神学著作の英訳公開サイト

スヴェーデンボリの神学著作はラテン語で書かれています。しかし、たくさんの英訳がありますから、それを読むことも教義の理解に役立ちます。
英訳はいくつかのサイトで読むことができます。
その中でも最も代表的なサイトは、”New Search” です。全神学著作を網羅しており、ここでは数種の英訳と原典ラテン語も読むことができます。また、語句による検索も可能です。
The Baltimore New Church“も同じ機能をもったサイトです。
また、”The Internet Sacred Text Archive“にも多数の英訳が公開されています。
ネット上で読む利点は相互参照が容易にできることです。特にスヴェーデンボリの神学著作は聖書や他の神学著作(特に『天界の秘義』)を併せて読むと理解が深まるような構成になっていますから、パソコンやインターネットで読むのに適しています。
難解な部分もいくつかの英訳や和訳を参照しながら読むと理解の助けとなります。

レキシコンについて

  レキシコンとその必要性について述べてみます
 まずレキシコンとは、大辞林(三省堂)に[辞書・辞典類のうち、特にギリシャ語・ラテン語・ヘブライ語〔ヘブル語〕など古典語のもの。また、特定の題目・分野・作家の語彙・語集をいう」とあります。
 ここの「スヴェーデンボリのラテン語レキシコン」は後者です。すなわち、スヴェーデンボリの神学著作で使われている語彙のすべてと、そのおもな出典個所と用例を編集したものです。
 そこでの語義はスヴェーデンボリの用いた(念頭にあった)意味です。すなわち、①通常の辞書の語義のうち、その一部しか使用していない ②通常とはやや異なる意味で使用している(これが問題となります)③辞書にない意味で使用している(これも問題です)
 掲載の見出し語についても、通常の辞書にない単語がずいぶん出てきます。
 私事になりますが、以前、田中秀央の『羅和辞典』でスヴェーデンボリの著作を読もうとしましたが、無理でした。掲載されていない語が多数あります、その上、そこの訳語が原著の内容と全然合いませんでした。原典解読は行き詰まっていました。そこに救い主かのように現われたのがチャドウィックの『A LEXICON TO THE LATIN TEXT OF THE THEOLOGIKAL WRITINGS OF EMANUEL SWEDENBORG』でした。5~6年使用していましたが、あまりのすばらしさに、2000年の夏からぽつぽつと翻訳し始めました。これまで莫大な労力をかけてきましたが今年中には終りそうです。
 
 閑話休題、スヴェーデンボリに限らず、ある思想家などを本格的に研究しようとするなら、その人物が特にキーとなる言葉を、どこで、どのような文脈の中で使っているかが問題となります。いわゆる「用例」が重要となり、翻訳上の訳語なら、そうしたことをふまえたうえで決定しなければなりません。通常の辞書の訳語をもってきて「事足れり」とはなりません。
 ともかく、この『レキシコン』によって、原典を読んでみようという方々が一人でも出てくることを願っています。

New Century Edition

このブログでこれまで紹介したスヴェーデンボリの英訳書は、New Century Edition という最新版です。新しい時代にふさわしい英訳を出版しようというプロジェクトです。
私たちのサイトに和訳を掲載している”An Introduction to Swedenborg’s Theological Latin”(『スヴェーデンボリのラテン語』)の著者であるドール師もその翻訳メンバーの一人です。
刊行物はAmazonで廉価で入手できますが、テキストファイルやPDF版は無料で配布されています。
New Century Edition のサイト、DAWNLOADS のページで、4冊分のデータをダウンロードできます。ただし、これをプリントするよりも、書籍を購入したほうが読みやすいですし、安上がりかもしれません。

レキシコンの必要性について(一般論)

 レキシコンが必要なことについて、一般論を述べてみます。
 だれかが使用する言葉は、辞書に載っている言葉とその語義全部ではありません(A)。また、辞書で定義される意味とはやや異なるニュアンスで使用しているかもしれません(B)。
 (A)その人が使用していない言葉がいかに豊富に掲載されていようと、無意味です。また、多くの言葉には何通りかの語義があります。英語で言えばmanといえば、大きく①「人」でもあり、②男でもあり、その他にも、文脈の中などから、いろいろな意味を持っています。人は当然ながら、その全部の語義を使用するのではありません。限られた語義だけを用います。そのとき他の語義は不要です。すなわち、レキシコンには余分なものは掲載されていなくて、「実際に用いた意味」だけが掲載されています。
 (B)すると、通常の辞書から不要部分を削除しただけの「薄いもの」となるでしょうか。なりません。
 辞書に載っている意味とはやや異なる意味(ニュアンス)で使用しているかもしれません(これが問題です)。また、通常の辞書には掲載されないような特殊な用語や、場合によってはその人の「造語」を使っているかもしれません(スヴェーデンボリの場合はヘブル語の音訳、解剖学からの用語など)。綴り(スペル)違いですら、研究対象になるかもしれません。そうしたこことから「見出し語」は増えます。
 それ以上に問題となるのが「語義」です。たとえば「愛」という言葉なら、この言葉から感じ、受け取るものは人それぞれで違います。それで他人が「愛」と語るとき、この人は「どのような意味で愛という言葉を使っているのだろうか」と思いながら(確認作用)その話を聞きます。この確認作業は「著作」で言えば「文脈」です。また他の個所での使用例(用例)です。
 
 これが他国語(ラテン語)なら、そのようなニュアンスをわきまえた上で「訳語」をけっていしなければなりません。そうしないと、「真意」が伝わらないまでも、ぼやけてしまいます。
 以上から、「レキシコン」では「用例」が重要で、必要不可欠なものとわかるでしょう。
 これまでレキシコンに取り組んできましたが、語義や用例だけを訳すのではなく、その用例周辺の文脈全体から、また他の個所での使用例から訳語や例文の訳を定めるようしているので、とんでもない労力がかかっています。辞書作りの大変さを(たっぷり)味わっています。でも、苦痛ではありません。私にとって学びであり、チャレンジです。