(II.)
QUOD NEMO POSSIT BONUM FACERE, QUOD BONUM EST, A SE.
だれも善を行なうことができないこと、それは善である、自分自身から
(1) 原文
9. Quod hactenus vix aliquis sciat, num bonum quod facit sit a se, vel a Deo, est causa, quia ecclesia separavit fidem a charitate, et bonum est charitatis. Homo dat pauperibus, opitulatur egenis, impendit templis et xenodochiis, consulit ecclesiae, patriae et concivi, sedule invisit templum, tunc devote auscultat et orat, Verbum et libros pietatis legit, et cogitat de salute, et non scit num illa faciat a se vel a Deo. Eadem potest facere ex Deo, et potest facere ex se; si illa ex Deo facit, bona sunt; si ex se, non bona sunt. Immo dantur similia bona ex se, quae exstanter mala sunt; ut sunt bona hypocritica, quae deceptoria et fraudulenta.
(2) 直訳
Quod hactenus vix aliquis sciat, num bonum quod facit sit a se, vel a Deo, est causa, quia ecclesia separavit fidem a charitate, et bonum est charitatis. これまでほとんどだれも知らないこと、善が自分自身から行なわれたものかどうか、あるいは神からか、〔そのことの〕理由である、教会が信仰を仁愛から分離してしまったので、そして善が仁愛のものである。
Homo dat pauperibus, opitulatur egenis, impendit templis et xenodochiis, consulit ecclesiae, patriae et concivi, sedule invisit templum, tunc devote auscultat et orat, Verbum et libros pietatis legit, et cogitat de salute, et non scit num illa faciat a se vel a Deo. 人間が貧しい者に与える、乏しい者を助ける、礼拝所や(巡礼の)宿泊所にささげる、教会、祖国や仲間(の市民)を思いやる、勤勉に礼拝所を訪れる、その時、敬虔に(信心深く)聞き、祈る、みことばや信仰修養書(信心書)を読む、そして救いについて考える、そして、知らない、それらを自分自身から行っているのかどうか、あるいは神から。
Eadem potest facere ex Deo, et potest facere ex se; 同じことを、神から行なうことができる、また自分自身から行なうことができる。
si illa ex Deo facit, bona sunt; もしそれらが神から行なわれるなら、善(よいもの)である。
si ex se, non bona sunt. もし自分自身からなら、善(よいもの)ではない。
Immo dantur similia bona ex se, quae exstanter mala sunt; 実に(実際に)、自分自身からの似ている善が存在する、それははっきりとした悪である。〔この個所の訳文は意訳ですが、このほうが文意が通るでしょう〕
ut sunt bona hypocritica, quae deceptoria et fraudulenta. 例えば、偽善的な善がある、それは人を欺き、ごまかすもの。
(3) 訳文
善が自分自身から行なわれたものか、あるいは神から行なわれたものか、これまでほとんどだれも知らないことの理由は、教会が仁愛から信仰を分離してしまい、善は仁愛のものであるからである。人は、貧しい者に与え、乏しい者を助け、礼拝所や宿泊所に捧げものをし、教会、祖国、仲間を思いやり、熱心に礼拝所を訪れ、その時、敬虔に聞き、祈り、みことばや信心書を読に、そして救いについて考えるが、それらを自分自身から、あるいは神から行っているのか、知らない。同じことを、神から行なうことができ、また自分自身から行なうことができる。もしそれらが神から行なわれるなら、善である。もし自分自身から行なわれるなら、善ではない。実際に、はっきりとした悪であるのに、善に似た自分自身からのものが存在する。例えば、偽善的な善であり、それは人を欺き、ごまかすものである。
(4) 自分の行なう善が、自分自身からのものか、神からのものか、ではその判定法
宗教の生活とは善をなすことであり、善をなして善い生活を送った者は救われる。
と、これはわかった、というか、大前提である。それで、「善を行なおう」となる、努める。しかし、これを「我欲」で、自分自身からやっているのではないか? という疑問が生じる。「救われたい」ということすら我欲であって「自分だけよければよい」といった気持ちが中に潜んでいる気がする。
今、スヴェーデンボリの原典訳をネット上に公表していることですら、「人生を深く知り、味わい、できたら救われるため」に何らかのお手伝いになれば、と思ってやっているのであるが、このことによって「ほめられたい」という我欲に導かれているのではないか、と思ってしまう。
自分自身から行なう善は善ではない、と、これもわかる。それで、人間は弱いものだから、「神から」善を行なっているという証しがほしくなる。ちゃんとその判定法が次章に書いてある。それに照らし合わせると、私は失格である。つらい。このことを次章のどこかでまた述べよう。
(1) 原文
10. Bona ex Deo, et ex se, possunt comparari auro. Aurum quod ab intimo aurum, et vocatur aurum obryzum, hoc bonum aurum est; aurum commixtum argento est quoque aurum, sed bonum secundum commixtionem; minus autem aurum commixtum cupro. At aurum arte factum, et simile auro ex colore, non est bonum; non enim substantia auri in eo est. Datur etiam auratum; ut auratum argentum, cuprum, ferrum, stannum, plumbum, tum auratum lignum et auratus lapis, quae superficietenus etiam possunt apparere sicut aurum; sed quia non sunt aurum, aestimantur vel secundum artem, vel secundum pretium aurati, vel secundum pretium auri quod abradi potest. Haec bonitate differunt ab ipso auro, sicut vestis ab homine. Potest etiam lignum putidum et scoria, immo fimus, induci auro; hoc aurum est, quod cum bono Pharisaico comparabile est.
