ける)以外に異なってできないこと。
☆ ここの長島訳はまったく意味不明です、というよりも、不可解であり、何でしょうか?
形容詞finitusは「限定された、有限な」という意味でしかありません。もちろん実詞として「有限」もあります。長島氏はこともあろうに、「数ある無限のなかでは」in infinitis、と原文(?)まで併記しています。とんでもないことであり、あってはならないことです。原文の改ざんです
譲りに譲っても、原文を「~と思えるので、改訂しました」の注記すべきです。何も断らないでfinitisを正反対(「数ある無限」とは?)の意味のinfinitisに書き換えるのは、翻訳者の良心に反することだと思います。もちろん、意味が通じません。本人が存命ならば、私は大論争を挑んだでしょう。
[1](iii.) Quod Divina Providentia in omni quod facit, spectet infinitum, et aeternum a se, imprimis in salvando genere humano. (iii.) 神的な摂理はすべてのものの中で、それは生じる、無限を眺める(目を向ける)こと、また本質的に永遠を、特に人類の救いの中で。
(iv.) Quod imago Infiniti ac Aeterni exstet in caelo angelico ex salvato genere humano. (iv.) 無限(であるもの)そして永遠(であるもの)の映像は天使の天界の中に存在すること、人類の救いから。
(v.) Quod spectare infinitum et aeternum in formando caelum angelicum, ut sit coram Domino ut unus Homo, qui imago Ipsius, sit intimum Divinae Providentiae. (v.) 天使の天界の形成の中で無限と永遠を眺める(目を向ける)ことが、主の前に一人の人間であるように〔その〕ために、それはその方の映像、神的な摂理の最内部のものであること。
@1 iii. pro “ii.” 注1 「ii」の代わりにiii
(3) 訳文
47. 今や、神の摂理について扱われているので、またここで、すべてのものの中に生じている無限なものと永遠なものに目を向けているので、ある順序の中でないなら、このことは明瞭に伝えられることができない。それゆえ、これが順序である。
(i.) 本質的に無限であるものと本質的に永遠であるものは、神と同一であること。
(ii.) 本質的に無限であるものと本質的に永遠であるものは、有限なものの中にそれ自体から無限〔と永遠なもの〕に目を向けるしかできないこと。
(iii.) すべてのものの中で生じる神の摂理は、特に人類の救いの中で、本質的に無限なものをまた永遠なものに目を向けること。
(iv.) 無限であるものと永遠であるものの映像は、人類の救いから、天使の天界の中に存在すること。
(v.) 天使の天界の形成の中で、主の前にその方の映像である一人の人間であるように、無限なものと永遠なものに目を向けることが、神の摂理の最内部のものであること。
8月25日(木)、いつものように午後の水泳から戻り、2時半ごろからビール、焼酎を飲みながら(飲むのはこの午後の3時ごろと真夜中の2回! アル中と言えなくもない)、昼飯、および、ワイドショウ。そのまま、3時間ぐらいの午睡に入る。そしてまた「原典講読」をやり、その日の日課を終える。
この日は5時半ごろ起きた。頭がぼけっとして、ふらふらする。酔いがずっとさめないふうだった。いつもなら、7時頃にはすっかり酔いはさめる。でも、どうにも原典対訳ができない。たとえば「快」という漢字が読めない。たしかこの字は「よい」とか「よろこばしい」ような意味だったなと思い、「よ」から始まることばを辞書(私の辞書は『大辞林』)で、すべてあたった。しかしなかった。「あれ、変だな」と思い女房にどう読むのか聞いたら「こころよい」であった。翌日は息子夫婦が新居を購入し、深川(正確には福住)に引越しすることになっていた。その深川の文字が読めない。「あれ、この地名はなんだったけ」で「ふ・・・、何とかだったな」としかわからない。
結局、「あれ」とか「それ」とか言いっぱなし。それで、必死の思いで3行ほどパソコンをたたいて、ブログを閉じた。(そのまま寝たのであるが、本来はここで緊急入院すべきである)
翌26日朝6時頃、十分睡眠を取ったつもりが、全然変わらなかった。「立川新緑クリニック」という脳神経科専門の病院に行くことにする。そのときは『天界と地獄』の校正を脇に抱えていた。待ち時間の間に目を通そうと思っていたからである。さっそくMRI (脳の様子を調べる機械です)を撮った。
診察の結果は「一刻を争う、緊急事態です」と脅された。そこには入院施設がないので、たいていのことでは(人気があるので)入院できない「災害医療センター」に入院できるよう手筈を取った。こうしたことは全部女房の働きである。息子の嫁の妹が同センターで看護師をしているので、そのコネがきいたようである。救急車で11時頃入院。途中、救急隊員が「腕が動かせるか」と聞くが、運動機能はなんら問題なし。救急車内に書かれている「文字が読めるか」と聞かれたら、読める文字と読めない文字があった。
いくつか検査し、ベットをあてがわれ、点滴することになった。さて、ベッドわきに座っていろいろとメモしようと書いてみた。最初にメモした言葉が「脳そうこつ」である! 続いて「立川医療センター」と書いた。
何を言いたいか。「脳そうこつ?」「あれ、こんな言葉じゃなかったな?」「なんだったけな?」ということである。「脳こうそく」と書けなかったのであった、ひらがながグチャグチャになってしまった。そして続いて書いた「立川医療センター」はぴたり書けていた。すなわち、漢字は完ぺき、しかもカタカナは部分的に正常。ただし、「記憶喪(損のつもり)失」と書くには書けるが、読み方がわからないので、看護師が「きおく」とルビを振ってくれた。
その次に書いた「リヒバリ」とは何のことか? 本人は「リハビリ」が始まるかもしれないので、そのことを書いたつもりだった。変だと思って「リババリ」と書きなおしたが、もっと変だ。また「ビラハマ」とメモったが、これはついに何を書こうとしたのか(永遠に)忘れてしまった。「これじゃ、今後どうなるのだろうか?」