原典講読『信仰』について

 以前に連載した「原典を読もう」の整理がここで終わりました(いずれ「ラテン語学習」の欄に掲載されます)。念願だった原典の訳出に入ります。ただ訳すだけでなく、「講読」の形でこのブログに掲載することで、最新訳をお知らせするとともに、いっしょに原典を学べたら、と願っています。
 「(2)直訳」の部分から、原文と(直訳の)訳文を見比べることでラテン語については学べると思います。それで注釈等は最小限にしました。
 完成した形の「(3)訳文」からでは汲み取れないものが「(2)直訳」から知ることができると思います。
 できましたら、これまでの訳である静思社「柳瀬訳」とアルカナ出版「長島訳」と比較してみてください。いろいろなことがわかると思います。簡単に言って、前者からは英訳からの重訳の限界、後者からは(異常にも感じられる)意訳です。
 比較することで、私の「翻訳に対する姿勢」がわかると思います。

原典講読『信仰』1,2

◎ DOCTRINA NOVAE HIEROSOLYMAE DE FIDE.と題された本書は1763年(著者73歳)にアムステルダムで出版されたものです。
◎ 70歳のとき『天界と地獄』を含む「ロンドン五部作」の後、やや間があって、他書『主について』『聖書について』『生活について』とともに出版した「新しいエルサレムの教え」四部作の一つです。同年には『神の愛と知恵』も出版しています。
◎ 「講読」といっても、ほとんど「対訳」の形になると思います。次の形式とします。
 (1) 原文の提示。 (2)なるべく短く区切って、これもなるべく「直訳」。そのさい、単語や文法事項の説明が入る場合があるかと思います。 (3)やや意訳した訳文の提示。 (あったっら(4)感想。)
     DOCTRINA NOVAE HIEROSOLYMAE DE FIDE.
     信仰についての新しいエルサレムの教え
          (I.)
     QUOD FIDES SIT AGNITIO INTERNA VERI.
     信仰は真理の内なる承認であること
(1) 原文
1. Per Fidem hodie non aliud intelligitur, quam cogitatio quod ita sit quia ecclesia docet, et quia non patet coram intellectu; dicitur enim, “Crede et non dubita.” Si respondetur, “Hoc non comprehendo,” dicitur quod ideo credendum sit. Quare hodierna fides est fides ignoti, et vocari potest fides caeca: et quia est dictamen alterius in altero, est fides historica. Quod haec non fides spiritualis sit, videbitur in sequentibus.
(2) 直訳
Per Fidem hodie non aliud intelligitur, 今日の信仰によって他のものが意味されない、
☆蛇足ながら「今日」は「こんにち」と読んでください。「現今」の意味です。
quam cogitatio quod ita sit quia ecclesia docet, そのようであることと〔する〕考え以外の、(なぜなら)教会が教えるから、
et quia non patet coram intellectu; また(なぜなら)理解力の前で明らかでないから、
dicitur enim, “Crede et non dubita.” なぜなら、「信じよ、疑うな」と言われる。
Si respondetur, “Hoc non comprehendo,” もし、「このことを私は理解しない」と答えるなら、
☆ここのrespondeo「答える」は受動態でまさに直訳なら「答えられる」。非人称動詞と見なします。
dicitur quod ideo credendum sit. それゆえ、信じられなければならないこと、を言われる。
☆credendumはcredo「信じる」の動形容詞。sumを伴って「必要性を示す」ために述語的に使われる。
Quare hodierna fides est fides ignoti, それゆえ、今日の信仰は知らないことの信仰である、
et vocari potest fides caeca: また、盲目の信仰と呼ぶことができる。
et quia est dictamen alterius in altero, est fides historica. また、別の者が別の者に言った〔ことな〕ので、史実に基づく信仰である。
Quod haec non fides spiritualis sit, videbitur in sequentibus. これが霊的な信仰でないことは、続く事柄の中に見られる。
☆videbiturはvideo「見る」の未来形、動形容詞と同じく「必要性を示して」います。「(必要なので)これから示します」といったニュアンスです。
(3) 訳文
 1. 今日の信仰によって、教会が教えるから、明らかに理解できないから、「信じよ、疑うな」と言われるから、そのようであると考えること以外の(他の)ものは意味されない。もし、「私はこのことがわからない」と答えるなら、それだからこそ、信じられなければならない、と言われる。それゆえ、今日の信仰は知らないことの信仰であり、盲目の信仰と呼ぶことができる。また、ある者がある者に語ったことなので、歴史に基づく信仰である。これは霊的な信仰でないことを、続く事柄の中で示そう。
(1) 原文
2. Ipsa fides non aliud est, quam agnitio quod ita sit, quia est verum; ita enim cogitat et loquitur qui in ipsa fide est, “Hoc verum est, ideo credo;” fides enim est veri, et verum est fidei. Is etiam, si non comprehendit quod verum sit, dicit, “Non scio num verum sit, ideo nondum credo: quomodo credam quod non comprehendo? forte potest falsum esse.”
(2) 直訳
Ipsa fides non aliud est, 信仰そのものは他のものではない、
quam agnitio quod ita sit, quia est verum; そうであることの承認以外の、(なぜなら)真理であるから。
ita enim cogitat et loquitur qui in ipsa fide est, なぜなら、信仰そのものの中にいる者は、このように考え、語る、
“Hoc verum est, ideo credo;” 「これは真理である、それゆえ、私は信じる」。
fides enim est veri, et verum est fidei. (なぜなら)信仰は真理のものであり、真理は信仰のものであるから。
☆veriとfideiは属格、それで「信仰は真理に属し、真理は信仰に属する」とも訳せる。
Is etiam, si non comprehendit quod verum sit, さらにまた彼は、もし真理であることを理解しないなら、
dicit, “Non scio num verum sit, ideo nondum credo: 言う、「私は真理であるかどうか知らない、それゆえ、私は信じない」。
quomodo credam quod non comprehendo? どのように私は信じるのか、理解しないことを?
forte potest falsum esse.” ことによると、虚偽である可能性がある。
☆possumは通常「~できる」ですが、このように「~の可能性がある」の訳もあります。
(3) 訳文
 2. 信仰そのものは、真理であるからそうであると承認する以外の(他の)ものではない。なぜなら、信仰そのものの中にいる者は、「これは真理である、それゆえ、私は信じる」と、このように考え、語るからである。なぜなら、信仰は真理のものであり、真理は信仰のものであるから。さらにまた、もし真理であることを理解しないなら、彼は、「私は真理であるかどうか知らない、それゆえ、私は信じない。理解しないことを、ことによると、虚偽かもしれないことを、どのようにして、私は信じるのか?」と言う。