柳瀬芳意:1908年(明治41年)10月15日出生。2001年(平成13年)1月10日逝去(92歳)
はじめに、スヴェーデンボリの神学著作全巻の翻訳出版という偉業達成に、同氏に敬意と感謝を表明する。同氏は日本に多大な真理の種を蒔かれた。その訳書に触れて、おかげで私もスヴェーデンボリを学ぶ道へと足を踏み入れた。1年間と少しであったが、晩年80歳の同氏と親しく接することができた(私42歳)のはありがたく、貴重な思い出である。
柳瀬がスヴェーデンボリに出会ったいきさつは、静思社発行(1989年11月)の機関誌『日本新エルサレム教会』第46号(宗教法人成立記念特集号)の中の同氏による「主イエスさまの教えに生きんとして」の記事に詳しいので、以下に抜粋する。
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……当時わたしの卒業した中学校の先輩で高沢保さんとい言う方がいましたが、この人は大阪市の……神学校におり、この方にいろいろと相談をし、わたしもその神学校に入学しましたが、色んな事情から、翌年東京神学舎に、高沢さんらと共に転校し……(高沢さんは)卒業後,金井為一郎牧師の牧する市ヶ谷教会の服牧師に任ぜられ、伝道に携わりました。……〔柳瀬芳意は神学校を中途退学し……家にとじこもっていた。その頃、高沢氏の「蔵書整理」を依頼される〕
……大半は英語、ドイツ語の書物でしたが、それらを整理して、神学校――今の東京神学大学の前身――へ寄付してほしい、との依頼です。そのさい、久子さん〔高沢氏の奥方〕は次の意味の言葉を言われました。
「ずい分、保は苦しみました。でも死の五分前の頃でしたか、突然、苦しみにゆがんだ顔から――すばらしい、すばらしい――という声が聞こえたのです。多分その時,霊眼が開けて,あの世が見えて来たのでしょう」。
この言葉はわたしの心に突きさゝりました。わたしはこの若い伝道者の最後の五分間を「小説」として書きたい、という熱望に燃えたのです。それにはどうしても,この高沢さんが,折にふれ,わたしに話してくれたイマヌエル・スエデンボルグさまの著作を読まねばならない。そのように感じて、わたしは久子夫人に、整理を頼まれた蔵書の中から英訳されたスエデンボルグさまの『天界と地獄』,『真のキリスト教』の二冊を所望いたしました。……
高沢さんの死の直前の最後の五分間を書きたいとの熱意に燃えて、わたしは久子夫人からいたゞいた、英訳の『天界と地獄』,『真のキリスト教』の二冊を読み始めましたが、主さまは全くわたしをわたしの予想だにしなかった方向へ導いてくださいました。『天界と地獄』を読んだ時にはさほどにも感じなかったのですが、『真のキリスト教』の中の「意志の自由」にふれた時の歓びと感激はわたしの全心をふるわせました。これこそわたしが神学校在学中から知ることを求めた問題でありその解答が与えられているではありませんか!
それは皆様も充分御承知の次の言葉です。
「人間には善を欲する、または実践する人間自身の力、或いは能力はない、しかし神から流入する善を受容し、実践する能力は害われてはいない」……
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高沢は1938年1月、柳瀬が29歳のとき亡くなっている(このことを次回に語ろう)
この話は、私が日本新エルサレム教会に出席していたときにも、同氏から直接に、説教中に聞いた話である。そのとき「(『イワンの馬鹿』などの作家)トルストイの真似事をしたかった、小説家になりたかった」とも言っていた。小説家としての望みもあったようである。しかし、ここで知った真理と、その喜びが柳瀬を(予想だにしなかった)訳業へと向かわせた。