[7] Quoniam ecclesia apud Judaeos per falsificationes Verbi plane destructa fuit, ideo de Ephraimo ita dicitur, [7] ユダヤ人のもとの教会はみことばの虚偽化によって完全に破壊されたので、それゆえ、エフライムについてこのように言われている、
“Dabo te Ephraim, tradam te Israel, sicut Adamam, et ponam te sicut Zeboim” (Hosch. xi. 8). 「エフライムよ、わたしはあなたを与える(未来)、イスラエルよ、わたしはあなたを引き渡す(未来)、アデマのように、またわたしはあなたをツェボイムのようにする(未来)」(ホセア11:8)。
Nunc quia apud Prophetam Hoscheam, a primo capite ad ultimum ibi, agitur de falsificatione Verbi, et de destructione ecclesiae per illam, et quia per “scortationem” significatur falsificatio veri ibi, ideo mandatum est illi prophetae, ut representaret illum statum ecclesiae per quod acciperet sibi scortum in mulierem, et ex illa gigneret filios (cap. i.); それで、預言書「ホセア書」に、最初の章からそこに最後のものまで、みことばの虚偽化について扱われているので、また、それによって教会の破壊について、また「淫行」によってそこに真理の虚偽化が意味されるので、それゆえ、その預言者に命じられた、その教会の状態を表象するように、自分自身に淫婦を女として受け入れることによって、また彼女から息子を産む(父となる)(第1章)。
ac iterum, ut acciperet mulierem adulteram (cap. iii.). そして再び、姦淫の女を受け入れるように(第3章)。
[8] Haec allata sunt, ut ex Verbo sciatur et confirmetur, quod ecclesia talis sit qualis est intellectus Verbi in illa; [8] これらが引用された、みことばから知られ、確信されるように、教会がこのようなものであること、その〔教会の〕中のみことばの理解がどのようであるか〔によって〕。
praestans et pretiosa, si intellectus ejus sit ex genuinis veris ex Verbo; [8] すぐれた、また貴重なもの〔である〕、もしその理解がみことばからの純粋な真理からのものであるなら。
at destructa, immo foeda, si ex falsificatis. しかし、破壊された、それどころか不潔なもの〔である〕、もし虚偽化されたものからなら。
Ad confirmationem quod per “Ephraimum” significetur intellectus Verbi, et in opposito sensu ille falsificatus, et quod inde sit destructio ecclesiae, conferri possunt reliqua loca, in quibus de Ephraimo agitur :- 確信ために、「エフライム」によってみことばの理解が意味されること、またその対立する意味で虚偽化すること、また、ここから教会の破壊であること、他の個所から持ってくる(比較する)ことができる、それらの中にエフライムについて扱われている―
Ut Hosch. iv. 17, 18; cap. vii. 1, 11; cap. viii. 9, 11; cap. ix. 11-13, 16; cap. x. 11; cap xi. 3; cap. xii. 1, 9, 15 (B.A. 1, 8, 14); cap. xiii. 1, 12: Esai. xvii. 3; cap. xxviii. 1: Jerem. iv. 15; cap. xxxi. 6, 18; cap. l. 19: Ezech. xxxvii. 16; cap. xlviii. 5: Obad., vers. {3}19: Sach. ix. 10. 例えば、ホセア書4:17, 18、第7章1, 11、第8章9, 11、第9章11-13, 16、第10章11、第11章3、第12章1, 8, 14、第13章1, 12、イザヤ書17:3、第28章1、エレミヤ書4;15、第31章6, 18、第50章19、エゼキエル書37:16、第48章5、オバデヤ書第19節、ザカリヤ書9:10
@1 20 pro “21” 注1 「21」の代わりに20
@2 9 pro “20” 注2 「20」の代わりに9
@3 19 pro “9” 注3 「9」の代わりに19
(3) 訳文
