1957年1月、John Chadwickがスヴェーデンボリ協会に与えた論説を以下に紹介します。旅行記、講解、会話体など、スヴェーデンボリのいろいろな文体を論じています。題名は「SWEDENBORG AS A STYLIST」(文章家としてのスヴェーデンボリ)。
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ラテン語は伝達手段としていまだに生きている。ほんの数ヶ月前、私はスペインの学者から手紙を受け取り、その同じ言語〔ラテン語〕で返事をした。この言語は、西ヨーロッパの現代言語がようやく国際的な地位を獲得した時の18世紀を越えて生きた。ラテン語の散文体の歴史は、その最初の大作家キケロまで、途切れることなくさかのぼる。西ヨーロッパ帝国は5世紀に滅んだが、その言語の失墜が伴うことはなかった。ラテン語は文筆上の言葉として用いられて残り、これによって人々は教育されたので、かつてローマ帝国の支配下にあったすべての地で、伝達も会話もできた。ローマカトリック教会はこれを公式言語として保ち、今日もそうである。ルネッサンス期も乗り越えた。エラスムスはキケロの流儀によってラテン語を新たに活気づかせ、こうして科学的改革の手段となり、これは私たちの機械化文明へと続いた。これは大学の言語であった――古くからの二つのイギリスの大学ではいまだに公式の会議で用いる――その使用は、人や書籍にとって、全文明社会を旅するためのパスポートであった。
私たちは、新教会の「著作」の媒体としてラテン語の使用に、神の摂理を認める、と主張してよい。国民的な偏向、科学的先入観、長く確立された神学的で形而上学の語彙から、〔ラテン語は〕比較的に自由で普遍的であることを指摘してよい。もし神的な目的のために、この使用が定められたとするなら、これをいまもなお用いないのは残念である。しかし20世紀ではこう言うのはむだかもしれない、平均的な読者と「著作」の文字の間には障害があるどころではないからである。それでも、原典を忘れてしまったローマ教会のようにではなく、私はあなたがたに、スヴェーデンボリを彼自身の言語でもっと十分に理解できるよう学び、私たち自身の言語に翻訳することに全力を尽すことを望む。
しかし、スヴェーデンボリに選択の余地はなかった。これは重要な書物がすでにフランス語、ドイツ語、英語で現われていたことを否定するものではない。18世紀では、〔ラテン語は〕全ヨーロッパで読まれることを意図した書物に適切なただ一つの言語だった。こうして、私たちが計り知ることのできない摂理についての議論を脇に置くなら、ラテン語の選択は、歴史的な状況を考慮するとき、合理的で、適切であった。
早くからラテン語を教わったスヴェーデンボリは、それを個人的なメモに使うほどにも完全に吸収した。その使用頻度は決してとどこおることなく、彼の語彙は膨大である。彼はときに『霊界体験記』のノートにスウェーデン語を用いたが、これはラテン語に同等のものがない何かを、さらに正確に記録するためであって、決してラテン語の表現を忘れたからではなかった。(続く)