(1) 原文
44. Quod homo possit multa scire, cogitare, et intelligere, et tamen non sapere, supra (n. 27, 28) ostensum est; et quia fidei est scire et cogitare, et magis adhuc intelligere quod ita sit, ita potest homo credere quod fidem habeat, et tamen non habet. Causa quod non habeat, est quia in malo vitae est, ac malum vitae et verum fidei nusquam possunt unum agere. Malum vitae destruit verum fidei, quia malum vitae est voluntatis, et verum fidei est intellectus, ac voluntas ducit intellectum, ac facit ut unum secum agat; quare si aliquid in intellectu est quod non concordat cum voluntate, hoc quando homo sibi relictus est, et ex suo malo et ejus amore cogitat, tunc verum, quod est in intellectu, vel ejicit, vel cogit ut unum sit per falsificationem. Aliter apud illos qui in bono vitae sunt; hi sibi relicti ex bono cogitant, et verum, quod in intellectu est, amant, quia concordat. Ita fit conjunctio fidei et vitae, sicut est conjunctio veri et boni, atque haec et illa sicut est conjunctio intellectus et voluntatis.
(2) 直訳
Quod homo possit multa scire, cogitare, et intelligere, et tamen non sapere, supra (n. 27, 28) ostensum est; 人間は多くのことを知り、考え、理解することができることは、そしてそれでも賢明であること〔ができ〕ない、上に(27, 28番)示された。
et quia fidei est scire et cogitare, et magis adhuc intelligere quod ita sit, ita potest homo credere quod fidem habeat, et tamen non habet. そして知ることと考えることは信仰のものなので、そしてそのようであることをもっとさらに理解すること、このように人間は信じることができる、信仰を持っていること、そしてそれでも持っていない。
Causa quod non habeat, est quia in malo vitae est, ac malum vitae et verum fidei nusquam possunt unum agere. 持っていない理由は、悪の生活(いのち)☆の中にいるからである、そして生活の悪と信仰の真理は決して一つとして働くことができない。
☆ (4) vitaの訳語について、を参照。
Malum vitae destruit verum fidei, quia malum vitae est voluntatis, et verum fidei est intellectus, ac voluntas ducit intellectum, ac facit ut unum secum agat; 生活の悪は信仰の真理を破壊する、生活の悪は意志のものであるので、そして信仰の真理は理解力のものである、そして意志は理解力を導く、そしてそれ自体と一つになって働くようにする。
quare si aliquid in intellectu est quod non concordat cum voluntate, hoc quando homo sibi relictus est, et ex suo malo et ejus amore cogitat, tunc verum, quod est in intellectu, vel ejicit, vel cogit ut unum sit per falsificationem. それゆえ、もし理解力の中に何かがあるなら、それは意志と一致しない、これを☆、人間が自分自身に残される時、そして自分自身の悪とその愛から考える、その時、真理は、理解力の中にあるもの、あるいは追い出す、あるいは一つのものとして考える、虚偽化によって。
☆ このhocは何を指すのでしょうか? 前にあるaliquid in intellectu estですね。これは具体的には後ろのquod est in intelectuであるverumですね。
Aliter apud illos qui in bono vitae sunt; 彼らのもとで異なる、生活の善の中にいる者たち。
hi sibi relicti ex bono cogitant, et verum, quod in intellectu est, amant, quia concordat. 自分自身に残されたこの者たちは善から考える、真理を、それは理解力の中にある、愛する、一致するので。
Ita fit conjunctio fidei et vitae, sicut est conjunctio veri et boni, atque haec et illa sicut est conjunctio intellectus et voluntatis. このように信仰と生活の結合が生じる、真理と善の結合のようである、そしてこれらとそれら〔の結合は〕理解力と意志の結合のようである。
(3) 訳文
