権威について(出版社と辞書)

 私には若いころから野心があった、今もある。「何かの権威になりたい」というものである。振りかざすような「権力」ではなく、「あの人の言うことを聞きたい」「あの人のそう言うなら、なにかわけがあるにちがいない」といふうに、その人に耳を傾けたくなるような権威である。
 その「何か」が何であるかはわからなかった。20歳の頃、「60歳ぐらいになったら、何らかの分野でひとかどの人物になっていたい」と思った。
 30代後半で、スヴェーデンボリに出会った。その思想を「むずかしくて、よくわからない」という人もいるが、私には砂地に水が吸い込まれるようによくわかった。毎日読み続け、『天界の秘義』を読み出してからはヘブル語の知識も必要だとわかり、すぐさまその勉強も始めた。
 全日制高校で教えていたが、勉強時間がほしくて40歳で定時制に移った。これとともに「サラリーマンで(教員もその一類)昇進・出世を望まない者はいない」と言われるが、「いずれ校長になるだろう」との望みは捨てた(自分のやりたいようにやらしてもらえる点で、いつもながら女房には感謝している)。この世の栄達よりも、ほんとうのことを知るほうがはるかに重要とずっと思っていたからである。
 ヘブル語に遅れてギリシア語も学んだ。遠回りのようだが、聖書に原語ではどうか書かれているのか、知っておくことは「内意を探る」ために必要不可欠と思った。そして、学んでおいてよかった。
 以来20年余りが経過した。ずっといろいろやってきた、語り出せばきりがない。私は「権威者」となれただろうか? まだまだと思う。脱線すれば、少しは権威者らしく見えるかなと思い「ひげ」を伸ばしたが、じじくさいだけで、評価されなかった。ここで剃った(また冬場に伸ばします)。
 本論へ移ろう。私の「権威」はさておき、出版社の権威はどこから生じるだろうか。良質な図書を発行し続けることなどが上げられるだろう。しかし、私にとっては「その出版社が辞書を出しているかどうか」である(株式会社で言えば、辞書を出すことが、一部上場のようなものだろうか)。
 発行部数の多寡は問題とならない、テレビ番組で言えば、視聴率の高い番組が内容の良さを物語っていないのと同じ(関心を持つ人間の多さの指標にはなる)。
 ちょっとやそっとの労力や採算を考えていたら出せないのが辞書。それだけに、辞書を出している出版社は尊敬する。
 さて、ネット上に立ち上げただけで何も出していない「あおい出版」。私なりにこの出版社に「権威」を持たせたいと願った。(売れることなど考えず)良質な図書を出そう、そして何よりもその象徴たる「辞書」を必ず出そうと思った。
 需要を思えば、「レキシコン」など次のまた次に出すものだろう、しかし、私にとっては出版社の権威に関わる重大問題。そして、この「レキシコン」、いつかは、だれかが、出版すべきものと思う。