沖縄・那覇の亀島義侑さんによればスヴェーデンボリの著作との出会いには二通りあるという。
一つは『天界と地獄』であり、もう一つが『真のキリスト教』である(なお同氏は後者である)。
私は83年9月27日(36歳)新宿・紀伊國屋で静思社版『天界と地獄』と『神の摂理』を買った。すなわち、スヴェーデンボリの名前は知っていたが、その和訳書に初めて出会ったのである。
死後の世界など、霊界に興味があったので目次を見て、すぐさま『天界と地獄』(読了は84年9月)を、またずっと以前から「神とは何か」と考えていたので『神の摂理』(読了は86年9月)も買った。
(その頃の私は、本屋で本を見つけたとき、なじみの書店に注文して取り寄せていた。店頭で購入したのは異例である。すぐに読んで見たかった)。そこには他の著作もあったが、とりあえずこの二冊を読んでからということにした。
『天界と地獄』を拾い読みしながら、すぐに『真のキリスト教』(以下『真教』と略す)を注文し、10月21日に上下二巻を入手した。
『真教』の目次など見,拾い読みし、前の二著は読み掛けのまま、こちらを本格的に読み出した。上巻を84年3月下旬,下巻を7月上旬に読み終えた。
キリスト教はほとんど知らず(仏教は23~25歳頃,相当勉強してみた。その後、聖書を29歳から読み始めていた。すなわち一般的ながら“宗教”については知っていた)。教会についても(礼拝などを外から眺めるだけで)何も知らなかったが、同書は極めて興味深く、吸い込まれるようにして読めた。(『天界の秘義』は84年2月に入手,すぐそのまま読み始めたので,その最初の数巻と『真教』の読書期間とはダブっている)
すなわち,私にとって,最初の出会いは『天界と地獄』であるが、きちっと最初に通読したのは、『真教』であった。と同時に私の中に何かが始まった。
スヴェーデンボリが『真教』の中で教えていることは、当時の私にとって十分納得のゆくものであった。もっと深く極めたいと思った。そして『天界の秘義』を読みながら、また読み終えた後、「求めていたものはここにあった」と確信し、それは今もゆるがない。
その後の私の人生経路を定めた本といえる。『天界と地獄』しか読まなかったら、あるいは別方向に向かっていたかもしれない。
私にとってキリスト教とは『真のキリスト教』に教えられているキリスト教(新教会)である。その後、既成のキリスト教会(プロテスタント)に数年通い、邪宗教「エホバの証人」の訪問学習も受けたが、これらに少しも心が動くことはなかった。最初に本物を知ったので偽物の見分けがよくできた、といえるかもしれない。しかし、それらを経験し、そこから学んだ事柄はその後非常に役立っている。
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知恵袋回答あいがとうございます つきましては何故 エデンの薗の回復ですか 聖書で根拠を説明できますか?