先人の訳を見るのは当然のこと、また個人的にどのように評価するのも自由。さて、これまで誤訳を指摘してきているが、なぜかを述べよう。これを「人の荒捜し」「非難」と受け止める人がいるかもしれない、私にそのような性分があるのは否定しない。でも私の本来の思いはやや違う。
翻訳するとき「私の前に道はない、私の後に道はできる」という気がするので、道路にたとえよう。先人が道を通してくれた、それをたどると橋があった(あるいは、つまずきそうな石があった)、手抜き工事とまでは言わないが、欠陥個所が見つかった。用心しないと橋から落ちそうに思える。その欠陥個所を見つけた人間は、そのことを指摘するだろう、「この橋には危ないところがあるよ」と。そしてつくり直す余裕があればつくり直すだろう。
このように思ってほしい。誤りを見つけた人間は、とりあえず他の人たちに知らせておく義務があると思う(全部をよくわかっている人には余計なことですね、しかし、「間違っている」と言わないと、見逃す人も多いのではないでしょうか)。
もう一つ補足しよう。16歳も年長の先輩に苦言を呈するのは遠慮しがちになるものであるが、翻訳者の翻訳中の年齢を考慮してみる。長島氏がラテン原典より本邦初訳として『天界と地獄』を出版したのは1985年、54歳のときであった。私が現在61歳である。時間を越えて、同時代に生きたとすれば、7、8歳年下の翻訳者仲間に誤りを指摘してもそれほど失礼ではないと思う。