[LX]
DE MALITIA ET ARTIBUS NEFANDIS SPIRITUUM INFERNALIUM.
地獄の霊らの悪意とおそるべき☆策略について
☆ 形容詞nefandusが修飾するのは「malitia(単数)とartes(複数、単数形はars)」でしょうか? それともartesだけでしょうか? すなわち記号で表わせば(M+A)Nなのか、M+ANなのかです。くどくなりますが繰り返しますと形容詞の修飾範囲がどこまでかです。同じことを別の例で言ってみます。「黒い目の大きな~」という表現はあいまいです。すなわち「(黒い+目)の大きな~」なら「黒い目」が「大きい」し、「黒い+目の大きな」なら「(肌の色などが)黒くて」「目が大きい」わけです。
私は英語の場合、どちらかよくわからないことがあります。そのようなとき文脈から、内容から決定していますが、やや疑問が残ることがあります。(恥ずかしながら)文法的な約束はあるんでしょうか?
さて、ラテン語の場合、「性・数・格」があって、形容詞と形容される名詞の「性・数・格」は一致します。それでここのfefandisは「複数」奪格です。それでartesを修飾するとわかります。雑談します(4)。
なお、arsは単数で「技術」の意味ですが、複数では「たくらみ、策略」の意味にまります。
(1) 原文
576. Qualis excellentia spirituum est prae hominibus, quisque qui interius cogitat, et aliquid de operatione suae mentis novit, videre et comprehendere potest: homo enim mente sua plura intra minutum potest versare, evolvere, et concludere, quam potest intra semihorium eloqui et scriptura exprimere: inde patet, quantum excellet homo, quando in suo spiritu est, proinde quantum cum fit spiritus nam spiritus est qui cogitat, et corpus est per quod spiritus exprimit sua cogitata loquendo aut scribendo. Inde est, quod homo, qui fit angelus post mortem, in intelligentia et sapientia sit ineffabili respective ad intelligentiam et sapientiam ejus cum vixit in mundo; spiritus enim ejus, cum vixit in mundo, vinctus fuit corpori, et per illud fuit in naturali mundo; quapropter quod tunc spiritualiter cogitavit, influxit in ideas naturales, quae respective communes, crassae et obscurae sunt; ac innumera, quae spiritualis cogitationis sunt, non recipiunt, et quoque involvunt densis quae sunt ex curis in mundo. Aliter cum spiritus solutus est a corpore, ac in suum spiritualem statum venit; quod fit, cum ex naturali mundo in spiritualem, qui ei proprius est, transit. Quod tunc status ejus quoad cogitationes et affectiones immensum excellat prae statu ejus priori, ex nunc dictis patet. Unde est, quod angeli cogitent ineffabilia et inexpressibilia; proinde talia, quae non intrare possunt in cogitationes naturales hominis; cum tamen unusquisque angelus natus est homo, et vixerat homo, ac tunc sibi non plus sapere quam similis alius homo visus est.
(2) 直訳
Qualis excellentia spirituum est prae hominibus, quisque qui interius cogitat, et aliquid de operatione suae mentis novit, videre et comprehendere potest: どのように霊たちは優秀であるか、人間にまさって、だれでも内部で(内的に)考える者は、また自分の心の働きについて何らかのことを知る〔者は〕、見ることと把握することができる。
homo enim mente sua plura intra minutum potest versare, evolvere, et concludere, quam potest intra semihorium eloqui et scriptura exprimere: なぜなら、人間は自分の心で多くのものを一分間のうちに考え、展開し、結論することができるから、半時間のうちに口に出すことと文書で表現することができるよりも。
inde patet, quantum excellet homo, quando in suo spiritu est, proinde quantum cum fit spiritus; ここから明らかである、どれほど人間はまさるか、自分の霊の中にいる時、したがってどれほど霊となるとき〔まさるか〕。
nam spiritus est qui cogitat, et corpus est per quod spiritus exprimit sua cogitata loquendo aut scribendo. なぜなら、考える者は霊である、そして身体はそれによって霊が自分の考えを話すことかまたは書くことを表現するから。
Inde est, quod homo, qui fit angelus post mortem, in intelligentia et sapientia sit ineffabili respective ad intelligentiam et sapientiam ejus cum vixit in mundo; ここからである、人間は、死後、天使となるもの、知性と知恵の中にいる、世で生きたとき彼の知性と知恵と比較すれば言葉にできない。
