QUOD DIVINUS AMOR ET DIVINA SAPIENTIA NON POSSIT
ALITER QUAM ESSE ET EXISTERE IN ALIIS A SE CREATIS.
神的な愛と神的な知恵はそれ自体から創造された他のものの中に
存在し、存在するようになること以外の他にできないこと。
(1) 原文
47. Ipsum amoris non est amare se, sed est amare alios, ac illis per amorem conjungi. Ipsum amoris etiam est ab aliis amari, sic enim conjungitur. Essentia omnis amoris in conjunctione consistit; immo vita ejus quae vocatur jucunditas, amaenitas, delicium, dulcedo, beatitudo, faustitas et felicitas. Amor in eo consistit, ut suum sit alterius, ac ut sentiat ejus jucundum ut jucundum in se, hoc est amare; at sentire suum jucundum in altero, et non ejus in se, non est amare, hoc enim est amare se, illud autem amare proximum. Illa duo amoris genera sunt e diametro sibi opposita: utrumque quidem conjungit; et non apparet, quod amare suum, hoc est, se in altero, disjungat; cum tamen ita disjungit, ut quantum quis alterum sic amaverit, tantum postea illum odio habeat; solvitur enim conjunctio illa a se successive, et tunc amor fit odium in simili gradu.
(2) 直訳
Ipsum amoris non est amare se, sed est amare alios, ac illis per amorem conjungi. 愛の本質☆は、それ自体(自分自身)を愛することではない、しかし、他を愛することである、そしてそれに愛によって結合することである。
☆ ipsumには前述したように中性実詞として「本質、実体」の意味があります。「~自体」、「~そのもの」の訳語も可能ですが、属格amorisを生かすとこうなるでしょう。
Ipsum amoris etiam est ab aliis amari, sic enim conjungitur. さらにまた愛の本質は、他により愛されることである、なぜなら、こうして結合されるから。
Essentia omnis amoris in conjunctione consistit; すべての愛の本質は結合の中にある(存する)。
immo vita ejus quae vocatur jucunditas, amaenitas, delicium, dulcedo, beatitudo, faustitas et felicitas. 実にその生活(いのち)☆、それは楽しさ、快さ(愛らしさ)、歓喜(うれしさ)、愉快、幸運の状態、至福と幸福と呼ばれる。
☆ 意味は通じますが、動詞などが省略されていますね。適当に補って訳すことになります。
Amor in eo consistit, ut suum sit alterius, ac ut sentiat ejus jucundum ut jucundum in se, hoc est amare; 愛はそのことの中にある、それ自体が他のものであること、そして彼の楽しさを自分自身の中の楽しさとして感じること、このことが愛することである。
at sentire suum jucundum in altero, et non ejus in se, non est amare, hoc enim est amare se, illud autem amare proximum. しかし、自分自身の楽しさを他の中に感じること、そして彼の〔楽しさを〕自分自身の中に〔感じ〕ない、〔このことは〕愛することではない、なぜなら、これ(後者)は自分自身を愛することである、しかしながら、それ(前者)は隣人を愛することである。
Illa duo amoris genera sunt e diametro sibi opposita: それら二つの愛の種類は、正反対にそれ自体に正反対である。
utrumque quidem conjungit; 両方〔の愛〕とも確かに結合する。
et non apparet, quod amare suum, hoc est, se in altero, disjungat; そして見えない、自分自身を愛すること(のこと)、すなわち、他の中に自分自身を、分離する。
cum tamen ita disjungit, ut quantum quis alterum sic amaverit, tantum postea illum odio habeat; そのときそれでもこのように分離する、どれだけだれかが他の者をこのように愛したか〔によって〕、それだけその後、彼に憎しみを持つように。
solvitur enim conjunctio illa a se successive, et tunc amor fit odium in simili gradu. なぜなら、その結合はそれ自体から連続的に破られる、そしてその時、愛は同様の程度で憎しみとなるから☆。
☆ ややニュアンスは異なりますが「可愛さ余って憎さが百倍」の言葉が浮かびます。
(3) 訳文
47. 愛の本質は、自分自身を愛することではなく、しかし、他の者を愛することであり、そしてその者と愛によって結合することである。愛の本質は、他の者により愛されることでもある、なぜなら、こうして結合されるから。すべての愛の本質は結合の中にある。実に、それは楽しさ、快さ、うれしさ、愉快、幸運の状態、至福、幸福と呼ばれる生活である。愛は、自分自身が他の者のものであることの中にあり、その者の楽しさを自分自身の中の楽しさとして感じることが愛することである。しかし、自分自身の楽しさを他の者の中に感じ、その者の楽しさを自分自身の中に感じないことは愛することではない。なぜなら、後者は自分自身を愛することであるが、前者は隣人を愛することである。それら二種類の愛は、真っ向から正反対のものである。二つの愛とも確かに結合し、自分自身を愛すること、すなわち、他の者の中に自分自身を愛することは、分離することに見えない。そのときそれでも、だれかが他の者をどのように愛するかによって、それだけその後、そのように彼に憎しみを持って分離する。なぜなら、その結合はそれ自体から連続的に破られ、そしてその時、愛は同程度の憎しみとなるから。
(1) 原文
48. Quis non id potest videre, qui potest intueri amoris essentiam? Quid enim est amare se solum, et non aliquem extra se, a quo redametur? Hoc potius est dissolutio quam conjunctio. Conjunctio amoris est a reciproco, et reciprocum non datur in se solo: si putatur dari, est a reciproco imaginativo in aliis. Ex his patet, quod Divinus Amor non possit aliter quam esse et existere in aliis, quos amet, et a quibus ametur; cum enim tale est in omni amore, maxime erit, hoc est, infinite, in ipso Amore.
