子供のとき、スヴェーデンボリは呼吸を制御することを身につけたが、私はそれは催眠洞察力を生み出したと思う。しつけと興味により、彼は外的な記憶を聖書からの像で満たした、ちょうどケクレが自分の脳を分子で、エジソンが物理学の諸事実で、またダリが絵画の技法でいっぱいにしたように。スヴェーデンボリの古い脳は、そのときそれらの像を取り、彼のよく知った霊感を受けて、霊感を受けた方法で、「天界の秘義」と名づけて、それらをいっしょにした。同じ方法で、他の者は彼ら自身の皮質の興味に基づいて産物を生み出す。現実の事柄のよう見えるが、スヴェーデンボリの場合、その神学著作著述の30年間、昼夜、脳がこのすべてを行なったのである。
私はEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing・目の運動による脱感作と再処理)と呼ばれる治療の技術を多く体験した。これは私にとって、古い脳の洞察力を新しい脳の葛藤の癒しに用いることができることを示唆している。この技術では、患者は、治療専門家に助けられて、彼の心をある不快で、やっかいな「外的な」記憶に強く集中させ、自分の新しい脳によって、ある意味で新しい脳が活動的であることをやめるように保つ。それはさ迷うことをやめさせる、たとえば、アインシュタインが暗算を行なっているときに、やめさせるようにである。刺激、それは目の断続的な運動、交替して聴覚の刺激、あるいは、交替して腰をたたくことであって、古い脳を刺激し、問題への夢のような(私はこのようにしか言えない)解答が浮かび上がってくるようにする。この治療の技術を行なっているうちに起こってくる像の多くは、霊的な印象を与える。それらはその最中に完全に期待しないで、夢のように起こる。その像は、患者によって、私の最も狂ったような夢の中でも「私に」考えられないようなものとして描かれてきた。このことは、これらの像の根源を探求するとき、スヴェーデンボリにしたがって、霊的な流入と呼ぶことが正しいとみなされることを示唆する。
古い脳の思考
古い脳の思考はある特徴によってはっきり示される。そして、なぜ私たちが古い脳の産物を霊的なものとして部類分けするか、その洞察を与えるものとして、それらは考慮する価値がある。
時間について多くの歪んだ観念がある。時間は、新皮質の時間に関する葉(よう)、新しい脳の一部の機能である。私は、他の哺乳類が時間についての正確な感覚を持っているのか疑う、まして時計の発明の前に。私はしばしば、なぜ馬や牛は野に退屈もせずに立っているのかと思う。これはおそらく、彼らに時間の感覚がないからであろう。このことは、スヴェーデンボリよれば、霊界の特徴である。死んで、私たちは古代人によって経験されたような、時間のない世界に入る。この世のものである時間は、そこの状態の変化に対応し、またこの状態は「外側」から、新皮質ができるように、分析的に、観察されるものではない。それは、光景や照明に対応する変化として、時間のない、永遠のあるいは無限の方法で経験される。出来事の進行を経験する二つの様式、時間のない古い脳の様式と時間に関する新皮質の様式がなくては、時間と永遠は、分離された存在として把握されることができない。奇妙にも、時間に関する葉(よう)がそう呼ばれるのは、時間に関する部位の髪の毛のちょうど下にそれがあるからである。その部位で髪の毛はしばしば白く代わり始め、彼に時の経過を思わせる。
古い脳は、あら探しもしないし偽善的でもありえない。夢の像は、新しい脳にとって都合のよいもの、あるいは都合の悪いものとして現われる。それらは容赦ないほど正直で、社会の上品な規範に従わない。スヴェーデンボリの初期の読者たちにとって、彼らがその夢の記録を読んだ時、ショックだった。古い脳の機能である性的な愛が、異性愛と同性愛者の間で、両方の部分(*)にまるで理性的でない魅力を授ける。これは古い脳の特徴である。私たちが恋に落ちるとき、私たちは、他の部分に永遠で詩的な意味を与えて、残りの部分は日々の常識とともにいる、という古くからの思考法に入りこむ。なぜプラトンが性的な愛を一種の狂気と呼んだか、これがその理由であり、それを彼はアプロディーテー〔ギリシア神話で愛と美の女神〕に帰した。祭儀の狂気の神ディオニューソス、詩作の狂気の神アポローンは、古代ギリシア人たちによって、最古代教会の死の直後の時期に、制御されない古い脳の活動の他の形態に与えられた名前である。
〔*注:プラトンの恋愛論によれば、お互いにひきつけあうのは、もともとは一つのものだった(二人)が二つの部分に分かれたからとする。また恋愛を狂気の一種ともする〕