原典を読もう(『神のみことば』)  No.16

 宿題:その1 次の文の感想が宿題でした。
「神的なものは人類へ向けての愛から、そのいのちについて教え、その救いをもたらすようなことを啓示された。神的なものを啓示したものは、私たちのもとのみことばである」(天界の秘義10320)
 まず啓示した内容が簡単に書いてあります。「いのち」これはこの「いのち」を現実場面で「生かす」とすれば「生活」でもあるわけです。すなわち、「いのち」とは何であり、「生きる」とは何か、を教えたのですね。そして、いのちを滅ぼしてしまわないように、その「救い」も教えた、ということです。
 で、そうした教えはどこにあるのかといえば、みことば、キリスト教でいえば、いわゆる「聖書」ですね。
 (簡単な感想) なるほど、もっともだ。スヴェーデンボリの教えは簡潔、明瞭だな。
 (私の感想、上記の感想をもう少し補足して) 「いのち」はこの世だけでなく、肉体を離れた後も、永遠に続くものであること。このことを知れば、現世利益だけを求めようといった気はなくなり、永遠のいのちのために何をすべきか、何を目指すべきか、簡単に言って、主に目を向け、隣人を愛そう、という気持ちになってくる。そして、そうすることが「救い」だよ、と教えられている。聖書をよく読むと、そうしたことがわかる。
 ま、読者のみなさま、これに近い感想を持たれたのではありませんか?(こうした宿題は必ずやってください(ラテン語なら「未来完了形」にするところでしょうね)。自分自身で答えを出すことが、「生きる」ことですから)
宿題:その2 次の文のだいたいの内容の把握です。(前回出典個所を間違えました。正しくは1775)
quod necessum fuerit ut aliqua revelatio, ex Divina Domini Providentia, exstiterit, nam revelatio seu Verbum est commune vas recipiens spiritualium et caelestium, ita conjungens caelum et terram, alioquin disjuncta fuissent, et periisset humanum genus; (AC1775)
「何らかの啓示が必要だった?」「神の摂理から存在した?」「みことばが霊的なものと天的なものの受け皿?」「天と地との結合が、どうした? alioquin の意味を確認すれば解決だな」「人類が滅びる」
と、こんなことが書いてありそうだ、と見当つけば、あなたのラテン語はこの講座(?)では中級程度かな?
 では単語の勉強。
 形容詞「neccesum」:neccesum est で「必要である」。fuerit は sum の未来完了(前回学習した)。
名詞「providentia」:「摂理」。pro(先)+video(見る)を名詞化した(-tia)。英語 providence。
 動詞「existo」:exs- を引いても見当たらない。英語の exist と同じだろうと見当をつけて、exis- を探すと、この語の四要素部分に -ere exstiti, とある。意味は「存在するようになる、生ずる」。
 接続詞「seu」:「別のことばで言えば」「すなわち」。
 形容詞「communis」:英語の common ですね。「共通の、共同の、一般の、普通の」。
 名詞「vas」:「器、容器」。英語 vase の語源。
 動詞「recipio」:「受け入れる」。英語 reception の語源。recipiens はその「現在分詞の単数主格」( -ns の形はこう思ってよい)。意味は「~している」(英語で現在分詞といえば -ing の形、「~ンス」「~ング」で、似てますね)。
 副詞「ita」:「このように、したがって」。
 動詞「conjungo」:「結合する」。これも -ns の形からわかるように現在分詞。
 名詞「terra」:「地」。
 副詞「alioquin」:「そうでなければ」。
 動詞「disjungo」:「分離する」。ここは sum とで受動態となっている。fuissent は sum の「接続法・過去完了形」。なぜこの形なのか? alioquin に注目すれば、だいたい察しがつくのではないでしょうか。「事実に反する仮定」の話だからです(文法用語は「条件文」)。それで「接続法」を使うし、仮定となる「時」が「過去」だからです。すなわち「過去の事実に反した仮定は接続法過去完了」。
 こうしたことは文法書のほとんど最後あたりに出てきます。でもこの「読もう」では文法書の配列などは無視。各自、適宜、適当な文法書で、再確認しておくこと(これが自主的な勉強)。
 動詞「pereo」:per(すっかり)+eo(行く)で「滅びる」。変化は不規則動詞「eo」にしたがう。ここも disjungoと同じく「接続法・過去完了形」。
 これで訳せるはず。訳してください。でも ut をどうしましょうか? 副詞「~のような」として、「何らかの啓示のようなもの」とすると、変ですね。気分だけ汲んで、訳出は省きましょう。
「主の神的な摂理からの何らかの啓示が存在することが必要であった。なぜなら、啓示、すなわち、みことばは霊的なものと天的なものを受け入れる器、こうして天界と地を結合しているものであるから。そうでなければ(=存在しなかったなら)、(天界と地は)分離されてしまい、人類滅びてしまった(であろう)」
 ここでは「啓示」の必要性について、天界と地を結ぶもの、霊的なものと天的なものを盛る器、として、その別な面を説明していますね。そして啓示がなかったとしたら、人類が存在できなかっただろうとしています。
 そのとおりですね。「啓示」という明かりがなかったら、真っ暗闇に放り出されたようなものでしょう。手探りで歩いているうち、とんでもない所(どこでしょう?)に行ったり、穴(これは何でしょう?)に落ちたりしちゃいますね。
     * * * * *
 では宿題(予習)。やや長くなります。「啓示」について「まとめ」ともいえる内容でしょう。出典は『真のキリスト教(Vera Chrustuana Religio)』(11番)です。
quod cognitio de Deo, et inde agnitio Dei, non dabilis sit absque revelatione; et non cognitio de Domino et inde agnitio quod in Ipso omnis plenitudo Divinitatis habitet corporaliter, quam ex Verbo, quod est revelationum corona; nam homo ex data revelatione pottest obviam ire Deo, et influxum recipere, et sic a naturali fieri spiritualis; (TCR11:1)