前日、すなわち19日の夕方、食卓の上に高校「生物」の教科書がおいてあった。どんなことが書かれているかな,覗いてみて、びっくりした。
なぜ高校の教科書があるのか、ちょっと回り道。私の家族構成は妻(54)、長男(31)、二男(30)、三男(24)、長女(15)である。長男、二男は家を出て、すでに結婚している。私は62歳であるが、46歳のとき娘に恵まれた。それで、この年齢で、我が家には今年高校1年生がいる。この節、めずらしいことだろう、40過ぎてから子を得るのは、でも、皆様にお勧めしたい、年取ってからでも子をもうけること。楽しみが多い。もし、長男と二男だけだったら、今頃、夫婦二人だけの生活。一つだけ悩みがあって、教育費がかかること。でも、それは事前に蓄えておけば済む。数ある楽しみのほんの一つが今回のように高校の教科書を眺められたこと。
私は高校時代に受験科目を物理・化学としたので、生物は授業をとっただけで何も勉強しなかった。数学の教科書に限らず、今の教科書はどんどんよくなっている。生物の教科書もよくなっているかな、と軽い気持ちで目を通した。最初は「細胞」だった。詳しいことは知らないが、一つの細胞の内部が大都会にも匹敵するような複雑な構造をしていることは知っていた。きれいな図版で見やすい。遺伝子などの話もある。ぱらぱらめくって「人体の循環系統」のところにきた。「スヴェーデンボリは霊魂の住みかとして解剖学を学んだし、「脳」についての著作もあるな」と思いながら。
「心臓」の部分を読んだ。ペースメーカーというものを知った、そしてびっくりしたのだった! 実にその時まで知らなかった。何と、肺のない動物、血管のない動物がいる! (みなさんは知っているんですよね?)
さすがに心臓のない動物はいないでしょうね、心臓がないと動物かどうか、あやしくなる(でも、くらげにはないよね? 極小動物にはないものがいそうです、動物と生物の違いはどうなっているの? 知りません)。ある程度の大きさの動物にはみんなあるね。
人間から類推して、てっきり、心臓があれば、血管もある(実は動脈、静脈の区別のない動物がいる、というのが発端であった)、肺もある、と思い込んでいた。
スヴェーデンボリによれば心臓は愛に、肺は知恵に対応する。愛や知恵には、高等なものから下等なものまである。肺のない動物とは、「知恵」のない下等な「愛」があるがある、ということだろうか? また血管がないとは? 愛はあるが、それ伝える明確な手段がない、ということなのか? 考えさせられた。62歳にして、ろくに学ばなかった生物学が新しい。人間も不思議だが、人体も(それ同等に、いやそれ以上に?)不思議だと思う。