79. 預言書に教会について扱われている多くの個所の中に、みことばの理解について扱われており、みことばが正しく理解されている以外の他のところに教会はないこと、また、その教会の中の者たちのもとのみことばの理解がどのようであるかによって、その教会もそのようなものであることが教えられている。さらにまた預言書の多くの個所に、イスラエルとユダヤ国民のもとの教会が、みことばの意味または理解を虚偽化したことによって完全に破壊され、無とされたことが記述されている、なぜなら、他の何らかのものは教会を破壊しないから。
[2] みことばの理解は、真理と同様に虚偽も、エフライムによって、預言書に、特に「ホセア書」に記述されている。なぜなら、みことばの中の「エフライム」によって、教会の中のみことばの理解が意味されるから。また、みことばの理解が教会をつくるので、それゆえ、エフライムは〔次のように〕呼ばれている、
「貴重な息子」、「うれしい子」(エレミヤ31:20)。
「長子」(エレミヤ31:9)。
「エホバの頭の力強さ」(詩篇60:7)、(詩篇108:8)。
「力ある者」(ゼカリヤ10:7)。
「弓で満ちている」(ゼカリヤ1:13)。
また、エフライムの息子たちは〔次のように〕呼ばれている、
「武装した」また「弓を射る者」(詩篇78:9)。
「弓」によって、虚偽に対して戦うみことばからの教えが意味される。それゆえ、さらにまた、
エフライムはイスラエルの右手に移され、祝福された。さらに、ルベンの代わりに受け入れられた(創世記48:5, 11以降)。
また、それゆえ、
エフライムはその兄弟マナセと一緒に、彼らの父ヨセフの名前の下に、モーセにより、イスラエルの子たちの祝福の中で、すべての者よりも高められた(申命記33:13-17)。
[3] しかしながら、みことばの理解が破壊された時、教会がどのようなものであるかもまた、エフライムによって預言者に、特に、「ホセア書」に記述されている。これらから明らかであるように―
「イスラエルとエフライムは倒れる。……エフライムは孤独になる。……エフライムはさばきに圧迫され、揺さぶられる。……わたしはエフラムに獅子のようになる、……わたしは襲う、また行く。わたしは取り除き、救い出す者はいない」(ホセア5:5, 9, 11-14)。
「エフライムよ、わたしはあなたに何をなそうか? ……あなたの敬虔さは、夜明けの雲のようであり、また朝に滴り、消え去る露のようであるからである」(ホセア6:4)。
「彼らはエホバの地に住まない……エフライムはエジプトに戻り、アッシリアで不潔なものを食べる」(ホセア9:3)。
[4] 「エホバの地」は教会である。「エジプト」は人間の自然的な記憶知であり、「アッシリア」はそこからの推論であり、それらから、みことばはその理解に関して虚偽化される。それゆえ、「エフライムはエジプトに戻る、またアッシリアで不潔なものを食べる」と言われている。
[5] 「エフライムは風を食う、また東風を追う。すべての日に、うそと荒廃を増す。アッシリアと契約を結び、油をエジプトに運ぶ」(ホセア12:2)。
「風を食う」、「東風を追う」、そして「うそと荒廃を増す」は、真理を虚偽化すること、またこうして教会を破壊することである。
[6] さらにまた同様のことが、次のものの中の「エフライムの淫行」によって意味される(なぜなら、「淫行」は、みことばの、すなわち、その純粋な真理の理解の虚偽化を意味するから)、
「わたしは知っている……エフライムにすべての淫行があり……イスラエルが汚れたこと」(ホセア5:3)。
「イスラエルの家の中に、わたしは不潔な事柄を見た。そこに、エフライムは淫行をなし、イスラエルは汚れている」(ホセア6:10)。
「イスラエル」は,教会そのものであり、「エフライム」は、みことばの理解であり、それから、またそれにしたがって教会がある。それゆえ、「エフライムは淫行をなし、またイスラエルは汚れている」と言われている。
[7] ユダヤ人のもとの教会は、みことばの虚偽化によって完全に破壊されたので、それゆえ、エフライムについて次のように言われている、
「エフライムよ、わたしはあなたを与える。イスラエルよ、わたしはあなたを、アデマのように引き渡す。わたしはあなたをツェボイムのようにする」(ホセア11:8)。
それで、預言書「ホセア書」に、最初の章からそこに最後のものまで、みことばの虚偽化について扱われているので、また、それによって教会の破壊について、また「淫行」によってそこに真理の虚偽化が意味されるので、それゆえ、その預言者に、その教会の状態を表象するために、淫婦を自分に女として受け入れ、彼女から息子を産むことが(第1章)、そして再び、姦淫の女を受け入れることが(第3章)命じられた。
[8] 教会の中のみことばの理解がどのようであるかによって、その教会がそのようなものであることが、みことばから知られ、確信されるように、これらが引用された。もし、その理解がみことばからの純粋な真理からのものであるなら、〔教会は〕すぐれた、また貴重なものである。しかし、もし、虚偽化されたものからなら、〔教会は〕破壊された、それどころか不潔なものである。「エフライム」によって、みことばの理解が意味されること、またその対立する意味で虚偽化すること、また、ここから教会の破壊であることの確信ために、エフライムについて扱われている他の個所から比較することができる―
例えば、ホセア書4:17, 18、7:1, 11、8:9, 11、9:11-13, 16、10:11、11:3、12:1, 8, 14、13:1, 12、イザヤ書17:3、28:1、エレミヤ書4;15、31:6, 18、50:19、エゼキエル書37:16、48:5、オバデヤ書第19節、ザカリヤ書9:10