原典講読『聖書』 43

 

(1) 原文


43.  [(i.)] Quod vera sensus litterae Verbi intelligantur per fundamenta muri Novae Hierosolymae (in Apocalypsi cap. xxi.), sequitur ex eo, quod per “Novam Hierosolymam” intelligatur nova ecclesia quoad doctrinam (ut in Doctrina de Domino n. 62, 63, ostensum est); quare per “murum” ejus, et per “muri fundamenta,” non aliud potest intelligi quam Verbi externum, quod est sensus litterae ejus; nam ille est, ex quo doctrina est, et per doctrinam ecclesia; et illa est sicut murus cum fundamentis, qui urbem includit et tutatur. De muro Novae Hierosolymae et de ejus fundamentis, leguntur haec in Apocalypsi:


 


Angelus “mensus est murum” urbis Hierosolymae “centum quadraginta quatuor cubitorum, quae erat mensura hominis, hoc est, angeli.” …Et murus habebat fundamenta duodecim, “omni lapide pretioso exornata: fundamentum primum jaspis, secundum sapphirus, tertium chalcedonius, quartum smaragdus, quintum sardonyx, sextum sardius, septimum chrysolithus, octavum beryllus, nonum topazius, decimum chrysoprasus, undecimum hyacinthus, duodecimum amethystus” (xxi. 17-20):


per numerum “centum quadraginta quatuor” significantur omnia vera et bona ecclesiae ex doctrina e sensu litterae Verbi, similiter per “duodecim;” per “hominem” significatur intelligentia, per “angelum” Divinum verum ex quo illa, per “mensuram” quale illorum, per “murum” et per “fundamenta” ejus sensus litterae Verbi, et per “lapides pretiosos” vera et bona Verbi in suo ordine, ex quibus doctrina, et per doctrinam ecclesia.


 


(2) 直訳〔ここは『真のキリスト教』217番に引用されている〕


[(i.)] Quod vera sensus litterae Verbi intelligantur per fundamenta muri Novae Hierosolymae (in Apocalypsi cap. xxi.), sequitur ex eo, quod per “Novam Hierosolymam” intelligatur nova ecclesia quoad doctrinam (ut in Doctrina de Domino n. 62, 63, ostensum est); [(i.)] 「みことばの文字通りの意味の真理が新しいエルサレムの城壁の基礎(土台)(「黙示録」第21章の中の)によって意味されること」はそのことから結果として生じる、「新しいエルサレム」によって教えに関する新しい教会が意味されること(『主について』の教え62, 63番の中に示されたように)


quare per “murum” ejus, et per “muri fundamenta,” non aliud potest intelligi quam Verbi externum, quod est sensus litterae ejus; それゆえ、その「城壁」によって、また「城壁の基礎(土台)」によって、みことばの外なるもの以外に何らかのものが意味されることはできない、それはその文字通りの意味である。


nam ille est, ex quo doctrina est, et per doctrinam ecclesia; なぜなら、それらであるから、それらから教えがある、また教えによって教会が〔ある〕。


et illa est sicut murus cum fundamentis, qui urbem includit et tutatur. またそれらは基礎(土台)とともに城壁のようである、それらは都を囲む、また守る。


De muro Novae Hierosolymae et de ejus fundamentis, leguntur haec in Apocalypsi: 新しいエルサレムについてとその基礎(土台)について、これらが「黙示録」の中に読まれる―
Angelus “mensus est murum” urbis Hierosolymae “centum quadraginta quatuor cubitorum, quae erat mensura hominis, hoc est, angeli.”
 天使がエルサレムの都の「城壁を測る」と、「百四十四キュービット(ペーキュス)、それは人間の尺度であった、これは天使の〔尺度〕」。


…Et murus habebat fundamenta duodecim, “omni lapide pretioso exornata: ……また城壁は十二の基礎(土台)を持った、「すべての宝石で飾られた―


fundamentum primum jaspis, secundum sapphirus, tertium chalcedonius, quartum smaragdus, quintum sardonyx, sextum sardius, septimum chrysolithus, octavum beryllus, nonum topazius, decimum chrysoprasus, undecimum hyacinthus, duodecimum amethystus” (xxi. 17-20): 第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四はエメラルド(緑玉)、第五は(べに)しまめのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶」(21:17-21)
per numerum “centum quadraginta quatuor” significantur omnia vera et bona ecclesiae ex doctrina e sensu litterae Verbi, similiter per “duodecim;”
 数「百四十四」によって、みことばの文字通りの意味からの教えからの教会のすべての真理と善が意味される、同様に「十二」よって。


per “hominem” significatur intelligentia, per “angelum” Divinum verum ex quo illa, per “mensuram” quale illorum, per “murum” et per “fundamenta” ejus sensus litterae Verbi, et per “lapides pretiosos” vera et bona Verbi in suo ordine, ex quibus doctrina, et per doctrinam ecclesia. 「人間」によって知性が意味される、「天使」によって神的な真理が〔意味され〕それ〔真理〕からそれ〔知性〕、「寸法」によってそれらの性質(どんなものか)、「城壁」によってまた「基礎(土台)」によって、みことばのその文字通りの意味が、また「宝石」によって、みことばの真理と善が、適切な順序で、それらから教え、また教えによって教会。


