前日の543番に次の記事を補足します。
(4) affluxusとinfluxusについて
Reguntur inferna in communi per 「affluxum」 communem Divini Boni ac Divini Veri ex caelis・・・「地獄は一般に天界からの神的な善と神的な真理の普遍的な「流れ込み」によって支配されている・・・」とあった。「流れ込み」の訳語は誤解を生むかもしれない。すなわち同じようなことはinfluxus「流入」とどこが違うのか、である。訳語的にはここでは「流れ来る」が適切なようである。それを説明する。
言語的にはaffluxusはaffluo=ad「~へ」+fluo「流れる」の名詞、同じくinfluxusはin「~の中へ」+fluoである。すなわち「流れて向かう」(これは立場をかえれば「流れて来る」)のと「流れて入ってくる」との違いである。
この文に即して解説しよう。地獄には「善や真理」が「やって来る」だけで「流入」はしない。すなわち外面的に作用する、内面まで入ってこない(そしたら「流入」)。人間で言えば、善や真理の環境に置かれ、そこから影響を受けるのである。善人たちの間では自分もやはり善人らしくなる、でも善を受け入れたことにはならない。真理も同じこと、スヴェーデンボリの教えに接しただけならafluxusであって、生活の善を伴えばそれがinfluxusとなる。おわかりになったと思う。
地獄の統治は、その住民に、もはや善や真理が流入することはないので、善や真理が外側から働きかける、それでaffluxusなのである。