みなさんは「元を取る」ということを考えたことがありますか。あるとすればどのような時ですか。
商売人ではないので、私が問うているのは、「人生で」、どのような「場面で」です。
私は、「教員生活を無事終えた」、(ほぼ同時期の)「還暦を迎えた」とき、その他では「ヘブル語学んで、言語とは何かを自分なりに把握できた」ときなど、「元は取った」気がした。(感謝の念とともに、あとは「恩返し」でもしようか、てな気にもなる)
話をラテン語の勉強・習得にしぼろう。中途半端に学んで、結局、ものにならないで、途中で放棄したら、それにかけた労力と時間(それと多少のお金)は「元が取れず」、むだになってしまう。やるならある程度のところまでやり、得るものを得なければ、なんにもならない。単なる暇つぶし。
そうならないために、また結局、何にもならなくても、それでもよいためにはどうあればよいだろか。私のかつての趣味「山歩き」を考えてみよう。時間と労力をつぎ込み、苦しい思いをして山に登って、降りてくる。それだけのこと。山から下りてきた後、何が残るか。何もないかもしれない。元を取ることとは程遠い。ここだけ見れば、「苦しいだけだ」と言って、もう登らない人もでてくる。
勉強も山歩きも同じだろう。山歩きのどこが楽しいかは別として、楽しまなければ、苦しいだけ。そこでやめてしまう。勉強が楽しければ(途中でやめることがあっても、でも楽しければやめないだろう)、それだけでもう半分は元を取っている。その勉強が役立ったら、それは余禄であり、ご褒美。
私は「元を取ろう」という思いなどこれっぽっちもなく、しかたなしにラテン語を学んだ。その勉強が楽しかったので、それだけで「元は取れている」と思う。今ではなんとか原典が読めるので、元以上のもの得ており、このことにもやはり感謝している。
日: 2008年4月23日
ヤコブの梯子
昨年、開設してからそのままにしておいた「ヤコブの梯子」を全面的に改めました。これはスヴェーデンボリと新教会に関する総合ポータルサイトとして、関連サイトやブログを紹介するためのものです。
特にRSSフィードの表示に力を入れており、関連ブログ(複数)の最新更新情報を自動的に取得して、表示できるようになっています。
「スヴェーデンボリのラテン語」でも実現しており、この機能はこれまで「ブログライク」というサイトのサービスを利用していましたが、近いうちにこのサービスが終了となり、表示ができなくなることになりました。
そこで、外部のサービスに頼らず、自前でこの機能を実現することに成功しました。
このサイトからスヴェーデンボリと新教会(New Church)に関するあらゆる情報にアクセスできるようにしていきたいと考えています。
ぜひ、訪問し、ご利用ください。
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