(1) 原文
268. (iii.) Quod mala et falsa confirmata apud hominem permaneant, ac fiant amoris et vitae ejus.― Confirmationes mali et falsi non sunt aliud quam remotiones boni et veri, et si increscunt sunt rejectiones, nam malum removet et rejicit bonum, ac falsum verum: inde etiam confirmationes mali et falsi sunt occlusiones caeli, nam omne bonum et verum a Domino per caelum influit; et cum caelum clausum est, tunc homo in inferno est, et ibi in societate ubi simile malum et falsum regnat, a quo dein eximi nequit. Datum est loqui cum aliquibus, qui ante saecula apud se confirmaverunt falsa religionis suae, et vidi quod in iisdem, similiter ut in illis fuerunt in mundo, permaneant: causa est, quia omnia, quae homo apud se confirmat, fiunt amoris et vitae ejus; fiunt amoris, quia fiunt voluntatis et intellectus, ac voluntas et intellectus faciunt vitam cujusvis; et cum fiunt vitae hominis, fiunt non solum totius mentis ejus sed etiam totius corporis ejus. Inde patet, quod homo, qui se confirmaverat in
(2) 直訳
(iii.) Quod mala et falsa confirmata apud hominem permaneant, ac fiant amoris et vitae ejus.― (iii.) 人間のもとで確認された悪と虚偽は存続する、そして愛のものまた(ここから☆1)彼のいのち(生活)のものとなること☆2。
☆1 265番についていたindeがここでは落ちています。indeのあるほうがよいと思います。
☆2 この部分の長島訳について(4)で批評します。
Confirmationes mali et falsi non sunt aliud quam remotiones boni et veri, et si increscunt sunt rejectiones, nam malum removet et rejicit bonum, ac falsum verum: 悪と虚偽の確信は善と真理の移すこと(除去)以外の何ものでもない、またもし増大するなら拒否である、なぜなら、悪は善を遠ざけ(移し)また追い払う(拒否する)から、そして虚偽は真理を。
inde etiam confirmationes mali et falsi sunt occlusiones caeli, nam omne bonum et verum a Domino per caelum influit; ここからもまた悪と虚偽の確信は天界の閉ざすことである、なぜなら、すべての善と真理は主から天界を通して流入するから。
et cum caelum clausum est, tunc homo in inferno est, et ibi in societate ubi simile malum et falsum regnat, a quo dein eximi nequit. そして天界が閉ざされるとき、その時、人間は地獄の中にいる、またそこに社会の中に、同様の悪と虚偽が支配する場所に、そこからその後、連れ出されることができない。
Datum est loqui cum aliquibus, qui ante saecula apud se confirmaverunt falsa religionis suae, et vidi quod in iisdem, similiter ut in illis fuerunt in mundo, permaneant: ある者らと話すことが与えられた、数世紀前、自分自身のもとに自分の宗教の悪と虚偽を確信した者ら、また私は見た、同じものの中に、世の中でそれらの中にいたようなと同様の、どどまっていたこと。
causa est, quia omnia, quae homo apud se confirmat, fiunt amoris et vitae ejus; 理由である、すべてのものは、人間が自分自身のもとで確信したもの、彼の愛と生活のものになるから。
fiunt amoris, quia fiunt voluntatis et intellectus, ac voluntas et intellectus faciunt vitam cujusvis; 愛のものとなる、意志と理解力のものとなるので、そして意志と理解力はそれぞれの(者の)生活(いのち)をつくる。
Inde patet, quod homo, qui se confirmaverat in malis et falsis, a capite ad calcem sit talis; ここからである、人間は、自分自身に悪と虚偽を確信した者、頭からかかとまでこのようなものであること。
et cum totus talis est, non potest per aliquam inversionem aut retorsionem redigi in statum ei oppositum, et sic ab inferno extrahi. また全部がこのようであるとき、何らかの反転または曲げ返しによって彼に反対の状態の中にする(追いやる)ことはできない、またこうして地獄から引き出されることは〔できない〕。
Ex his et ex in hoc articulo videri potest, unde origo mali est. これらからまたこの節から見られることができる、悪の起源がどこからであるか。
(3) 訳文
268. (iii.) 人間のもとで確認された悪と虚偽は存続し、彼の愛に属するものと生活に属するものとなること。悪と虚偽の確信は善と真理を除くこと以外の何ものでもなく、またもし増大するなら拒否である。なぜなら、悪は善を、虚偽は真理を遠ざけ追い払うから。ここからもまた悪と虚偽の確信は天界の閉ざすことである、というのも、すべての善と真理は主から天界を通して流入するから。そして天界が閉ざされる時、人間は地獄の中に、同様の悪と虚偽が支配する場所のそこに社会の中にいて、そこからその後、連れ出されることはできない。
数世紀前の自分自身のもとに自分の宗教の悪と虚偽を確信した者らと話すことが与えられ、私は、彼らが世の中でいたのと同じ似たものものの中にどどまっていたのを見た。人間が自分自身のもとで確信したすべてのものは、彼の愛と生活に属するものになるのが理由である。意志と理解力のものとなるので、愛に属するものとなり、そして意志と理解力はそれぞれの者の生活をつくるのである。ここから、自分自身に悪と虚偽を確信した人間は、頭からかかとまでこのようなものである。また全部がこのようであるとき、何らかの反転または曲げ返しによって彼にとって反対の状態にすること、またこうして地獄から引き出されることはできない。
これらからまたこの節から、悪の起源がどこからであるか知ることができる。
(4) 「そのまま~化していく」とは何なのか? これが長島訳!
この個所の長島訳は「人が確認してしま(っ)た悪と偽りは、永続し、そのまま本人の愛および〈いのち〉に化していく」である。
細かいことを言えば、ここの「および」の使い方に違和感がある。etは「と」と訳して十分通じるし、ここでわざわざ「および」とする必要は何ら感じない。また「および」の普通の用い方とは異なる気がする。
さて、もっと問題なのは余分な付加「そのまま」である。原文にないのは明らか、そしてが同訳の265番ではこの「そのまま」がない。同じ文脈の中での同一文なのだから「同じに訳さなければいけない」と思う。ここだけに「そのまま」を付加する理由がない。その理由をあえて推測すれば「読者にとって読みやすくした」であろう、余計なお世話とはこのこと。
そしてそれ以上に「そのまま~化す」は、私にはまともな日本語と思えない。この「そのまま」付加するなら、その前の「永続」であり、「そのまま永続する」なら多少重複気味な表現ではあるが、読みやすいかもしれない。
「悪と偽りが…(そのまま)本人の愛といのちに化する」とは何か? 一見わかるような表現であるが、私には何のことかわからない。わからないでよいであろう。原文にそんなことは書いてないから。
でも、何も知らない読者は、どのように理解するのか? 私が長島訳を「でたらめ」と評するのは、このようなことが随所に見られるからである。