聖句から学びましょう。すぐわかりますね。
単語について
人称代名詞「ego」:私は。「エゴ」はこれが語源。
同じく人称代名詞「tu」:あなた。ここは複数・与格で「あなたがたに」。
名詞「spiritus」:霊。英語はspirit。
訳は「わたしがあなたがたに語ることばは、霊〔であり〕いのちです」(ヨハネ6:63)。
補足を二つ。この文は著作『聖書について』の39番に引用されているもので、『ウルガータ』とは異なります。手元の『Vulgata』は「・・・loutus sum・・・」となっています(「手元の」と言ったのは、ラテン語聖書『ウルガータ』は数種類存在するから)。
日本聖書刊行会の『新改訳聖書』は、一人称を神や主の場合「わたし」、その他を「私」と区別しています。私もそれにならいます。
これだけ見ると不思議なことばですね。この第6章は「わたしはいのちのパンです」を主題としています。そのことを説明したことばです。寄り道はしないで、先へ進みましょう。
Sensus spiritualis et sunsus caelestis non sunt Verbum absque sensu naturali, qui est sense litterae, sunt enim sicut spiritus et vita absque corpore;
この文でまだ知らない単語が何かありますか? absque以外「なしに」?
前置詞「absque」(奪格支配)はよく使われます。意味は「~なしに」。
ちょっとだけ、意味が汲みづらいですが常識から判断すれば訳せますね。引っかかるとすれば、後半の文の「sunt etiam~」でしょう。ここはenimを文頭とするの避け(No.23で学習済みです)、動詞を最初にもってくる「倒置文」となっています。これで訳せるでしょう。
「霊的な意味と天的な意味は、文字の意味である自然的な意味なしに、みことばではない。なぜなら、身体のない霊といのちのようなものであるから」
霊やいのちは、身体をもたなかったら、「この世に」存在できませんね。神のみことばも、むきだしのままでは、この世に存在できません。文字という「衣服」をまとう必要があります。
人を見るとき、ともすれば外見である服装を見てしまいます。ほんとうは中身の人間を見なくてはいけません。それには、私たちも人を見る目を養わなければなりません。
すなわち、スヴェーデンボリの教えをある程度学ばなければ、見えるものも見えませんね。
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最後に述べたようなことが、著作に書かれています。その部分を宿題とします。
Verbum in illo(=litterali) sensu est tanquam homo versitus, cui facies est nuda, et quoque manus sunt nudae. Omnia quae ad vitam hominis ita quae ad salutem ejus pertinent, sunt ibi nuda, reliqua autem vestita; et multis locis, ubi vestita sunt, transparent, sicut facies per tenue sericum.(SS55).〔真のキリスト教229とほぼ同じ〕