人間は多くのことを知り、考え、理解することができ、それでも賢明であることができないことは、前に示された(27, 28番)。そしてそのようであると知り、考え、さらに理解することは、信仰のものなので、人間は〔そのことで〕信仰を持っていると信じることができるが、それでも〔信仰を〕持っていない。持っていない理由は、悪の生活の中にいるからである。そして生活の悪と信仰の真理は決して一つとして働くことができない。生活の悪は信仰の真理を破壊する。生活の悪は意志のものであり、信仰の真理は理解力のものであり、意志は理解力を導き、それ自体と一つになって働くようにするからである。それゆえ、もし理解力の中に意志と一致しない何かがあるなら、人間が自分自身のままに残され、自分自身の悪とその愛から考える時、理解力の中にある真理は、追い出されるか、あるいは虚偽化されることによって一つのものとして考えられる。
生活の善の中にいる者たちもとでは異なる。この者たちは自分自身のままに残されるとき、理解力の中にある真理を善から考え、一致するので愛する。したがって、真理と善の結合のように、信仰と生活の結合が生じ、それら二つの結合は理解力と意志の結合のようなものである。
(4) vitaの訳語について
vitaの意味は ①生命、いのち ②生活(この世も、あの世も) ③生涯(人生) ④生き方、暮らし、等々ある。特殊なニュアンスをもつ文脈以外では「いのち」か「生活」と訳せばだいたい間に合う。
さて、このあたりでは柳瀬訳は「生命」(〔生活〕の付加がある)、長島訳は「いのち」としている。
私はこの書名を『生活について』とした。そしてスヴェーデンボリの神学の本質を表わしているとも思える冒頭のことばを「すべての宗教は生活のものである」とした。
「信仰(真理への愛でもよい)」を持つか持たないかは、知っているか知っていないではなく、心の中に悪があるかないか、・・・でもない。天使ですら悪を持っている。だれもが(人間なのだから)心に悪を持っている。問題は、それを神の戒めに反しないとして避けないことである。だれもがこの世に生きるかぎりまったくの善人とはなれないと思う。必要悪というものもあるかもしれない。それでも神の戒めに反するとして、少しでも悪を避けようとするかどうかである。これは「実生活」をとおして実践するしかない。
すなわち、宗教とは、信仰を持つとは、神の戒めにしたがう「生活」である。新しい「いのち」を心に得ても、それを生活の場面で実践しなければならない。それで本書のこのあたりを読むとき「いのち」と訳すよりも、「いのち」を発揮する場である実生活を重んじる意味で、「生活」の訳語がはるかに適切だと思う。賛同してくださる読者が多いことを願う。
(1) 原文
45. Ex his nunc sequitur, quod sicut homo fugit mala ut peccata, ita fidem habeat, quia ita in bono est, ut supra ostensum. Hoc confirmatur etiam ex suo contrario, quod qui non fugit mala ut peccata, non fidem habeat, quia in malo est, ac malum intrinsecus odit verum; extrinsecus quidem potest ejus amicum agere, ac sufferre, immo amare ut in intellectu sit; at cum extrinsecum exuitur, quod fit post mortem, tunc verum suum amicum in mundo primum ejicit, postea negat quod verum sit, et demum aversatur.
(2) 直訳
Ex his nunc sequitur, quod sicut homo fugit mala ut peccata, ita fidem habeat, quia ita in bono est, ut supra ostensum. これらから今や帰結される、人間が悪を罪として避けるように、そのように☆信仰を持つこと、そのように善の中にいるので、上に示されたように。
☆ sicut~ita・・・の直訳はこうですが、相関文として「~かぎり・・・」という意味です。
Hoc confirmatur etiam ex suo contrario, quod qui non fugit mala ut peccata, non fidem habeat, quia in malo est, ac malum intrinsecus odit verum; このことはその正反対のことからもまた説明される、悪を罪として避けない者は、信仰を持たないこと、悪の中にいるので、そして悪は内(面)的に真理を憎む。
extrinsecus quidem potest ejus amicum agere, ac sufferre, immo amare ut in intellectu sit; 確かに外(面)的に彼の友人を行なうことができる☆、そして大目に見ること、実に愛することができる、理解力の中にあるものとして。
☆ もちろん直訳ですが、こうした直訳にもう驚くこともないでしょう。「友人として行動する(振る舞う)」です。ここは擬人法ですね。
at cum extrinsecum exuitur, quod fit post mortem, tunc verum suum amicum in mundo primum ejicit, postea negat quod verum sit, et demum aversatur. しかし、外(面)的なものが取り去られたとき、死後に起こることである、その時、真理を、世での自分の友を最初に追い出す、その後、真理であることを否定する、そして最後に憎む。
(3) 訳文
これらから今や、人間が悪を罪として避けるかぎり信仰を持つことが帰結される。前に示されたように、善の中にいるからである。このことはその正反対のことからもまた説明される。それは悪を罪として避けない者は、悪の中にいて悪は内面的に真理を憎むので、信仰を持たないことである。確かに外面的には、友として行動し、理解力の中にあるものとして大目に見ること、実に愛することもできる。しかし、死後に起こることであるが、外面的なものが取り去られた時、最初に世で自分の友であった真理を追い出し、その後、真理であることを否定し、最後には憎むのである。
1件のコメント
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生活の意は、(1)暮らしていること。暮らしていくこと。暮らし。 (2)生きて活動すること。
という現在ある状態なので、HOW to Live、「いかに生きてゆくか」のニュアンスが消えてしまうような気がします。「すべての宗教は生活のものである」→「すべての宗教はいかに生きるか」「すべての宗教は生き方の問題である」のほうがイメージできます。宗教生活、宗教的な生活とはいえても、生活のものではピンとこないような気がしますが、いかがですか?