(2) 直訳
Quis non id potest videre, qui potest intueri amoris essentiam? だれがそれを見ることができないか? 愛の本質を熟視(熟慮)することのできる者。
Quid enim est amare se solum, et non aliquem extra se, a quo redametur? なぜなら、自分自身だけを愛することは何か? そして自分自身の外の他の者を〔愛さ〕ない、その者から愛し返されるであろう。
Hoc potius est dissolutio quam conjunctio. このことはむしろ結合よりも分解(解消)である。
Conjunctio amoris est a reciproco, et reciprocum non datur in se solo: 愛の結合は相互関係からである、そして相互関係は自分自身だけの中に存在しない。
si putatur dari, est a reciproco imaginativo in aliis. もし、存在することが考えられるなら、他の者の中の想像上の相互関係からである。
Ex his patet, quod Divinus Amor non possit aliter quam esse et existere in aliis, quos amet, et a quibus ametur; これらから明らかである、神的な愛は他のものの中に存在することと存在するようになる以外の他にできないこと、それを愛し、それにより愛される。
cum enim tale est in omni amore, maxime erit, hoc est, infinite, in ipso Amore. なぜなら、すべての愛の中でこのようであるとき、最大に存在するから、すなわち、無限に、愛そのものの中に。
(3) 訳文
48. 愛の本質を熟視することのできる者で、だれがこのことをわかることができないか? なぜなら、自分自身だけを愛し、自分以外の他の者から愛し返されるであろう、その者を愛さない、とは何なのか? このことは結合よりもむしろ分解である。愛の結合は相互関係からであり、相互関係は自分自身だけのの中に存在しない。もし、存在すると考えるなら、他の者の中の想像上の相互関係からである。これらから、神的な愛は、他の者を愛し、他の者により愛されることで、他の者の中に存在し、存在するようになることしかありえないことが明らかである。なぜなら、すべての愛の中で、このようであるとき、愛そのものの中に、最大に、すなわち、無限に、存在するからである。
日: 2009年9月1日
誤訳の訂正(天界と地獄575)
原典講読『天界と地獄』575番の中に誤訳がありましたので訂正いたします。
その直訳の個所は
Illi quia nihil lucis e caelo possunt recipere, et inde nihil videre intus in se, ideo plerique sensuales corporei sunt, qui sunt qui nihil credunt quam quod oculis vident et manibus tangunt: 彼らは、天界からの光の無を受け入れることができるので、そしてここから自分自身の中の内部に無を見ること〔ができる〕、それゆえ、大部分の者は身体の感覚による認識力☆〔の持ち主〕である、その者らは目で見て、手で触れるもの以外に何も(決して)信じない者らである。
☆ 中性名詞sensualeは「感覚による認識力」です。もっと短く表現したいのですが、うまい言葉はないでしょうか? 「感覚力」という言葉は存在しないし、造語としても変ですね? ここはそのような性質をもつ者たちです。
ここの丁寧にも注釈をつけて中性名詞としたsensuale「感覚による認識力」です(それで〔の持ち主〕というような補いまでしています)。正しくは形容詞sensualis「感覚的な」です。形としては名詞も形容詞も考えられますが、形容詞で意味が通じるなら、わざわざ「~の持ち主」などとしないほうがよいとしたものです。
それで訳文は次のものとなります。
彼らは、天界からの光の何ら受け入れることができず、ここから自分自身の内部に何も見ることができないので、それゆえ、その大部分は、目で見て、手で触れるもの以外に何も信じない、という身体からの感覚的な者である。
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なぜ、今頃になって誤訳発見なのか? に答えます。
現在、『レキシコン』最後の項目「S」に取り組んでいます。10月いっぱいには終える予定です。この8月後半は、いろいろなことから全然手がつかず、9月に入って気持ちも新たに取り組みを再開しました。順不同で翻訳しているのですが、ここで単語sensualisの用例にこの個所が取り上げられていたからです。今日はこの単語とsensus「感覚、意味」などを訳しました。