 


(3) 訳文


43. [(i.)]「みことばの文字通りの意味の真理が新しいエルサレムの城壁の土台(「黙示録」第21)によって意味されること」は、(『主について』の教え62, 63番で示されたように) 「新しいエルサレム」によって教えに関する新しい教会が意味されることから結果として生じる。それゆえ、その「城壁」、また「城壁の土台」によって、みことばのの文字通りの意味であるその外なるもの以外に何らかのものが意味されることはできない。なぜなら、それらから教えがあり、また教えによって教会があり、またそれらは都を囲み、守る、土台とともに城壁のようであるからである。


 新しいエルサレムとその土台について、次のものが「黙示録」の中にある―


 


 天使がエルサレムの都の「城壁を測る」と、「百四十四ペーキュスあり、それは人間の尺度、すなわち、天使の尺度であった」。……また城壁には十二の土台があり、「すべての宝石で飾られた。第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四はエメラルド、第五は紅しまめのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶」(21:17-21)


 

 数「百四十四」によって、みことばの文字通りの意味からの教えによる教会のすべての真理と善が意味され、同様に「十二」よって意味される。「人間」によって知性が意味され、「天使」によって知性のもととなる神的な真理が、「寸法」によってそれらの性質、「城壁」によってまた「土台」によって、みことばのその文字通りの意味が、また「宝石」によって、みことばの真理と善が、適切な順序で意味され、それらから教えがあり、また教えによって教会がある。

韓国新教会との交流が始まるか? その3(終わり)

 

529()、東京案内の二日目。この日は熊澤夫妻が栄さんとともに車で案内した。すなわち、ヤン牧師夫妻と合わせて5名である。以下は栄さんからざっと聞いた話。


最初に「皇居」、二重橋、桜田門を見たとのこと。銀座は「ここが四丁目」と車窓案内。(銀座は歩かなくてはその価値激減と思う。この次は私が歩いて案内するよ、いわゆる「銀ブラ」)


続いて「築地」。ここも場内には入らない(中に入ってほしかった)で場外の「玉寿司」(チェーン店がいくつかあるがここが本店)でスシ!


その後「浅草」。以上。


だいたい私が前日、熊澤さんにお勧めした場所であった。東京案内の「定番」であるが、二日間ならこれでよいと思う。


さて、夕方、ホテルのそばの店で「歓迎夕食会」。これには私も参加し、上記5名とTさんを含めて7名であった。6時から8時ちょっとすぎまで。話題はヤン牧師がイ・ミョンバク(李明博)に似ていることから(実際には似ていないが、雰囲気が似ている、妻もそう言っていた)、「政治」となった。そこで語られたのは、日本のマスコミは韓国の上層階級だけの見解を紹介しているのではないかということ。庶民の人気は前大統領、盧武鉉(ノ・ムヒョン)が絶大であった、残念ながら、ある種の圧力で自殺してしまった、など。珍しく政治の話となったが、しかし、ここで政治の話はやめておく。


8時ちょっと過ぎの「お開き」ということもあり、私の趣味でもあって「二次会」に誘う。といってもカラオケなどではなく、「ソバを味わおう」いうものである。


栄さんと一緒に4人で新宿二丁目「へぎそば昆」に向かう。途中でやはり花園神社を通りながら。「昆」はずっと以前にある飲み会の後、連れて行ってもらった、うまかったので、それ以来いつか再訪したかった。「へぎそば」なので新潟(越後)のソバであるが、日本のソバであることに変わりはないので、これでよいだろう。そして「うまい」と言ってもらえたのでよかった。


てんぷら・すし・そば、と味わってもらったので後は、うなぎ・すき焼き、であるがこれはまたの機会。そしていつかは日本料理そのものと思える「会席(懐石)料理」を味わってもらおうと思っているが、これはいつになるかわからない。


 


530() ジェネラルチャーチ東京グループの礼拝日。今は船堀駅前で行なっている。11時からの礼拝にヤン牧師夫妻も臨席。私たちとしては説教をお願いしたのであるが、「今回は牧師としてでなく」という本人に希望を尊重し、一般信徒の席で参加していただいた。礼拝後、昼食をはさんで午後の懇親会()では栄さんの通訳で、多岐にわたって話し合いがあった。詳細は省略するが、そこでの会話などを通して、ヤン牧師について私が知ったことをここで改めて記しておこう。


 


20歳ごろスヴェーデンボリに出会う。『真のキリスト教』を英語版から翻訳した。ジェネラルチャーチからの神学教育は受けていないが、韓国新教会の牧師ジン・クワック師の推薦で牧師となる(20071021日韓国でトム・クライン主教より叙階)。今はジン・クワック師の後任として韓国新教会を牧し、現在会員50名ほどに発展させた。


 


さて、230分で話し合いも終わり、熊澤さんの車で成田へと去る。日本の新教会に、また初訪問であった日本そのものにどのような印象を持たれたであろうか? わからない、でも「(歓迎するので)韓国新教会に来てほしい」の言葉が聞けたことは、お世辞でなく本心であると感じた。


ここで韓国新教会の指導者が日本を訪れたことの意義は(今後に向けて)大きいと思っている。