「情報に振り回されないように」とはよく言われる言葉。ここで改めて言うまでもない。このことをちょっと考えてみる。
インターネットを覗くといろいろなことがわかる。特に今は「検索」がよくできている。瞬時に膨大かつ的確(?)な知識が、なんの苦労もなく目の前に広がる。あきらかに視界は広がり、確実に「物知り」になる。
危険なのは「これで事足れり」としてしまうこと。たとえば、レポートなどを提出させることがある。すると、あちこちインターネットから引っ張り出し、それを継ぎ合わせて、「ハイ、終了」としてしまう。
情報は情報でよい。そこに考察を加えなければ何にもならない。ところがその「考察」までも他人の結論を引っ張ってきて、貼り付ける。そこにあるのは切り張り作業だけ。これじゃ思索は深まらない。右にあるもの(情報)を左 (自分のところ?)に持ってきただけのこと。
ネットを眺めるだけで「何でもわかった」つもりになってしまう危険性を常に意識しなければいけないと思う。あえて情報を遮断することも必要だろう。
とりあえずは、インターネットを覗いたら、それと同じ時間を、思索に耽ることに使うのはどうだろうか。座ってじっと考えるばかりが思索ではない、単純作業をしながら、あれこれ考える。
ちょっと脱線。昔は単純作業が多かった(今はそれを機械がしている)。針仕事などしている間にいろいろなことを考えたと思う。昔の人は(テレビなど見ずに)あれこれよく考える時間があっただろう。
昔からよくある思索法が「散歩」。健康にも、目にもいいね。現代人は画面を見すぎだよ。
散歩できない人には電車の中がある。よく本など読んでいる人がいるが、目によくないよ。外の景色でも眺めながら、ぼけっとあれこれ考えるのがいいんじゃないの。これは決して時間の無駄遣いと思わない。「目的なく」ものを考えるという時間が少なすぎるよね。