(2) 直訳
Bona ex Deo, et ex se, possunt comparari auro. 神からの善、それと自分自身から〔の善は〕金にたとえられることができる。
Aurum quod ab intimo aurum, et vocatur aurum obryzum, hoc bonum aurum est; 金、それは最内部から金、そして混ぜ物のない(精錬した)金と呼ばれる、これはよい金である。
aurum commixtum argento est quoque aurum, sed bonum secundum commixtionem; 銀を混ぜた金もまた金である、しかし混合(の性質)にしたがってよい。
minus autem aurum commixtum cupro. しかしながら、銅を混ぜた金は〔よさが〕少ない。
At aurum arte factum, et simile auro ex colore, non est bonum; しかし、模造の☆金は、そして色から金に似て〔いるが〕、よいものではない。
☆ arte factum(直訳は「技術でつくられた」)は「人工の、模造の、作り物の」の意味です。
non enim substantia auri in eo est. なぜなら、金の物質がその中にないから。
Datur etiam auratum; さらにまた金が存在する。
ut auratum argentum, cuprum, ferrum, stannum, plumbum, tum auratum lignum et auratus lapis, quae superficietenus etiam possunt apparere sicut aurum; 金箔を被せた銀のような、銅、鉄、錫、鉛、さらに金箔を被せた木や金箔を被せた石、それらはまた表面に関して(外面的に)金のように見えることができる。
sed quia non sunt aurum, aestimantur vel secundum artem, vel secundum pretium aurati, vel secundum pretium auri quod abradi potest. しかし、金ではないので、あるいは技巧にしたがって、あるいは金箔を被せられたものの価値にしたがって、あるいは金の価値にしたがって、それを削り落とすことができる、評価される。
Haec bonitate differunt ab ipso auro, sicut vestis ab homine. これらの善良さは金そのものから異なっている、衣服が人間から〔異なる〕ように。
Potest etiam lignum putidum et scoria, immo fimus, induci auro; さらにまた、腐った木やかなくそ、実に糞は、金を着せられることができる。
hoc aurum est, quod cum bono Pharisaico comparabile est. これが金である、それはパリサイ人の善にたとえられることのできるものである。
(3) 訳文
神からの善と自分自身からの善は、金にたとえられることができる。最内部からの金、混ぜ物のない金と呼ばれる金は、よい金である。銀を混ぜた金もまた金であるが、しかし混合〔の割合〕にしたがってよいものである。それでも、銅を混ぜた金はあまりよくない。しかし、模造の金は、色で金に似ているが、よいものではない。なぜなら、その中に金の物質がないから。さらにまた、金箔を被せた銀、銅、鉄、錫、鉛、さらに金箔を被せた木や金箔を被せた石のような金も存在し、それらは表面的に金のように見せることができる。しかし、金ではないので、それらは技巧にしたがって、あるいは金箔を被せられたものの価値にしたがって、あるいは削り落とすことができる金の価値にしたがって、評価される。これらは、衣服が人間と異なるように、金そのもののよさと異なっている。さらにまた、腐った木やかなくそ、実に糞にも、金を着せることができる。この金が、パリサイ人の善にたとえられることのできるものである。
(1) 原文
11. Homo ex scientia novit, num aurum in substantia bonum est, num commixtum et falsificatum, et num inductum; sed non ex scientia novit, num bonum quod facit in se bonum est: hoc solum novit, quod bonum a Deo bonum sit, et quod bonum ab homine non bonum sit. Quare quia interest saluti scire, num bonum quod facit a Deo sit, vel num a Deo non sit, ideo revelandum est; sed antequam revelatur, dicetur aliquid de bonis.
(2) 直訳
Homo ex scientia novit, num aurum in substantia bonum est, num commixtum et falsificatum, et num inductum; 人間は知識から知った☆、金が物質の中でよいもの(良質)かどうか、混ぜ物や偽物かどうか、また装った物かどうか。
☆ noscoは形は「完了」でも「気づく、知る」という意味です。
sed non ex scientia novit, num bonum quod facit in se bonum est: しかし、知識から知らなかった☆、行われる善が、本質的に善であるかどうか。
hoc solum novit, quod bonum a Deo bonum sit, et quod bonum ab homine non bonum sit. 単にこのことを知った☆、神からの善は善であること、そして人間からの善は善でないこと。
Quare quia interest saluti scire, num bonum quod facit a Deo sit, vel num a Deo non sit, ideo revelandum est; それゆえ、救われること〔に以下のことを〕知ることは重要であるので、善が神からなされたものであるか、あるいは神からでないのか、それゆえ、〔そこのとが〕示されなければならない。
sed antequam revelatur, dicetur aliquid de bonis. しかし、示される前に、善について何らかのものが言われなくてはならない。
(3) 訳文
人間は、物質の中の金がよいものか、混ぜ物や偽物か、また装った物かどうか、知識から知る。しかし、行なわれる善が本質的に善であるか、知識からは知らない。ただ、神からの善は善であり、人間からの善は善でないことだけを知っている。それゆえ、救われるために、行なわれる善が神からなのか、あるいは神からではないのか知ることは重要であるので、それゆえ、このこと示さなければならない。しかし、示す前に、善についていくらか述べておこう。