spiritus enim ejus, cum vixit in mundo, vinctus fuit corpori, et per illud fuit in naturali mundo; なぜなら、その霊は、世の中で生きたとき、身体に結び付けられた、そしてそれによって自然界にいたから。
quapropter quod tunc spiritualiter cogitavit, influxit in ideas naturales, quae respective communes, crassae et obscurae sunt; それゆえ、その時に霊的に考えたことが、自然的な観念〈複数〉に流入した、それらは相対的に、全般的なもの、粗雑なもの、あいまいな(不明瞭な)ものである。
ac innumera, quae spiritualis cogitationis sunt, non recipiunt, et quoque involvunt densis quae sunt ex curis in mundo. そして無数のものを、それらは霊的な思考のものである、〔その観念は〕受け入れない、そしてまた、世での心配事(苦労)からものである暗いもの(はっきりしないもの)で包む。
Aliter cum spiritus solutus est a corpore, ac in suum spiritualem statum venit; 霊が身体から解放されているとき異なる、そして自分自身の霊の状態の中にやって来る。
quod fit, cum ex naturali mundo in spiritualem, qui ei proprius est, transit. そのことは起こる、自然界から霊〔界〕の中へ、それは彼に固有の(自分自身の)ものである、移るとき。
Quod tunc status ejus quoad cogitationes et affectiones immensum excellat prae statu ejus priori, ex nunc dictis patet. その時、彼の状態は思考と情愛に関して、彼の以前の状態と比べて計り知れないほどまさる、「から、今や、あなたは言う、明らかである」☆。
☆ これまで見たこともない文章なので「逐語訳」としました。なんとなくわかりますが、「あなた」とはだれでしょうか? 普通は、文中の「彼」です。彼の人称を変えて、「霊となった今では明らかである」と言うのです、そしてその理由から「から」と言っています。もう一つ考えられるのは読者である「あなた」です。これまで読んできて、あなたは「明らかである」と言うでしょう「から」。でもこの解釈はやや苦しいです。追加の説明なので、この文を省いても文意は変わりません。
Unde est, quod angeli cogitent ineffabilia et inexpressibilia; そこからである、天使たちは言葉にできないものと言い表わせないものを考えていること。
proinde talia, quae non intrare possunt in cogitationes naturales hominis; したがってこのようなものを〔考える〕、それらは自然的な人間の思考の中に入ることができないもの。
cum tamen unusquisque angelus natus est homo, et vixerat homo, ac tunc sibi non plus sapere quam similis alius homo visus est. たとえ☆それぞれの天使は人間に生まれ、人間を生きた、そしてその時、自分自身が他の人間と同様以上に見られないとはいえ。
☆ cum tamenは「たとえ~とはいえども」という意味です。
(3) 訳文
霊たちは人間にどのようにまさって優秀であるか、だれでも内的に考え、自分の心の働きについて何らかのこと知る者は、見て、把握することができる。なぜなら、人間は、半時間のうちに口に出すことと文書で表現することができるよりも多くのものを、自分の心で一分間のうちに考え、展開し、結論することができるから。ここから、人間は自分の霊の中にいる時、したがって霊となるとき、どれほどまさるか明らかである。なぜなら、霊が考えるのであって、身体は霊がそれによって自分の考えを話すかまたは書くことを表現するものであるから。ここから、死後、天使となる人間は、世で生きたときの知性と知恵と比較すれば、言葉にできないほどの知性と知恵の中にいる。なぜなら、その霊は、世で生きたとき、身体に結び付けられ、そ身体によって自然界にいたから。それゆえ、その時に霊的に考えたことが、相対的に、全般的で、粗雑で、あいまいなものである自然的な観念に流入した。そして霊的な思考のものである無数のものを、その観念は受け入れず、世で心配事からものである暗いもので包む込む。霊が身体から解放され、自分自身の霊の状態の中にやって来るときは異なる。そのことは、自然界から彼自身の霊界へ移るとき、起こる。その時、思考と情愛に関して、彼の状態は以前の彼の状態と比べて計り知れないほどまさり、彼は「今や、明らかである」と言うであろう。それで、たとえそれぞれの天使は人間に生まれ、人間として生き、そしてその時、自分自身が他の人間と同じにしか見えないとはいえ、天使たちは言葉にできず、表現できないもの、したがって、自然的な人間の思考の中に入ることができないようなものを考えている。
(4)「法」「法律」はローマ時代に完成した、と言われること
古代ギリシアで「哲学」が起こった。後述のことから連想して、おそらくギリシア語が哲学するのに適した言語だったのかもしれない(そうとうに厳密な言語なので、一般的に古典語は厳密である)。
さて、古代ローマはどうか? それまでになかった巨大帝国となった。当然「法」が必要となる。それまでにも「ハンムラピ法典(本文282条)」などあったが、巨大帝国を治めるには大きな、綿密な法を定めなければならなかったであろう。それで古代ローマの成し遂げたことの一つが「法」である。
さて、「法」には、あいまいなところ、いくつかの解釈の余地がある、があってはならない。ラテン語は厳密である(先ほど触れた「形容詞の修飾」はその一例)。法を制定しようにも、その言語が厳密でなかったら、土台がゆらぐようなものである。私はラテン語の厳密性の上にローマ法が成立した、と思っている。
話はややそれてゆく。厳密ばかりがよいものかどうか。すなわち、きちっと輪郭を描くばかりが絵ではない、ぼんやりとした印象派の絵もある。「はっきりさせない」のも、「あいまいな要素をあえて残す」のも、ひとつの表現である。その点では日本語は優秀な言語かもしれない。微妙ないいまわし、繊細な味はどのような言語にもあるであろうが、特に日本語はすぐれていると思う、これは日本人の感性と表裏一体である。料理を見れば、和食に見られる「繊細さ」は世界一と思う。文化人の間で日本食がブームなのは当然、これは言語にも言える。