【宿題】とは、何度か読み直し、どんなことが書かれているか、大体の内容を推測すること。
さて文は次のものでした。
quod Verbum Domini sit littera mortua, sed quod in legente vivificetur a Domino secundum cujusvis facultatem; et quod vivum fiat secundum ejus charitatis vitam et innocentiae statum,
まずは頭としっぽを見つけるようにします。mortua までで一区切りだな。sed 以下の文は当然ながらセミコロン(;)で切れ、その動詞は -tur とあるからこれだな。最後の文の動詞は fiat しかないな。
と、このように眺めることができたなら、予習はO.K.
まずは最初の文「quod Verbum Domini sit littera mortua」
最初の quod は「~こと」とすればよいのですが、これらは天使が述べた内容です。すなわちこの文の前には Ab angelis dictum, がついていて、その後に上記の文章 quod ~と続きます。天使たちにより「~ということ」が言われた、のです。それで、このようなとき quod をいちいち訳出しないでO.K.です(といより、そのほうが読みやすい)。
sit は(すぐ覚えます)、sum の「接続法」・能動・現在・単数・三人称 (この文法用語は既知とします)であり、意味は「~である」。なぜ接続法かは、天使たちの語った内容(従属節、quod-節)だから。それで 後の vivificetur も fiat も接続法。
名詞「littera または litera」は「文字」、英語の letter ですね。
形容詞「mortuus」は「死んだ、死んでいる」、英語なら mortal。このように英語との関連を調べておくのは、「記憶」の助け、また身近なものと感じられると思うから。
これで訳せます。「主のみことばは死んだ文字である(こと)」。ここでは「こと」を省きましょう。
続いて次の文「sed quod in legente vivificetur a Domino secundum cujusvis facultatem」
legente:このままじゃ辞書に載っていません。これで立ち往生してしまうことを避けるために、文法を最初から全部きちんとわかろうとしないで、「ざっとみておく」という勉強が必要となります。そのうえでこの語をみれば「-en- とか -an- とかあるんで(ここは声を出して読んでください)現在分詞かな」と推測が働くようになります。それで辞書で leg- の形の動詞を探してみます。即「lego (読む)」が見つかります。in があるんで legens がおそらく奪格に変化したな、と思いながら、「文法書」でそのことを確認します。こうして、原文を読みながら、文法も勉強していきます。
脱線します。私が「分詞」という言葉に出会ったのは高校1年の時だったろうか(もちろん現在分詞、過去分詞という言葉は中学時代で聞いて、理解している)。「分詞構文」という言葉として聞いた。何のことか全然わからなかった。当時、英語は嫌いじゃないが、不得意科目だった(部活動の「水泳」に集中していて、家に帰ってする勉強はわずかに数学だけだった。それで高校時代は劣等生)。
「分詞」という字面からでは何も浮かんでこない。そのまま20年経過(これでよく大学には入れたね)。スヴェーデンボリの著作を読むために英文法を再度勉強した(同時に、ヘブル語やギリシア語も学び始めた。そしてヘブル語の学習がきっかけとなって分詞がどんなものかわかった)。
分詞という訳語がいけない。分詞を英語で participle という、これは participate「共にする、あずかる、共に分かつ」からできた言葉だ。それで「分」詞としたようだ。しかし、私自身は「分詞」がわかったとき、動詞であるが形容詞の働きも「分担」している「分」詞だと理解した。
分詞は動詞と形容詞の働きをあわせ持つ。「読む」が現在分詞で、たとえば「人」と結びつくなら「呼んでいる人」と、このように「人」を形容する働きをする。ここでは「in」と結びついている。「in」は「~の中へ、~の中に」であるが、何の「中」なのかといえば、いろいろあるがたいていは「場所や時間」。
奪格なので「読んでいるという時間の中で」、すなわち「in legente」は「読んでいるときに」。
vivifico:「生命を与える、生かす」英語で vivify。
前置詞「secundum」:対格支配「~にしたがって」。
cujusvis:このままじゃ辞書に見つからない。cu- の近所を探したって全然だめ。こういったものが初心者泣かせ。ちょっと文法を勉強すると、qui が cujus や cui に、quisqui が cujusque や cuique 変化することを知る。それで qui- を探すと quivis が見つかる。ここでは「それぞれ、各~」。
facultas:ここでは「能力」ですね、「性質」の訳も考えられます。-tas は抽象概念を表わす女性名詞の語尾形。facilitas、falsitas、fatuitas、faustitas、felicitas、ferocitas などなど。
これでこの文が訳せます。長くなったので宿題とします。
もうひとつ、最後の文「et quod ~」も宿題とします。文の構造は簡単であり、単語がわかれば訳せます。その単語は形容詞「vivus」(生きている)、動詞「fio」(多義語、「~なる」がよいでしょう)、名詞「charitas」(仁愛)、名詞「vita」(いのち、生活)、名詞「innocentia」(無垢、無罪)、名詞「status」(状態)。
これらの単語をならべてみれば、自然と文意が浮かび上がってきますね。
日: 2008年4月2日
書き取り問題:「~にしする」
15歳の春とは高校入試の試練のとき。忘れられない入試問題がある。
「試験」といえば当時の中学生では学校での「定期試験」がおもなもの。小学生のとき珠算の検定試験を受けた(よく落ちた)くらいで、学校外の試験は知らない。そうした中学生にとって最初の、最大の難関が高校入試。受からなければ当然、志望校に入れない。
さて、その最初の科目が「国語」。半分くらいの時間でほぼ全部の解答を終え、残りの時間は見直しや解けないで残しておいた問題にあたる。最後の15分ぐらいは残りの1問だけに集中していた。
その問題が漢字の書き取り「~にしする」の「し」である。(できますか?)
その他の問題は(他教科も含めて)全部忘れた。この問題だけ覚えている。大舞台の初めての試験で、初めて、「コリャなんだ、わからねえな」と感じた問いだったから、強烈な印象だったのだろう。
わからないものはわからない、結局、国語はこの問題ができないで98点(当時は成績が中学に戻されてきた)。他の教科もほとんど満点かそれに近く、不得意科目の英語は90点ぐらいだったかもしれない(できると思わないでください、都立高校の入試は基本問題ばかり出題されるので、成績上位校は高得点者どおしの争いとなります)。
答えは「資」する。このような言葉遣いに出会ったことがなかったので、思い浮かばなかった。試験後、同じ受験生の何人かに聞いたが、みんなできていなかった。難問でしょうね。
このように、できなかった問題を一生覚えている。人生に立ちはだかる諸問題や疑問、苦闘すればするほど、そしてそのとき答えが与えられず、後になって「ああ、こういうことだったんだな」と思い返すもの、こうしたものをだれもがみんな持っている。これはそのほんの一例。
大きな赤い竜
あおい出版サイトで連載している『スヴェーデンボリ叙事詩』の第33章「大きな赤い竜」を掲載しました。
http://www.aoi-press.com/index.html
今回は、高い心霊能力の持ち主として世間の注目を集めたスヴェーデンボリがさまざまな評価や攻撃・批判をあびた時代の著作や出来事について書かれています。
ドイツの哲学者カントがスヴェーデンボリによせた関心についてもここではふれられています。この頃に出版された『神の愛と知恵』はカントが持ち出した論点に対する答えが記されているとこの伝記筆者は述べています。
『スヴェーデンボリ叙事詩』は数々のスヴェーデンボリに関する伝記の中でも最も詳細で、興味深い記事が満載されています。神学著作はちょっと読む気がしないという方も、ぜひこの伝記をとおしてスヴェーデンボリの人物像とその宗教思想にふれてみてください。