15歳の春とは高校入試の試練のとき。忘れられない入試問題がある。
「試験」といえば当時の中学生では学校での「定期試験」がおもなもの。小学生のとき珠算の検定試験を受けた(よく落ちた)くらいで、学校外の試験は知らない。そうした中学生にとって最初の、最大の難関が高校入試。受からなければ当然、志望校に入れない。
さて、その最初の科目が「国語」。半分くらいの時間でほぼ全部の解答を終え、残りの時間は見直しや解けないで残しておいた問題にあたる。最後の15分ぐらいは残りの1問だけに集中していた。
その問題が漢字の書き取り「~にしする」の「し」である。(できますか?)
その他の問題は(他教科も含めて)全部忘れた。この問題だけ覚えている。大舞台の初めての試験で、初めて、「コリャなんだ、わからねえな」と感じた問いだったから、強烈な印象だったのだろう。
わからないものはわからない、結局、国語はこの問題ができないで98点(当時は成績が中学に戻されてきた)。他の教科もほとんど満点かそれに近く、不得意科目の英語は90点ぐらいだったかもしれない(できると思わないでください、都立高校の入試は基本問題ばかり出題されるので、成績上位校は高得点者どおしの争いとなります)。
答えは「資」する。このような言葉遣いに出会ったことがなかったので、思い浮かばなかった。試験後、同じ受験生の何人かに聞いたが、みんなできていなかった。難問でしょうね。
このように、できなかった問題を一生覚えている。人生に立ちはだかる諸問題や疑問、苦闘すればするほど、そしてそのとき答えが与えられず、後になって「ああ、こういうことだったんだな」と思い返すもの、こうしたものをだれもがみんな持っている。これはそのほんの一例。