レキシコンの編集方針

 チャドウィックの『レキシコン』をそっくりそのまま翻訳することもありえるが、しかし、何のために和訳するのかといえば、日本語使用の読者が原典を読むためのものである。
 するとそのために、(1)極めてわずかな見出し語(『草稿』からのもの)と訳語では省いたものでてくる。これについてはそのことをいちいち表記するのを省略した、あまりに煩瑣であり不要と思えたから。
 (2)つけ加えた見出し語、訳語もでてきた。こうしたものには「*」をつけた(しかしその記号を省いたのも少数ある)。
 (3)どうしても補足や解説事項がでてくる。それらは〔〕の記号で、その中に記述した。
 (4)もちろん、ミスと思えるものは訂正したが、そのことはいちいちことわらない。
 原著に「用例」は掲載してあるが、その英訳文はない。辞書の機能としてやはり必要と思えるので和訳を付けることにした。これに莫大な労力を要している。その際、英訳書、和訳されている「柳瀬訳」と「長島訳」を参照した。
 参照する中で両訳書の誤訳を多数見いだしている。そのことを少し触れておこう。柳瀬訳は英訳に忠実である。それで、彼の誤訳はやや意訳と思える英訳を、さらに和訳して、原意と離れてしまった、といえる。長島訳は、勘違い(意味の取り違え)が多い、そして、何よりも彼独自の「意訳」の精神が強すぎて、私には「そこまで意訳したら、誤訳になってしまいますよ」と思える。
 よろしかったら、掲載されている私の訳文を長島訳と比較してほしい。その違いに驚くかもしれない。そして翻訳に対する姿勢の決定的な違いがわかるだろう。私は直訳派である。