補足:「おふくろさん」

 昨日、「原語・原文に向かう」の中で例としてあげた「森‐川内」問題。簡略すぎたので再論しよう。
 世の中には謝ろうとしている森進一を門前払いする川内康範をがんこじいさんと見て、森を被害者としてしまう人がいるかもしれない。森はあくまでも加害者である。
 川内は勝手にアドリブをつけた森を「志が違う」と非難した。で、「おふくろさん」の歌詞をじっくり見た。そこに「いけない息子の僕でした云々」の言葉をとうてい被せることはできない。
 3番の歌詞を見よう。山を見て、「・・・おまえもいつかは 世の中に 愛をともせと 教えてくれた」母を想うのである。1~3番を通して、人生の生き方を教えてくれた母を追慕している。確かに「志」が違ってしまう。
 川内は(無断で)勝手なせりふがついているのを知って、何度も取るよう言った、それを森は何の返事もなく無視し続けた。「紅白」で歌うことになり、それでこれが最後の申し入れとなったが、変わらなかった。それでプッツン。
 ここからの自戒として、私もスヴェーデンボリの神学著作を勝手に解釈し、自分のよけいなせりふを付け足してしまうことを恐れる。

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