7月5日の『生活』44, 45番で「vitaの訳語」について論じたところ、このブログの(熱心な)読者である松本さんからコメントがありました(ご覧ください、有意義です)。コメントをありがとうございました。ここでそのコメントについてのコメントをいたします。
スヴェーデンボリの言わんとするところ(すなわち文意)は、ご指摘のとおりと思っています。ただ、そのように訳すことは私にとって「意訳」の範疇に入ってしまうと思います。直訳で通じれば、なるべき意訳を避けたい、というのが私の立場です。
「生活」と訳された文から、ご指摘のような「いかに生きるべきか」を問題としていると読者にわかっていただければ、それでよいと思っています。
私にとって「いかに生きるか」と「生活する」は同義語です。受身の生活、単にその日暮しの生活を(ほんとうの)「生活」とは思っていません。「生きて、活かす」から生活です。