新約聖書で、主がこの世におられとき、パリサイ人やユダヤ人の認知は、全般的に、あまりにいわば皮質的な方向に向いている、と主によって批判された。彼らは、律法の文字に盲目的に留意して、古い脳の根源を自分たちから切り離した。主は彼らを白い墓と呼んだ。古い脳は、物事に、善かれ悪かれ、深い意味を与える。新皮質のもっぱら科学的で道徳的な方法な透視図からは、世は、機械のように、死んだ、ブレーク(*1)の暗い地獄の工場の〔絵画の〕ように見える。古い脳は世にいのちを与える。
ピアジェ(*2)は、子どもたちが機械のようなこの世に、どのようにいのちを与えているかを示した。このことは、彼らの新皮質が、少なくとも12歳になるまでは、よく発達していないからである。子どもたちは天使や悪魔を見ることはよく知られており、これは古い脳の産物である。これは文書になっている。たとえば、学校の教師であり、デンマークの新教会の活動的なメンバーであるMargaret Hauptmanの小さな本『見えない人々』である。
もし私たちが霊界を人間の新皮質と古い脳の協働の産物であると見なすなら、そのとき霊界の、またみことばの夢のような意味を説いた「霊的な」本(*3)の、有機的な基盤が備えられる。スヴェーデンボリは、この古い脳と新しい脳の間の目覚しい相互作用の結果を描いた。彼は、この意味を、科学的または芸術的な用語でなく、神的な用語で悟っているところが独特である。
結論
私はこの論説を、天界と地獄は私たちの脳の単なる生理学上の産物であるとする、よくある批評に反対して終わりたい。このことは、「暗いトンネル」やその他の臨死体験について、しばしば懐疑的な人々によってなされる論評である。もちろん、私たちは好きなように考えることができる。それが知性的な、霊的な自由である。あらゆる物質的なものは、霊的な意味を持つものとなることができる、あるものは催眠現象が表示するものを描写するものとなる。古い脳の特性なしに――新しい脳に取り換えて――私たちに、時間や永遠、またこの論説の中で述べた異常で神的な独創力に近い私たち自身の中の経験、そうしたものを考え、語る方法がない。
注1:イギリスの詩人・画家・神秘思想家。
注2:スイスの心理学者。得に児童心理学の研究で有名。
注3:スヴェーデンボリの神学著作、特に『天界の秘義』をさしているようである。