昨年11月6日に「スヴェーデンボリはパリを二度訪れた」と書いたが、訂正する。一度目と二度目はどちらも4~5年間の大旅行であったので、そのことしか念頭になかった(同記事参照)。
ここで、彼の業績をほんの少し見直したら、晩年(80-81歳)に訪れていた。うっかりこのことを忘れていた。『スヴェーデンボリ叙事詩』第39章、第40章(最近になって「あおい出版」のサイトに掲載された)を読めば、わかることであるが、ここでも少し述べておこう。
1768年の秋(80歳)、アムステルダムでクノーに出会う。4月まで滞在し、そのいきさつが第39章「アムステルダムの友」に書かれている、やや感動的である。その後、パリへ向かう、すなわち1769年春、5月6月とおそらく最適の季節をパリで過ごしている。
その目的は最後の大作『真のキリスト教』の出版であった(1771年アムステルダムでの出版が有名すぎるのでこの事実を忘れてしまう)。第40章「新しい福音」には、その出版に際し、検閲官から「ロンドンかアムステルダムで出版したことにすれば許す」と言われ、これは自分の生き方にそぐわないとして、結局、アムステルダムで出版することになったことが書かれている。
さて、パリにもう一度行くことがあるだろうか? と思っていた私に、よい理由づけができた。スヴェーデンボリも三回訪れたのだから、私もそれにあやかりたい、というものである。この理由は通用するだろうか?