QUOD DOCTRINA ECCLESIAE EX SENSU LITTERAE VERBI
HAURIENDA SIT, ET PER ILLUM CONFIRMANDA.
教会の教えは、みことばの文字通りの意味から
汲まれ、またそれによって確信されなければならないこと
(1) 原文
50. In praecedente articulo ostensum est quod Verbum in sensu litterae sit in suo pleno, in suo sancto, et in sua potentia; et quia Dominus est Verbum, est enim omne Verbi, sequitur quod Dominus in illo sensu sit maxime praesens, et quod ex illo doceat et illustret hominem. Sed haec demonstranda sunt in hoc ordine:-
(i.) Quod Verbum absque Doctrina non intelligatur.
(ii.) Quod Doctrina e Verbi sensu litterae haurienda sit.
(iii.) At quod Divinum Verum, quod Doctrinae erit, non appareat aliis quam qui in illustratione a Domino sunt.
(2) 直訳〔ここは『真のキリスト教』225番に引用されている〕
In praecedente articulo ostensum est quod Verbum in sensu litterae sit in suo pleno, in suo sancto, et in sua potentia; 先行する章の中で示された、みことばは文字の意味の中で満ちている、その聖なるものの中に、またその力の中にあること。
et quia Dominus est Verbum, est enim omne Verbi, sequitur quod Dominus in illo sensu sit maxime praesens, et quod ex illo doceat et illustret hominem. また主はみことばであるので、というのは〔主は〕みことばのすべてのものであるから、いえる、主はその意味の中に最も(おもに)現在すること、それ〔その意味〕から人間を教え、また照らす(明るくする)。
Sed haec demonstranda sunt in hoc ordine:- しかし、これらはこの順序で論証されなければならない―
(i.) Quod Verbum absque Doctrina non intelligatur. (i) みことばは教えなしに理解されないこと。
(ii.) Quod Doctrina e Verbi sensu litterae haurienda sit. (ii) 教えは、みことばの文字通りの意味から汲まれなければならないこと。
(iii.) At quod Divinum Verum, quod Doctrinae erit, non appareat aliis quam qui in illustratione a Domino sunt. (iii) しかし、神的な真理は、それは教えへのものでなければならない☆、他の者に見られない、その者は主から照らされている。
☆ ここはこのまままでは理解しづらいでしょう。(4)で解説し、意訳します。
(3) 訳文
50. 前章で、みことばは文字の意味の中で満ちていおり、その聖なるものの中にあり、またその力の中にあることが示された。主は、みことばであられるので、というのは主は、みことばのすべてのものであられるからであり、このことから、主はその意味の中で最大に現在され、、その意味から人間を教え、また照らすことがいえる。しかし、これことは次の順序で論証されなければならない―
(i) みことばは、教えなしに理解されないこと。
(ii) 教えは、みことばの文字通りの意味から汲み取られなければならないこと。
(iii) しかし、教えへのもととならなければならない神的な真理は、主から照らされている者以外に見られない。
(4) 神的な真理は教えへのものでなければならない
ここに文法的に留意すべきものが二つあります。(1)「未来時制erit」と(2)「属格doctrinae」です。
(1)「未来時制」。起こるべき事柄を示すために用いられます。ここは特に「神の真理」が主語なので、単純な将来の出来事ではあり得ません。それで「(教えのもの)であるべき」となります。柳瀬訳「教義に属さなくてはならない」は正しく、長島訳「教義に属する(神の真理は)」はこれを無視しています。
(2)「属格」。最も一般的な用法は「所有」であり、帰属でもあるので、「~の」と訳します。それで柳瀬、長島両氏も上記のように「属する」としています。
でも、「神的な真理」が「教え」に「属する」のは変です。私はこの「変だと思う感覚」が非常に重要だと思っています。これは「目的格属格」と呼ばれるものです(このサイトの教科書『スヴェーデンボリのラテン語』第2章参照)。「教え」を「神的な真理」の目的と見なします。それで普通は「~への」と訳します。
それで直訳上は「教えへのものであるべきである」となりますが、もう少し踏み込んで意訳しましょう。「教え」を目的とするなら、「神の真理」はその出発点、そのもととなるものです。それで「教えのもととならなければならない」と意訳できます。