長島訳について:意味不明の誤訳

 no,38の冒頭で長島訳を「意味不明の誤訳」と評した。このことについてもう少し述べよう。
 誤訳について、かつてその原因を考えたことがあった。
(1) 単純なミス。思い違いや取り違えに由来し、人間のすることだからどうしても起こるもの。冷静に読み直せば本人でも気づくもの。私もするし、あまりひどくなければ許容範囲かもしれない。
(2) 翻訳者の実力不足。この実力にいろいろ考えられる。(a) (原典の)語学力(読解力)。読解力には純粋な語学力だけでなく、書かれている内容に関する知識が相当にものをいう。スヴェーデンボリを訳すなら、精神世界やキリスト教、聖書に精通していなくてはならない。この知識がなくては正確な翻訳はできないと思う。(b) (日本語の)表現力、文章力。せっかく内容が汲み取れても、それを読者に的確に伝える文章力がなければ何にもならない。読みやすく、誤解しそうな表現を避けるなどの工夫が必要である読者が誤って受け止めかねない文章、誤解を与える文章なら、広い意味で「誤訳」といえる。
 以上のようなことを考えていた。しかし、ここで別種の誤訳に気づかされた。翻訳者の「意識・無意識」の問題である。上記のように勘違いや実力不足から、翻訳者が無意識に行なってしまう誤訳がある。
 しかし、長島氏の翻訳には翻訳者の「意識的なもの」がある。それで「意味不明」となるのだった。
 長島訳を読んだ方ならお気づきと思う。その翻訳に余計な付加(「三層の天界」の例に見られる「層」を勝手に加えている)があり、あまりに原文から離れた訳し方をしていることである。なぜこうなのかを考えてみた。翻訳者自身に著者と違ういろいろな考えがある、当然のことである。しかし、翻訳文の中にそれを紛れ込ませてはいけない。忠実な翻訳ではなくなる。(翻訳者自身の「解釈」が翻訳文に反映してしまうことは、これはやむをえない、そうでなければ、だれが翻訳しても同じ文になるはず)。
 別の言葉で言えば、スヴェーデンボリの名前で、その文章を借りて、自分の思想を語ることになる。今回「意味不明」とした「自分が神の秩序のもとで、どんな段階にいるか知らない者は」の部分は、原意からかけ離れていることもあるが、論理が成り立たないから意味不明である。長島氏の訳からは、「自分がどの段階に属するか」ということと、「天界の区分について理解できる」ことと何の関係があるのか、という疑問がわく。答えなどあるはずがない。誤訳だから。
 本人が誤訳と気づかないのは、自分なりの論理を組み立てているから。そしてその持論を、言葉は悪いが、スヴェーデンボリの著作の中へ持ち込み、読者をそこへ引き込むから。それで、全体的に意味不明の文章となってしまう。
 このように他人の訳を批評する時、その批評の矢が自分に向かってくるのは覚悟の上で述べている。

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