(I.)
QUOD OMNIS RELIGIO SIT VITAE, ET QUOD VITA EJUS SIT FACERE BONUM.
すべての宗教は生活のものであること、そしてその生活は善を行なうことであること
(1) 原文
1. Omnis homo, cui est religio, scit et agnoscit, quod qui bene vivit, salvetur, et quod qui male vivit, condemnetur: scit enim et agnoscit, quod, qui bene vivit, bene cogitet, non solum de Deo, sed etiam de proximo; non autem qui male vivit. Vita hominis est ejus amor; et quod homo amat, non modo libenter facit, sed etiam libenter cogitat. Quod itaque dicatur, quod vita sit facere bonum, est quia facere bonum unum agit cum cogitare bonum; quae si non unum agunt apud hominem, non sunt vitae ejus. Sed haec in sequentibus demonstranda sunt.
(2) 直訳
Omnis homo, cui est religio, scit et agnoscit, quod qui bene vivit, salvetur, et quod qui male vivit, condemnetur: すべての人間は、その者に宗教がある、知り、認める、善く生きる者は、救われること、そして悪く生きる者は(地獄へと)断罪されること。
scit enim et agnoscit, quod, qui bene vivit, bene cogitet, non solum de Deo, sed etiam de proximo; なぜなら、知り、認めるから、このことを、善く生きる者は、善く考える、神についてだけでなく、しかし隣人についてもまた。
non autem qui male vivit. しかしながら、悪く生きる者は〔そうでは〕ない。
Vita hominis est ejus amor; 人間の生活は彼の愛〔の現われ〕である。
et quod homo amat, non modo libenter facit, sed etiam libenter cogitat. そして愛するものを、喜んで☆行なうだけでなく、しかしまた喜んで☆考える。
☆ 副詞libenterは「喜んで、快く、進んで」という意味です。長島訳「愛することをするとき自由で・・・」はliber「自由」と勘違いであろうが、文章としても論理的に成り立たない、とんでもない誤訳。
柳瀬訳は「行なうことを愛する・・・」でlibennterを訳出していないし、「愛することを行なう」のが真意なのだから主客転倒の誤訳。
Quod itaque dicatur, quod vita sit facere bonum, est quia facere bonum unum agit cum cogitare bonum; そこで言われることは、生活とは善を行なうこと、善を行なうことと善を考えることは一つとして働く☆ので。
☆ unum agere「一つとして働く、協力して行動する」を長島訳は「同時進行している」としているが、私には耐えられない。気持ち悪くてたまらない。
quae si non unum agunt apud hominem, non sunt vitae ejus. それらはもし人間のもとで一つとして働かないなら、彼の生活のものではない
Sed haec in sequentibus demonstranda sunt. しかし、これらのことは続くものの中で示される。
〔このno.1の箇所の長島訳は特に意訳がはなはだしく、私にはがまんがなりません。ここでは2箇所しか指摘しませんでした、全部おかしい、ともいえます。読者の皆様も、長島訳をよく読んで、私がどこをおかしいと思っているか推測してみてください〕
(3) 訳文
宗教をもつすべての人間は、善く生きる者が救われ、悪く生きる者が断罪されることを知っており、認めている。なぜなら、善く生きる者は、神だけでなく、隣人についてもまた善く考えること、しかし、悪く生きる者はそうではないことを知っており、認めているからである。人間の生活とは、その者の愛であり、愛するものを、喜んで行なうだけでなく、喜んで考えもする。そこで生活とは善を行なうことと言われるのは、善を行なうことと善を考えることは一つとして働くからである。それらは、もし人間のもとで一つとして働かないなら、生活のものとはならない。しかし、これらのことは続くものの中で示される。
(4) 本書の題名について
最初、柳瀬訳『生命』の題名を見たとき、生物学の教科書のような印象を持った。そしていちばん最初の文「宗教はすべて生命のものであり・・・」について「なんだろうこれは?」と思った。宗教と生命はやや結びつくが「~ものである」と言われると、とたんにわからなくなるから。
続けて読めば「宗教を持っている者は、善い“生活を送る”者は・・・」と「生活」が出てくる。それでなんとなく生命とは生活ことなのかな、と思う。だったら最初から「生活」訳すほうがわかりやすい。
長島訳もどういうわけか「生命」としている。
さて、本書は「どのように生きるか」を問題としている。主により与えられた「いのち」を現実の場面でどのように生かすか、である。すなわち「どのように生活するか」である。
だから題名は「生活について」である。
しかし、厳密には違う。これは他の三つの題名に合わせた命名である。すなわち、他の三書はDoctrina Novae Hierosolymae de~であり、本書だけDoctrina Vitae pro Novae Hierosolymaである。
「~についての新しいエルサレムの教え」の題名に対し「新しいエルサレムのための生活の教え」である。略称なら「生活の教え」であり、微妙にニュアンスは異なる。それでも内容的に「生活についての教え」であるから「生活について」としても許容範囲と思う。